「ススムせんせー、休憩したい」

パシパシ、と、シャープペンが教科書を叩く音が聞こえた。

こちらを一切見ようともせずに、教科書とにらめっこしたままの彼女は気だるそうにそう言った。

近々買い換えようと思っているくたびれた腕時計に目を落とすと、開始してからまだ15分と経ってはいない。

俺の手の中にある読み始めた小説だって、さして進んではいなかった。

「駄目です」

「もーーー。ソウジ先生だったら良いよって言ってくれるのに!」



流るる想い、重なる



『山崎君なら良いって言ってくれると思ってさ』

そう、いたずらな笑顔を浮かべて話しかけてきた沖田さんは、最近出来たばかりの彼女のノロケ話を延々とした後、思い出したように言った。

『家庭教師、ですか』

『そう。高校3年生の、結構可愛い女の子だよ?』

教え子に対して“可愛い”などという感情を持つ事自体どうかとは思ったが、また話がそれると面倒だとそのまま流しておいた。

『時給だって良いしさ、君バイトしてないって言ってたでしょ?』

一方的に話しを進めてくる沖田さんに、どうにか断る術を見つけなくてはと考えていた。

『案外、楽しいと思うよ。君教えるの上手そうだし』

別に、教える事は嫌いではないが楽しいと思った事も無い。

どうしてもと頼み込んでくる沖田さんを、結局は無下にすることなど出来ずに引き受けてしまう。

『やっぱり、山崎君なら良いって言ってくれると思った』

優しいというより、人が良いのだと、昔誰かに言われた事があった気がする。

“ありがとう”とお礼の言葉すら言わぬまま、連絡先と住所だけ伝えると、彼女とこれからデートなんだと嬉しそうに去って行った。

ため息をつくことすら大儀で。

別に沖田さんの為と言うわけではない。

彼女との時間を作りたいが為にアルバイトである家庭教師を放棄された、その女の子が可哀想だと思っただけだ。





「どうにも、みょうじ君は集中力が足りないようですね」

「大きなお世話!」

「・・・・・・分からない所でも?」

「・・・・・・ここ、教えて?」

素直に最初から分からないと言えばいい物を。

「これは先程の公式の応用です。このxが差すものは分かりますか?」

「・・・これ?」

決して、教えづらい事など無かった。

そんな風に、笑顔を見せる君を、知る前までは。

「出来たっ!」



ドキ、と鼓動が高鳴った瞬間に、君と出会ったあの日に戻りたいと思った。




俺の気持ちなど知る筈もない君は、沖田さんの名前ばかりを口に出す。

“ソウジ先生だったら・・・”

“ソウジ先生はね・・・”

もしかして、沖田さんは彼女の気持ちを知って、逃げたのではないか―――

「ススムくん、聞いてる!?」

俺は最近、“先生”から、“くん”に格下げされた。

「ああ、すみません」

「だから、ね?ソウジ先生にクリスマスプレゼント、買いたいの。付き合って?」

沖田さんの言った通り、彼女はとても可愛らしい女の子だった。

一途に彼を思うところだとか、分からないとふれくされたりするところだとか、頭を使いすぎて眠ってしまうところだとか。

休憩中、そう誘われたのは親御さんから頂いたコーヒーを飲んでいた時のことだった。

「・・・・・・」

沖田さんに恋人が居る事を、話すべきだろうか。

「だめ?・・・男の人にあげるなら、男の人の意見を聞いた方が確実かなと思って」

君のその、片想いは実ることなど無いのだと、俺の口から言っても良いのだろうか。




「・・・・・・いい、ですよ」



「ほんと?・・・えへへ、よかった」

そういうと、お気に入りのマグカップに手を伸ばした。








人が良い。

その通りだ。否定はしないし、自分で自覚もしている。

慣れない駅前での待ち合わせに、そわそわと30分も前に到着してしまい、君からの連絡が無いかと何度も何度も携帯を確認していた。

「ススムくん!」

笑顔で駆け寄ってきた君の、想いの先に居るのが自分ではない事に肩を落としながらも、稀に見る女の子らしいその格好にドキドキとしてしまった。

「行こう!」

俺の手を取って楽しそうに歩き出した彼女の、その笑顔をこれから曇らせてしまうかもしれないと。

あなたの好きな人には恋人が居ると、そう告げる事を考えただけでその純粋な笑顔を見ては居られなくなった。

「時計、にしようと思うんだよね」

お小遣い貯めてたんだよ、と笑った彼女。全ては沖田さんの為なのだと、思い知らされる。

家庭教師と生徒というその関係性は沖田さんと同じはずなのに、どうしてだと、少しだけ彼を憎らしく思う。

何事も器用にこなしてしまう彼は、異性の心をつかむことすら得意とするのだろうか。

「ちなみに、ちなみにだよ?・・・ススムくんだったら、どれが欲しい?」

そんなに強調されずとも、俺のではないことぐらい、最初から知っている。

「・・・これ、シンプルでいいかもしれません」

「・・・ふーん。ね、ソウジ先生だったら!?」

ショーケースを覗きこみながら、近づいてくる彼女のふわりと香る匂いにまたドキリとしてしまう。

俺の好みなどどうでも良いといった風に、結局は沖田さんの話ばかりをする君。

「こっちも似合いそう・・・わーん、決められない!」

30分以上ショーケースの前で悩み続けた彼女は、また今度にすると言って、何も買うことなく店を後にした。

すぐに音を上げる君の15分を優に越えて悩めるのは、それだけ想いが強い証拠だろう。





クリスマス3日前。

沖田さんが、彼女と温泉旅行に出かけたと人伝に聞いた。

自分の“生徒”の事はどうでもいいという事だろうか。

想い続ける彼女の事を見てきた俺にとっては、それはとても苦しい事で。

「始めましょうか?」

いつものように教科書を取り出した俺を、ちょっと待ってと制した彼女は、引き出しから紙袋を取り出した。

「・・・はい、ススムくん」

「え?」

「え、じゃない!!!もう、メリークリスマス!だよ!!」

「俺に・・・?」

「受け取らないは認めないからね!!!」

なぜ、目の前に居る彼女が顔を真っ赤にしているのか。

二人で出掛けたあの日みたいに、今日は女の子らしい格好をしているのか。

人が良い上に、俺はどうやら、自分の事には鈍いようだ。








沖田さんの話ばかりしていたのは、二人の共通する話題がそれしかなかったから。

沖田さんにプレゼントを買うと嘘をついたのは、そうでもしないと恥ずかしくて俺を誘えなかったから。

ショーケースの前で30分以上悩んでいたのは、俺のためだったと。

「みょうじ君、・・・」

「ススムくん、私、ちゃんと名前あるよ?」

「・・・・・・なまえ・・・?」

「なに?」

「俺を、先生と呼ばなくなったのは・・・」





―――好きだって、気付いたから!






END


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