「あれ、原田さん、残業ですか?珍しいですね」

そう言う私も、どうしても今日終わらせておきたくて、30分だけ残業を終えて立ち上がったところ。

「後輩の尻拭いなんざ、ホントはしたかねえんだけどよ」

背もたれに体を預けて、硬くなった体をほぐすように、両腕を伸ばしていた。

「ふふ、優しいんだ。だからみんな頼っちゃうんですよ。じゃあ、お先です」

パソコンに向かったまま彼は、返事をするように私に手を振っていた。




好きだと言ったくせに




私自身、優しい原田さんを頼って、何度も何度も困らせたことがある。

その度に、彼は優しく「気にすんな」って笑う。

それは私以外の人にもそう。誰にだって優しくて、特別扱いだってしなくて、同じように。

だからこそ、それを独り占めしたいという想いが強くなる。

「あれ、雨・・・」

本当にさっき降り出したらしいそれは、濃いシミをアスファルトに刻んでいた。

毎日カバンに入れているはずの折りたたみ傘は、こういう時に限って忘れて―――

「・・・・・・あ、そうだ、この間千鶴に貸して・・・デスクにあるかも」

と、引き返そうとした時に浮かんでしまったのは、彼を独り占めしたいと思う、私のずるさなのかもしれない。

「・・・タバコとコーヒー、買ってってあげよう、かな・・・」

“気が利くな”なんて笑ってくれたらいい。

コーヒーショップまで走れば多分1分もかからない。

コンビニも近くにあるから、これくらいの雨だったら―――

「よし、走るか」




降り続く雨は、私の予想に反してどんどん強まっていた。

原田さんのタバコと、ふたり分のコーヒー。

―――うん、原田さんのため、だ。頑張れ私。

覚悟を決めて、すう、と息を吸い込んだ。



会社に着く頃には、案の定ずぶ濡れ。

普段ならため息が漏れてしまいそうなのに、原田さんの笑顔を浮かべると、私の頬は緩みっぱなしだ。

完全に変な子。

とりあえず、カバンの中からハンカチを取り出して、彼に何か言われないよう出来る限り雨を拭った。



オフィスの扉を開けると、一人でパソコンに向かっている原田さんがこちらを向いて、ほんの少しだけ驚いた顔をしていた。

「・・・・・・あ、どうした?」

「えっと・・・傘、忘れちゃって」

「そんな濡れて、よく戻ってきたな」

「・・・あ、あはは」

結構拭いたつもりだったんだけど、やっぱ濡れてるのか。

コーヒーの紙袋は背中に隠しながら自分のデスクの引き出しを開けると、やっぱり傘が入っている。

「あ、ありました、良かった」

「これから荒れそうだな、早く帰ったほうが―――」

「あ、あの!!」

「・・・な、なんだ?」

コーヒーの入った紙袋と、カバンの中に入れておいたタバコを取り出して驚く彼の前に差し出した。

「さ、差し入れっ、です!」

原田さんは立ち上がってそれを受け取りデスクに置くと、私の濡れた髪にそっと触れた。


「こんな濡れて、風邪でも引いたらどうすんだよ・・・・・・いや、その前に、わざわざ、ありがと、な」


やっぱりだ、絶対優しい彼は心配すると思った。だから何も言われないように拭ったはずだったのに。

「っくしゅ」

「・・・・・・脱げ」

「っ、は、え、・・・や、ああ、あの!?」

「ジャケット、濡れてんだろ?それから、給湯室かどっかにタオルあるだろ、髪はそれで拭いとけ」

・・・あ、そうか、そういうことか。なんだ。なんか、変にドキドキして・・・

「頑張って、もらおうと思ったんですけど、逆に迷惑かけちゃって・・・すみません」

「ばーか、充分だよ」

これ、もらうな、と言って、渡したばかりのタバコを手にとった。




明日、休みで良かった。

とりあえず風邪ひいても二日休めばなんとかなるでしょ。

髪を拭いながらオフィスに戻れば、「先、貰ってた」と、紙カップのコーヒーを少し掲げた。

「あ、そうだ。・・・・・・タバコ臭いかもしんねえけど、これ、ないより良いだろ?」

「え・・・・・・」

ふわりと、彼の大きなコートに包まれた。

「あ、ありがとうございます」

「どういたしまして」



ほら、またいつもみたいに笑う。

その笑顔じゃないのが、みたい。

もっと、特別な。





「それにしても、傘、取りに来るだけで良かったんじゃねえのか、わざわざ差し入れなんて」

「・・・・・・あはは、ですよね」

「まあ、嬉しいけど、な」



ああ、もう、天然タラシ。

ドキドキさせないで。



エアコンの音と、降りしきる雨の音がほんの少しだけ聞こえる室内で、私と原田さん、二人きり。

その状況にまた、熱が上がる。

「・・・だって原田さんに喜んで欲しくて」

・・・え?私、何言っちゃってるの?やだ、

「なんで喜んで欲しかったかって、私」

両手で握り締めたコーヒーから、じわりと熱が伝わってくる。

ふと、顔を上げると、真剣な表情で私を見つめてる原田さんと目が合って。




「私、原田さんのこと、好きだから」




何も言わずに、じっと私を見つめる彼が、タバコの火を消した。


「・・・俺のことが、好きだって?」


「違うんですっ、いや、違わないですけど・・・その、えっと・・・」

どうして好きだと、言ってしまったんだろう。

「違わねえだろ、確かに俺は、今、聞いたはずなんだが?」

立ち上がり、近づいてくる彼を避けるように後ずされば、トン、と背中にぶつかった壁が行き止まりを教えてくれた。

至近距離で交わる視線に、思わず息を飲んだ。

ぴったりと、壁に背中をつけてこれ以上逃げることのできない私と同じく、じっと私を見つめたまま動こうとしない彼が、何を思うのかわからない。



私のこと、どう想って―――




「俺も、お前のこと、好きだ」

さらりと、私の頬に触れた彼の手は、とても熱くて。

「は・・・・・・」

「なーに間の抜けた顔してんだよ」

頬を緩めて笑ったその顔は、初めて見た。

これは、私がずっと、欲しいと思っていた特別な、彼の笑顔だろうか。

どきりと、胸が高鳴った。

「や、あのっ・・・え?いま、なんて言いました?」

「お前のこと好きだって、言った」

「・・・・・・う、うそぉ」

幸せで溢れる涙なんて、いつぶりだろう。

彼に泣いている顔を見られたくなくて、両手で覆い隠した。

「可愛い顔、隠してんじゃねーよ」

「や、・・・っ」

私の腕をとって顔を覗き込むと、ぐい、と顎を引き寄せてにやりと笑う。

「泣き顔も、そそるな」

「みないで、くださいっ」

「さっき、ずぶ濡れで俺の前に現れたときは、どうしようかと思ったんだが」

顔をそらすことを許してくれない彼が、じっと私の瞳を見つめる。

「堪えられそうも、無い」

「へ!?」

「とりあえず今は、キスで我慢してやるよ」

「や、で、でで・・・できませんっ」

「・・・俺のこと、好きだって言ったくせに」

「好き、は好きですけど・・・だって、恥ずかしい・・・ですっ」

「どうして」

「・・・原田さんのことが・・・・・・好き過ぎて、どうして、いいか・・・」

言葉尻をすぼませながら、やっとのことでそう言うと、なんとも珍しく、彼も真っ赤になって口元を抑えて目をそらしていた。

だって、私だけに向けてくれる笑顔を見たいと思っただけなのに、キスなんて。

心の準備、できてない。

「可愛いこと、言ってんじゃねえよ。・・・・・・とりあえずここでは何もしねえけど・・・俺ん家か、お前ん家か、どっちか選べ」

「なっ・・・・・・」

「責任、取れるよな?」

今度は意地悪そうに笑った。それも、初めて見る笑顔。



あなたこそ、責任取って私を愛してくれないと、困る。



END


2014.01.02〜02.21





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