「今日、会社の歓迎会があってさ。晩ご飯、適当に食べて」
「ああ」
「いってきまーす」
「おー」
ベッドの中でもぞもぞとしながら、私に返事をした彼は、今日の明け方に帰ってきた。
どこで遊び歩いていたかなんて問い詰めるのも疲れるし、そもそもそんなに束縛だってしたくない。私がされたくないから。
春の匂いがする、桜舞うこの4月に、倦怠期を迎えたカップルは、さよならの時期を窺っている。
正直、私はまだ彼と一緒にいたいと思ってる。
けれど、最近様子のおかしい彼を見ていると、他に好きな人ができたんじゃないかとか、私に飽きてるんじゃないかとか、いろんなことを考えてしまう。
本当は結婚とか、考えてくれてるんじゃないかって思ったのに。
1、2、・・・ああ、5年か。
もうそんなに経つのか。
大学卒業の時に告白されて、社会人になり、お互い別々の会社で働きながら、同棲を始めて3年。
「・・・・・・なんでかなあ」
暖かい日差しに包まれながら、思うのは彼氏である左之のことばかり。
私は多分、今も彼のことがすごく好きで、でも、なんとなく感じ始めたその距離のせいで近づけずにいる。
「なまえちゃん」
「沖田くん」
「隣、いい?」
会社のひとつ後輩の彼は、いわゆるイケメンに属する。
さっきまで女子社員に囲まれて過ごしていたハズの彼が、飲みかけのグラスをもって私の隣にやってきた。
「こんなところに居ても良いの?」
「君の隣が一番落ち着く」
「・・・それ、言う相手私じゃなくない?」
「もうすぐ、誕生日だよね」
人の話を聞いているのかいないのか、急に話を変えてしまう彼にも、今はもう慣れた。
沖田くんにそう言われて慌てて携帯のディスプレイに目をやると、表示された今日の日付に5月まであと1週間もないのだと気がついた。
「あれ・・・・・・やだ、もう5月になるんだ」
信じられない。
あんなに毎年楽しみにしていたはずの誕生日を忘れるなんて。
どこに行きたい?とか、連れて行きたい場所があるとか、毎年1ヶ月前には必ず左之がそう言ってくれてた。
今年はそれがなかったから忘れていたんだろうか。
私の世界は、多分、左之が居るから回ってるんだ。
彼と別れることになったら、どうなっちゃうんだろう、私。
「なまえちゃん?」
飲みかけのビールを飲み干したけれど、いつの間に温くなったんだろうか、のどごしは最悪だった。
「・・・・・・時間、戻せないかなあ」
「難しいこと言うね」
ぽつりと呟いた小さな言葉を、沖田くんはちゃんと聞いていてくれたらしく、頬杖をつきながらそう答えた。
「モッテモテの沖田くんにはわからない悩みだと思う」
「僕にも悩みくらいはあるんだけど」
「へえ・・・どんな?」
「例えば・・・好きな女の子に彼氏がいて、それを略奪しようとしているのに、一向にこっちを振り向いてくれないとか」
「大変だねえ?」
「・・・・・・・・・ほら。そういうこと言うから余計自信なくなってきたじゃない」
目を閉じて、盛大なため息をついた沖田くんは、汗のかいたグラスをつう、となぞっていた。
「沖田くんに好かれる子は幸せだろうね?」
性格はやや掴みどころのない部分もあるけれど、優しいイケメン君だ。
この顔でお願いされたらなんだってイエスと言ってしまうに違いない。
「・・・・・・君の天然っぷりは表彰ものだよ」
「・・・?」
カウンターに突っ伏した沖田くんの隣で、私はまたビールを注文した。
キメの細かいクリーミーな泡を乗せて出てきたそれを、ゴク、と流し込む。
「それで?彼氏とは最近どうなの?」
「・・・・・・直球すぎない?」
「遠まわしに聞いたからって答えは変わらないでしょ?」
握り締めたままのビールグラスをまた傾ける。
「・・・・・・じゃあ、本気で相談してもいい?」
「ただいま・・・・・・」
午前0時過ぎ。アパートに戻ってきた私は、玄関になだれ込んだ。
ひんやりとした床が、お酒で火照った頬を冷やしてくれて気持ちがいい。
「なまえ?大丈夫か?」
声が聞こえたのに一向に姿を現さない私を心配してくれたのか、わざわざ玄関に来てくれた左之。
これくらいで優しいと思ってしまうのは、本当に最近、こういうことが無いという証拠かもしれない。
『もう別れるって、バッサリ言ってみれば?それでダメならそれまでだと思うよ』
別に、沖田くんの言葉を鵜呑みにしたわけではない、けれど。
カマをかけるつもりで、気持ちの離れた彼女を演じてみようかなんて。
だって、左之がどう思ってるのか、知りたい。
「こんなところで寝るなよ?」
「分かってる・・・」
立ち上がり、私よりも身長の高い彼に見下ろされるその視線を感じながらリビングのソファへと座った。
「あのさ、左之」
「ん?」
そういえば、このソファは色を決めるのにすっごい悩んだ。
リビングでいちばん目に付くものだから、落ち着いた色の方がいいんじゃないかとか、暗い色よりも明るい色の方がいいんじゃないかとか。
でも汚れは目立たない方がいいだとか、そんなことを二人で言い合いながら、家具屋さんのお姉さんを悩ませたっけ。懐かしいな・・・。
「・・・別れよう?」
正直なところ、こういうのは言ってもらったほうが楽だ。
例えば気持ちが離れていたとして、それでも相手を傷つける言葉には変わりない。
一緒に過ごしてきた時間の分だけ、深い深い傷になってしまうと思う。
彼が今も私を、好きだと思ってくれていればの話だけれど。
「っ、おい・・・なんだよ、急に」
左之の気持ちを確かめるとは言え、正直言って本当に悲しくなってるのは自分だ。
今にも泣き出してしまいそうで、不安で押しつぶされそうで。
左之以上に好きな人ができるだろうかと―――
ソファから立ち上がった私を追いかけて、「待てよ」と言いながら私の右手首は彼にぎゅっと握られた。
「・・・っ、た・・・」
ひねり上げられるように、私の右手首は顔の真横に押し付けられた。
左側には、彼の右手。
ドン、と壁に押し付けられた背中が、少し痛い。
「・・・さ、左之・・・?」
「納得する理由、あるんだろうな?」
「ごめん・・・」
「・・・それじゃ、わかんねえよ・・・」
「んっ・・・・・・」
強引に重ねられた唇から、伝わる熱が久しぶり過ぎて、ドキドキする。
やばい・・・・・・泣きそう。
・・・やっぱり、大好き、だよ。
「なまえ」
こつん、と私の額に自分のそれを重ねて、ゆっくりと彼が言葉を紡いだ。
「・・・お前が、幸せになれるなら、別れを選ぶのもありかも知れねえ。けど、俺はお前のこと離したくねえし、ちゃんと、お前のこと想ってる」
「さの・・・?」
優しく降ってきたキスが、額に、まぶたに、熱を残してく。
「俺のこと信じられねぇか・・・?」
彼の気持ちが離れていないことを知って安心したせいで、体の力が抜けてしまったみたい。
壁に背中をあずけたまま、床にぺたりと座り込むと、左之もしゃがみこんで私の顔を覗き込んだ。
「不安にさせて、悪かった」
「・・・・・・最近、帰りが遅いから、浮気してんのかと思ってた・・・・・・」
「あー・・・・・・っだよな、けど、こればっかりは・・・いや、」
がしがし、と頭を掻きながら言葉に詰まる彼の、照れたようなその顔が新鮮で、思わずじっと見つめてしまった。
「誕生日に、全部話す。それまで、待ってくれるか?・・・・・・後悔は、させねえ」
甘いキスにはもう飽きた
プロポーズのシチュエーションは最高にロマンチックにしたいと、いろいろと手配してくれていたらしい。
私が家にいる時間だと、電話で連絡をとっていたらばれるかもしれないし、パソコンは二人で使っているから危険だと、
永倉くんの家に押しかけて男二人であーでもないこーでもないと、計画を立てていてくれたと。
お陰で、夢みたいな誕生日と、プロポーズの言葉をもらった。
こんなに幸せでいいのだろうかと彼に言えば「これからもっと幸せにしてやるよ」なんて、いたずらに笑った。
(君の笑顔の理由になりたい)
「・・・ほら、だから言ったでしょ?」
「うん、ごめん、ありがと」
「まあもっとも。もし君が別れることにでもなってたら、僕が責任もってもらってあげようと思ってたんだけどね?」
END
お題配布元:例えば僕が
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