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・・・・・・寒い。
目が覚めるとやけに部屋の温度が低い気がして―――否、多分逆だ―――私は身体を震わせた。
冷え切った鼻先を温めるように、頭まで毛布をかぶった。
こんなに寒いだなんて、雨でも降っているんだろうか。・・・あーあ、学校に行くのが憂鬱になる。
びしゃびしゃと靴下まで濡れてしまうし。少しでも雨の日の気分が上がるようにと買った可愛い折りたたみ傘も、つい先週壊れたばかりだ。
もぐりこんだ布団の中でうんうんと寝返りを打ちながらそんなことを考えていれば、昨日の夜、風が強かったことを思い出した。
昨日はそれでなかなか眠れなかったんだ。
「・・・・・・・・・あ・・・?」
そうだ、雨じゃなくて。
がばっと起き上がり、私は冷えたフローリングにぴたりと足を下ろした。
ひっ、と一瞬身体が縮こまってしまったけれど、すぐにそばにあったスリッパに足を乗せた。
カーテンを明ければ、窓の外の見慣れない真っ白い世界に私はただ、むくむくと湧き上がる好奇心を抑えきれず携帯に手を伸ばした。
呼び出したのは、もちろん。
「・・・・・・総司、起きてる!?」
屋根に塀に、植木に、ガードレールに。
こんもりと積もった柔らかそうなその雪がなんだか可愛らしい。
一面の白に、むずむずとした気持ちのまま、いつもより少しだけ大股で、けれどゆっくりと、まっさらな雪を踏みしめた。
度に、ぎゅっと音がする。足の裏に伝わる感触。
キラキラと太陽を反射させた雪が、こんなに眩しくてこんなに綺麗だなんて知らなかった。
画面越しには見慣れていた、豪雪やスポーツのニュースでしか見たことのない世界。
「楽しそうだね、なまえ」
「楽しいよ。雪がこんなに積もるなんて珍しい」
総司は、呆れたような、少しだけ馬鹿にしたような・・・・・・なんとも形容しがたい表情で私を振り返った。
除雪、そんな大げさなものではないけれど、歩きやすいようにと雪がよけられた歩道はアスファルトが見えていた。
溶けた雪のせいで濡れたそこは、雨の日みたいに色濃くなっている。
わざわざ雪の上に足跡を刻んでいく私とは反対に、総司はいつもと何も変わらない様子で除雪された歩道を進む。
「子供っぽいって思ってるでしょ」
それは自分で分かっていることだった。
高校生にもなって雪にはしゃいでいる自分のことを恥ずかしいとは思うけれど、相手が総司だから気にしないでこうして居られることも、分かってる。
「うん、思ってるよ」
当たり前でしょ、そんなセリフが後に続きそうな答えが返ってきた。
自分で言うのは良いけれど、こんなふうに素直に言われるとは思わなくて、私は口を尖らせた。
・・・総司だって、雪玉でも作って誰かの後頭部に当ててやろうとか、子供っぽいこと考えてるはずなのに。
おそらく中学の頃の私だったら後先考えずにそう言っていただろう。
けれど言い返さなかったのは、総司に口で勝てないことがわかっているし、何よりそれを表に出さない彼が、なんだか少しだけ違う人に見えたからだと思う。
あの頃なら絶対言ったんだ。
『ねえなまえ、これ土方さんに当てたら怒るかなあ?』
なんて、ワクワクとした顔で。
だからなんか、モヤモヤする。
「・・・ちょっと寄り道していい?」
チラリと視界に入ったその場所は、誰も踏み入れていないらしく、それこそ真っ白な絨毯のようで。
月極と書かれた看板が立っていたおかげで、そこが駐車場だったことを思い出した。
ただ雪が積もっているだけなのに、見慣れた通学路が違う世界みたいだ。
一台も車が無いせいで、余計にわからなかった。
足を揃えて、その場所に立ってみた。
また、ぎゅっと音がする。
キラキラと輝く一面の雪が、汚れのないことを自分から主張しているみたい。
一歩、一歩と踏みつけてやれば、その白は私のブーツの汚れで白では無くなった。
また一歩と、私は前に進んだ。ただただ、汚れのない場所をどんどん自分の足で踏み潰した。
物言わぬ雪を征服し、服従させているような優越感。
それなのに、輝きも失い、汚れてしまった、自分が汚した雪を見て、罪悪感が押し寄せる。
自分の行為の意味さえもわからないまま、気が付けば駐車場に私だけがぽつりと立ち尽くしていた。
さっきまで私の前を歩いていたはずの総司は駐車場の入口で私をじっと見つめていた。
その距離が、やけに遠い気がして思わず声をかけた。
「総司はやらないの?」
「だってそこはもうなまえの場所でしょ。足の踏み場がないよ」
言われて足元を見渡せば、自分の足跡でいっぱいになっていた。
「・・・本当だ」
「満足した?」
さっきまで私が雪を踏みしめる様子を、そこでずっと眺めていた総司は、何事もなかったかのように聞いてきた。
何やってるの、どうしたの、と、別に心配して欲しいわけでもなかったけれど、総司は私の奇行の意味を分かってそう聞いているのだろうか。
総司の言葉も、自分の無意味な行為も、全部。
「やっぱり、すっきりしない」
すごくむしゃくしゃした。
なにかに八つ当たりしたかった。
それの原因がわからなくて。
結局私はただ本当に、時間を無駄にしただけのようで。
「だろうね」
「・・・・・・何、それ」
私が知りたい答えを全て知っていて、それの要因ももしかして総司はわかっていて。
それで余裕ぶってるの?子供みたいな私のことを、鼻先で笑いながら、あなたは全てお見通しだと?
だとしたら・・・・・・腹が立つ。
雪まみれのブーツでアスファルトを蹴った。
はらり、と雪が私のブーツから落ちた。
それすらも、面白くなくて、私は唇を尖らせる。
「だって僕もそうだから」
「・・・ん?」
予想外の言葉に、私は首を傾げた。
「なまえだって分かったでしょ?綺麗な物って手に入れたくなるけど、手に入れた瞬間俗物に変わったみたいで怖くなる。
急に突き放したくなる。しかもそれが自分のせいだって思いたくなくて、余計にぐしゃぐしゃにしちゃう」
「・・・・・・」
「僕だって、好きな子を独り占めしたい。僕だけのものにしたい。でもそうしたら、今見てるものが変わっちゃうんじゃないかって思うと怖いんだ。
今感じてるこの気持ちが壊れてしまうんじゃないかって思うと、何も出来ないんだよ」
―――好きな子?
総司の口からそんな言葉が出るなんて思わなくて、私は目を丸くした。
けれど同時に合点がいった。
知らない人に思えた総司も、感じた距離もそういうことだったのかと。
知りたくなかった気もする、だって、そんなの。
私を置いて総司だけが大人になってるみたいで。
幼い頃から、同じように同じ時間を過ごしてきたはずなのに。
たった一人取り残された孤独感みたいなものが、強く押し寄せてきた。
かと言って、いつまでも子供で居られるわけないことくらい、分かってる。
中学の頃、総司も、一応私も、恋人が居たこともある。
それはただ単に、大人になりたいと背伸びする子供が、恋をしていると錯覚するための遊びみたいなもので。
告白されて、別に断る理由がないから付き合った、お互い多分そんな理由だった。
だから、誰かを好きになることなんて・・・、遊びじゃない本当の恋を知るなんて、ずっとずっと、もっと先のことだと思ってた。
だってまだ、私も総司も子供だと思ってたから。
そうか、そうだったのか。
総司は好きな子が居るのか。
どんな子、だろう。
彼が好きになる女の子は。
そう考えてふっと浮かんだのは、剣道部のマネージャーの千鶴ちゃんだった。
健気で、明るくて、誰にでも優しくて、可愛く笑う。
大和撫子みたいな。
女の私でさえ、千鶴ちゃんと初めて会った時にその笑顔にドキドキした。
それから、モテそうだなって。男の子ってこういう女の子が好きになるんだろうなって、嫉妬した。
考えれば考えるほど、自分自身が小さく思えて、嫌いになりそうだった。
だからせめて、ちょっとくらい大人になろう。
総司が悪いわけではないのだから。
「・・・・・・そういうのって、やっぱり踏み出した方がいいんじゃない?相手の子だってさ、ずっと総司の気持ちに気づかないかもしれないし。
それに見てるだけじゃ、辛いでしょ。そうやって黙ってる間に、相手の子に彼氏でも出来ちゃったら嫌じゃん」
「・・・・・・。そう、だね」
本気で誰かを好きになったことないくせに、私はアドバイスめいた言葉を吐いてしまったことを少しだけ後悔した。
訪れた沈黙の間に、泥だらけの雪を踏む音が響く。重たい。足取りも重い。
「なまえ、僕、君のことが好きだよ」
私の前を歩いていた総司が、突然振り返ってそう言った。
好きだって、誰を?
私を好きだって言った?
ビリっと、身体が痺れたような気がして、動けなくなった。
好き?
好きって、何か他に意味があったっけ?
それとも聞き間違えた?
だって、そう思わざるを得ないほど、総司はいつもと同じ顔をしていたんだもの。
「なまえが言ったんだよ、踏み出せばいいって」
「そう、だけど、だって」
「・・・・・・ねぇ、まさか僕が君のこと好きだって全然気付いてなかったの?」
「・・・・・・うん」
肩が下がるのが分かるほど、大きなため息をついた総司が、呆れたような顔をした。
とても、人に告白をしているようには見えないんだけど。
「じゃあなまえは僕のことどう思ってるの?」
「・・・・・・っ」
どうって・・・、そんなの。
・・・・・・どうなんだろう?
今朝一番に電話をしたのが総司なのは、そういうことなの?
何をしていても一番に顔が浮かぶし、楽しいことも、悲しいことも、全部総司に話したいと思うし。
いつも傍に居たいと思うし。
離れたくないって、思う。
私は・・・・・・、私は総司をどう思ってるんだろう。
「・・・・・・好きか嫌いかって言えば、好きだよ」
さっきまで寒そうに制服のポケットに入れていた総司の手が、私の手を取った。
懐かしいような、でも、私が知ってる総司の手と違う気がして、心臓がバクバクと音を立てて私を煽る。
「じゃあ決まりだね」
にやりと笑う総司を見て、頬が熱くなる。
ああ、これが恋なんだ。
END