色づき始めた世界



 あの日からずっと、私の世界は色を失っていて、世界を彩る色を求めていた。信号待ちのその先に、あなたが立っているんじゃないかって探してしまう。
 いるわけ、ないのに。


「…………なまえ?」


 いるわけないって、そんな夢みたいなことがそう簡単に起きるわけないって、思ってたのに。










 息が止まるって、こういうことなんだ。
 時の流れから取り残されて酸素を失った肺が悲鳴を上げてる。声を拾った鼓膜が震えてる。
 間違えるはずがない。なかなか変わらない赤信号にやきもきしながら立ち尽くしていたって、背後から聞こえてきた彼の声を、他の誰かと間違えたりするはずがなかった。
 何度も夢見て、飛び起きて、でも結局一度も耳にすることがなかった声。運命という呪いのような言葉を告げられてから、くり返しシミュレーションして、結局一度も実現しなかった再会が、今、背後に迫っている。
 どんな顔、すればいいんだろう。あんなに思い描いたのに、わからない。夢で見るたびに、私の表情は白くぐちゃぐちゃに塗りつぶされていたせいで、お手本とすべき顔がわからなかった。壊れた人形のようなぎこちない動きで、私は振り返った。

「久しぶり」



 ああ、あの時と、おんなじだ。あの時とおんなじ顔で、総司が笑ってる。



「元気だった?」
「……うん」
「こんなところで会うなんて、びっくりしたよ」
「たまたまね、取引先に用事があって」

 総司は、いつも何を考えてるのか読み取れない人だった。今も、相変わらず飄々としていて、口元にふんわりと笑みを浮かべたりしていて、わからない。
 だって、総司が言ったのに。次に会えたら、運命かもしれない――そう、言ったのは総司だった。そして私たちは再会した。どこにでもあるような交差点の、信号待ちで、偶然に。
 なのに総司はそんなこと一言も言わない。びっくりした、なんて言ってるけどどれほどびっくりしてるのか私には全然わからない。本当は微塵もびっくりなんてしてないのかもしれない。今日の運勢は大吉でした、朝の占い程度にしか、思ってないのかもしれない。
 再会を望んでいたのだって、きっと私だけで、総司にとってはどうでもよかったのかも。

 くしゃり、と両手に提げていた紙袋の取っ手が潰れた。

「なまえ?」
「え、あ……」
「行かないの?」

 信号が、青に変わっている。
 歩き出した総司の後ろを、小走りでついていく。あまりにも自然に名前を呼ばれて、懐かしい背中を追って、まるで付き合ってた頃に戻ったみたいだ。
 ……だめだ。またそうやって、期待してる。
 もう二度と期待なんかしないって決めたのに。自分が好きになった分だけ彼も好きになってくれるって、がんばって努力して自分を磨けば彼も振り向いてくれるんだって、そういう甘い夢を見るのはやめようって、決めたのに。本物の総司を前にすると、居てもたってもいられなくなる。後で傷つくだけなのに。そうやって、かつてたくさん傷をつくったのに、全然懲りてないみたいだ。
 余裕、ないんだな、私。そして、帰ったらまたボロボロ泣くんだろう。

「……ねえ、総司」
「何?」
「信号、渡りきったら、右? 左?」
「……右かな」
「なにその曖昧な答え」
「なまえは?」
「……左」
「そっか、じゃあ…………バイバイ」
「うん」

 横断歩道の白と黒は、あっという間に途切れてしまって、私たちは向こう岸についた。この先の道は、総司が言ったように反対方向。私は左、総司は右に。まるで今の私たちみたいに、すれ違っていく。

 バイバイ、と言った彼は、何事も無かったようにそうやって手を振っていなくなった。
 立ち止まりも、振り返りもしない。引き止めてもくれない。

 もし、私がこの交差点を右に回る運命だったら、何か変わっていたんだろうか。
 もし、取引先との約束をすっぽかして、このまま総司の後を追っていけるような性格だったら、未来は変わっていたんだろうか。
 運命は、本当に運命になっていたんだろうか。

 考えたってキリがないのに、重い荷物を抱えて一人で歩く大通りは、寂しいという気持ちを加速させていく。嫌なことばかり考えてしまう。総司にとって、あの言葉は全然意味なんてなくて、ただ単に私が舞い上がって踊らされていただけじゃないかって。




『次に僕らが会えた時は、運命かもしれないね』




 あんたは確かにそう言った。そういう楔を私に残した。
 けれどその言葉が、本当に重みを持っていたのか、今となっては私にはわからない。私が勝手にそう思っただけで、総司は何も考えず適当なことを言っただけ――そうやって私をおちょくっていただけ、かもしれない。総司のことだってよくわからないのに、その言葉を鵜呑みにするのがよくないことだって、少し考えればわかること。
 でも、信じてみたかったんだ。彼の言葉を信じて、縋って、そうしたら生きられる気がしたから。
 私の想いも報われるんじゃないかって思えたから。

 いつか、彼から連絡がくるんじゃないかって。
 いつか、私に会いたいって言ってくれるんじゃないかって。
 やっぱり君がいい。そうやっていつか、彼が振り向いてくれるんじゃないかって。


「…………っ」

 涙が滲む。俯いたらぼたぼたと落ちてきそうな涙を、瞬きで乾かして誤魔化した。また、パンダみたいになってるのかな。怖くて、鏡は見られなかった。
 頭を下げに行くにはちょうどいい顔だ。申し訳ないという悲壮な顔をするにはこのくらいでちょうどいい。唇を噛んで真面目な顔を取り戻す。
 私は今、仕事でここに来ているのだから。



 取引先に着くのとほぼ同時に、午前にあるはずだった納品物も到着した。
 配達側の不手際で遅れたらしい。ドライバーが申し訳無さそうな顔であちこちに頭を下げていた。なんだ、こっちのミスじゃないんだ。よかった。
 安堵はしたけれど、謝罪もせずに帰ったらそれこそ大目玉。エレベーターに乗って、上のオフィス回を目指した。
 案の定、にこにこした顔で「わざわざありがとう」なんて労われた。これくらいしないと納得しないくせに。それこそ烈火のごとく怒りの電話をかけてくるくせに。……という言葉は飲み込んで、私も笑顔で応対した。

 とにかくこちらとしては何事もなかったことを報告しないと。社に残った他のメンバーも、ハラハラしながら待ってるに違いない。
 電車を降りてからしまっていた携帯を鞄からから取り出す。

「……っ!」


 メールが一件、届いていた。
 …………まさか、まさか。

 慌てて携帯を鞄のポケットに戻した。
 期待してはいけない。メールを送ってくる相手なんていくらでもいる。こういう時に限って、ダイレクトメールだったりもする。
 相手が総司だなんて、決まったわけじゃない。

 なのに期待してしまう。あの言葉はその場限りの戯れなんかじゃなくて、彼が考えて伝えた言葉だったんだって。それを信じて待ち続けた私は間違っていなかった、彼と再び出会うことは運命で決められていたのだ、と。

 何回裏切られたって、私はバカみたいに夢見てしまうのだった。

 深呼吸一つして、しまったばかりの携帯を取り出した。画面を点灯させると、未読メッセージの存在を告げるイルミネーションが光る。
 メールのアイコンをクリック。そして開かれた画面には、



“差出人:沖田 総司”





「…………っ」




 彼の名前が、確かに、映しだされていた。
 手が震える。どれほど待ったことだろう。どれほどこの日が来るのを待ち焦がれたことだろう。
 長い間、もう遡ることもできないほどにずっと前から待ってた。きっかけなんかとうに忘れてしまって、それでも『好き』は加速していった。

 なのに、あの人は私の前から居なくなってしまって。
 それが今、別れてから一度も連絡をくれなかったあの人の名前が表示されている。嬉しさの反面、わずかな躊躇いも浮かんでくる。

 どうして、今、なんだろう。

 きっと今日総司と出会ったのは運命にしろ何にしろ、ただの偶然だ。信号という場所で交差して、横断歩道を渡ったら、別々の方向に向かった。再会したのはほんの一瞬のできごとだった。
 その再会は、余韻に浸るほどたっぷりとしたものではなくて、むしろあっさりと淡白に終わった。だって総司、久しぶりに会ったっていうのに、前に会った時はあんな言葉を残していったっていうのに、いつもと何一つ変わらない顔で手を振って、何事もないようにさっさと歩いていってしまったでしょう。

 そう、まだ、メールの本文を見なきゃ、何もわからない。
 もう一度、クリック。





『覚えてるかな。……ねえなまえ、運命って信じる?』



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