私は、着信中のスマホ画面を見て固まっていた。
表示されたのは、生意気な弟の見慣れた名前。
「・・・もしもし」
『遅ーい』
「は?」
『どうせ彼氏もいなくて暇してる癖に、電話くらいすぐに出られないわけ?』
案の定、イライラとした声が私の耳に届いた。
それに言葉を返すと結局言い合いになってしまうことは学習済みだ。
残念だが口喧嘩で風斗に勝てる気がしない、というかいつも完璧に丸め込まれてしまうのだ。
言い返したい気持ちを殺して、私はやや顔を引きつらせながら答える。
「・・・・・・すみませんでしたー」
『ねぇ、迎えに来て』
「・・・何・・・?」
・・・私の耳がおかしくなければ、迎えに来てとそう聞こえた気がするのだけれど。
『言ったよね、僕今日雑誌の撮影があるって。いつものスタジオに居るから』
「いや、あの・・・どこに、じゃなくてさ。何で?マネージャーさんは?」
『知らない。いいから早く来てよね』
「ちょっ、風・・・!」
我が弟ながら、もうすこしどうにか可愛く言えないものかと、一方的に切られた電話に深い溜息をついてしまった。
でも私、弟の中でも風斗には特別甘い気がする、ていうか甘い。他の兄弟達にも言われたし、自分でも自覚している。
だってほら、手の中にはもう、車の鍵。
スタジオの駐車場、つまらなそうに唇を尖らせながらスマホをいじっていた風斗を見つけた。
また遅いって言われそうだよなあ、そんなことを思いながら車の中から電話を掛ければ、呼び出し音が鳴ったその瞬間、嬉しそうに破顔した。
(なんだ、そういう可愛い顔、出来るんじゃない)
すると風斗は、周りを見渡しながら電話に出るとまたすぐに、あのふてくされた顔に戻ってしまった。
『・・・・・・遅い』
さっきの可愛い顔は何処へやら。
助手席に乗り込んだ風斗に、途中寄りたいところがあるかと問えば、
「姉さんのマンションにまっすぐ帰ろうよ」
なんてさらりと言い放った。
「・・・はい?何言ってるのかな?」
「だから、今日は姉さんのマンションに泊る。ねえ、良いでしょ?僕疲れてるんだよね。帰ってあいつらの顔見たら余計疲れちゃう」
はあー、と重い溜息をつきながら、シートを少し倒した。
「え・・・待って待って、姉さんだって疲れているんだけどな、風斗くん?」
「わかったよ、じゃあ・・・」
私の耳元に唇を寄せた彼は、年下のくせに色気のある声で囁いた。
「僕が癒してあげるから・・・ね?」
血は繋がっていない。
大学3年の時に再婚した親の都合で朝日奈家にお世話になることになったけれど、卒業してすぐに一人暮らしを始めた。
別に男ばかりの家に居るのが嫌になったワケでは決してない。
むしろ居心地が良すぎて、他の兄弟たちに甘えてしまうだろうと思ったのだ。
「・・・疲れてるんでしょ、はい、この前置いてったやつ」
シャワーを浴びるだろうと、スウェットとタオルをバサリとベッドの上に放った。
案外聞き分けがよかったのは、本当に疲れていて早く眠りたかったからなんだろう。
スタジオからなら、ここよりもサンライズレジデンスの方が近いのに。
わざわざ私のマンションが良いだなんて。
「・・・・・・ん・・・あ、れ」
なんだか暑いな、とゆっくりとまぶたを開けば、2時をさしている時計が目に入った。もちろん、深夜である。
しまった、うたた寝しちゃったんだ、と気がついた割に私はちゃんとベッドの中に居た。
「おはよ、ねーさん」
なるほど背中の暑さはこいつのせいか。
「・・・うん、おはよう風斗」
もぞもぞ、と寝返りを打てば、私を後ろから包み込んでいた生意気な弟の整った顔。
「ねえ、なんの夢見てたの?」
「・・・夢?」
「寝言で僕のこと好きって言ってた」
と、悪戯な顔で笑う。
「・・・寝言じゃなくても、風斗のことは好きだよ?」
風斗が言った言葉が私を困らせたい為の嘘だったとしても、もちろん私のは嘘ではない。
大切な家族の一員で、大切な弟だ。
別にそう伝えたわけでもないのに、なんだか少しふてくされたような声になってしまったのは、きっと“家族として風斗が好き”なのが伝わったからだろう。
「ねぇさん、」
「何?」
「・・・僕はねぇさんのこと、“ちゃんと好き”だけど」
簡単に、私を組み敷いた弟の顔に、ドキドキした。
テレビとか雑誌とか、そういうんじゃ絶対に見られないその顔を、私が独り占めしてることの、優越感。
その笑顔があんまり綺麗すぎて見惚れていれば、頬を優しく撫でられた。
「言ったでしょ?癒してあげるって」
「バカ・・・」
「あれ、知らないの?恋をしてる時は誰でも馬鹿になってるんだよ」
「そういうこと言ってるんじゃなくて・・・。一応私たち、キョーダイだから・・・」
「・・・まだそんなこと言ってるわけ?本当、ねぇさんは頭カタイよね」
「ふ、風斗!?」
「家族とか、キョーダイとか、弟とか、そういうの全部、」
どうでもいいけど君が好き
可愛がっていた弟からのキスで、思い知らされた。
私が風斗に特別甘かったのは、ただ可愛いからじゃなくて。
ほら、もう一度。
近づく唇に、期待する。
ああ、もう。
いくら境界線を作ろうとしたってたぶん無意味だ。
それならいっそ、大好きで居ても、良いかな。
生意気で、強がりで、でも一生懸命で、頑張り屋さんな弟に、恋をしても、良いかな。
「風斗・・・?」
「なに?」
「・・・大好き」
たくさん、甘やかしてあげる。
2015.05.05〜2015.09.30
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