hajime's birthday 2015
The Eagle/城里ユア



「……一杯、行きませんか」

自信など、一欠片も持ち合わせてはいなかった。
俺では力不足なのも、重々承知していた。
ただ、放っておけなかった。

そのような俺の誘いに、あんたは静かに微笑った。



12月31日、大晦日。

年中無休のホテル業に、仕事納めなどあるはずもなく。
一年の最後の一日も、当然俺たちは仕事だった。
繁忙期の中でも特に多忙を極めた一日の終わり、タイムカードを切ってみれば時刻はすでに23時になるところで。
家に着く頃には年が明けてるね、と苦笑したあんたと共に、フロントバックを後にした。
互いに制服からスーツに着替え、ホテルの従業員通用口をくぐる。
ニュースでアナウンサーが今年一番の寒波と称した通り、外気は肌に突き刺さるような冷え込みだった。

「あーーー、寒いっ!!」

首に巻いたマフラーに口元を埋めたあんたは、そう言って手を擦り合わせた。
駅に向かい並んで歩き出せば、俺たちの間を冷たい風が吹き抜けていった。


ずっと、その姿を目で追ってきた。
それこそ、入社した直後から、ずっと。

忙しい中でも崩れることのない笑顔。
客と真摯に向き合う姿勢。
スタッフと冗談を言い合って笑う声。
俺に業務の一から十までを教えてくれた真剣な瞳。

全てに、焦がれていた。

だが、手を伸ばしたことなどなかった。
あんたにはずっと、大切な人がいた。
俺の付け入る隙などないと理解していたし、そうでなくとも手が届くとは到底思えなかった。

故に、ただ見つめていた。
フロントで、バックヤードで、時々開催される飲み会で。
俺よりも年上だとは思えぬほど無邪気に表情をくるくると変え、常に皆の中心に、そしてあの人の隣にいるあんたを、ずっと見てきた。

だからこそ、分かってしまった。



駅で別れる直前に、渇いて張り付いた喉から声を絞り出した。
かつて、二人きりで飲みに行ったことなどなかった。
あんたは一瞬、驚いたように俺を見た。
そして、静かに微笑んだ。

「……うん、行こうか」


駅の構内に入る手前で引き返し、裏通りのバーを選んだ。
薄暗い店内に、客の入りは半分程度だった。
年越しを共に過ごそうとする恋人、一人きりのビジネスマン。
客層は様々なように見えた。

カウンターの端、二脚並んだスツールに腰を下ろす。
タリスカーを注文すれば、隣であんたは同じものを、と言った。

「今年も一年お疲れ様」

小さな音を立てて重なった、背の低いグラス。
傾ければ、舌の上を力強いモルトの香味が滑っていった。

しばらく、他愛のない話をしていた。
主に仕事のことだ。
ここ一ヶ月の客室の稼働率、先日突発的に起こった客室のトラブル、スタッフのスキルや課題点。
あんたの直属の部下として働くようになってから、早数年。
重要な仕事を任せてくれるようになり、不測の事態があればあんたはまず初めに俺を呼んでくれる。
信頼してもらえていると、自覚していた。

しかし、それだけだった。


「それにしても、ねえ……」

それまで、ずっと避けていた一つの名前があった。
だが、仕事の話をしていると、どうしてもそこに行き着いてしまう名前でもあった。

「今年もあの人は鬼だったね、本当」

あの人、と。
そう呼んだあんたは、哀しげに笑った。
誰のことを指しているのか、問う必要などなかった。

副総支配人、土方歳三。
あんたの直属の上司であり、延いては俺の上司にも当たる。
仕事の鬼と称される厳しい人だが、その辣腕ぶりは周知の事実だ。
俺自身、とても尊敬している。
たとえ、あのようなことがあったとしても。

「まさか、この歳にもなってクリスマスに別れ話なんてね。少女漫画みたい」

そう言って、あんたは自嘲気味に溜息をついた。
気付いてはいた。
だが、本人の口から聞いたのは初めてだった。

「……何か、あったのですか」

理由を問うたとて、何になるわけでもない。
だが、気にならないと言えば嘘になった。
何年の付き合いだったのか、将来についてどのような話が二人の間にあったのか。
俺は何も知らぬ。
だが、結婚を意識してもおかしくはない年齢だ。
何故このタイミングで、別れるという決断をしたのだろうか。

「何かっていうか、……そうだなあ、」
「……申し訳ありません、立ち入ったことを、」

言い淀んだあんたを見て、己がいかに失礼なことを訊ねたのか今更ながらに思い知った。
しかしあんたは気にしてない、と苦笑した。

「お互いのね、望むものが違ったんだよね」
「望むもの、ですか」

寂しげな横顔が、小さく頷いて。
華奢な指先が、グラスに触れた。

「……同じ未来がね、見れなくなって。だったらもう、一緒にはいられないねって」

そう言った唇が、グラスの中身を呷った。

それはあまりに抽象的で、その内容に理解は及ばなかった。
それは、意図して選ばれた言葉なのか否か。
少なくとも俺には、それ以上踏み込むことなど出来なかった。

長い沈黙が落ちた。
その空気を破ったのは、俺でもあんたでもなく。

あけましておめでとう、という特有の挨拶だった。
静かなバーに相応しく、決して騒々しくはない程度に。
それでも、先程までよりも話し声の大きくなった店内。
腕時計に視線を落とせば、なるほど確かに時計の針が二本とも真上を指していた。

「斎藤君、」

年が明けましたね、と。
そう言い掛けた俺の言葉はしかし、あんたの声に遮られた。

「はい」

隣に視線を送れば、あんたも俺の方を見ていた。
暖色の間接照明に照らされたその表情は、どこか穏やかだった。

「誕生日、おめでとう」

そして、告げられた言葉に息を飲んだ。
あんたが選んだのは定番の挨拶でもなく、新しい年への思いでもなく。
俺の誕生日を祝う言葉だった。

「覚えて……」
「そりゃ、一度聞いたら忘れないでしょ」

そう言って笑ったあんたを見て、何故か胸が締め付けられた。



「うーーー、お酒入れてもやっぱり寒いね」

そろそろ行こうか、と。
あんたに促され、店を出た。
外はより一層寒さを増したようだった。
駅への道を再び、肩を竦めながら歩く。

「ありがとね、」

不意に隣から掛けられた声に、振り向けば。
あんたは眉尻を下げ、自嘲気味に笑っていた。

「気、遣ってくれたんでしょ?」

土方さんとのこと、と。
声にならなかった言葉までもが、聞こえた気がした。

「最初のお祝いが私でごめんね。あとで可愛い彼女さんにお祝いしてもらってね」

まるで、軽口のように。
あんたの口から出てきた言葉に、ちくりと神経を刺激される。

「恋人などいません」

思わず、少し語気が強くなった。
俺の返事を意外に感じたらしい。
あんたは何も言わなかったが、視線だけは俺に向けられたままだった。

「……それに、あんたが謝ることなど何もありません」

嬉しかったのだ。
一月一日、確かに覚えやすい誕生日だろう。
だが、それでも嬉しかった。
あんたの口から、俺の誕生日を祝う言葉を聞けた。
そこに深い意味などなく、偶然シフトが重なり共に飲んでいたからに過ぎぬと理解していても。

「あんたを誘ったのは、俺です」

特別な感情など、何もなかったとしても。

この、寒い夜に。
俺にとっては特別な、この夜に。

「……なまえさん、」

今だけは、許してほしい。
一度だけ、許してほしい。


「他の誰でもない。あんただから、傍に居たいと思ったのだ」


コートの上から抱き締めた身体は、小さかった。
冷たく、華奢で、職場で見せる明るい姿が嘘のように儚かった。

「…………ありがとう、」

俺の腕の中で、そう呟いたあんたを。
いつか、温められる日が来れば良いと。

そう、願った。




深夜1時の溶けゆく想い
-寒空に、凍えた身体に、そして心に-


The Eagle/城里ユア


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