hajime's birthday 2015
さかなざ/Mifuyu


今朝も、いつもと変わらない時間に目が覚めた。
きっとこれは一種の職業病みたいなものだろう。

寄り添うように私を包んでいてくれる愛しい人の腕の温もりをそっと外しながら、私はゆっくりと半身を起こした。
寝室はまだ静かな暁闇の中にいた。
タイマーが切れたストーブの余熱がすっかり失われて、冷気が部屋の空気を研ぎ澄ましていた。

布団の上に置いていた綿入りの上着を羽織ろうと手を伸ばすと

「なまえ・・・」

愛しい人が、私の名を呼んだ。
声音のした方をふり向くと、蒼い瞳がぼんやりとこちらを見つめていた。

「今日は休みだから、まだ寝ていて大丈夫ですよ」

彼の深紫色をした柔らかいくせ毛をそっとかき上げて、私はその額に唇を寄せる。
私の言葉に安心したかのように彼は一度頷いて、また静かに眠りに落ちていった。

いつもの仕事場ではなく、私は台所へと向かった。
今日から、また新しい一年が始まる。

ガスコンロの上にお祭りしている竈神に手を合わせてから、水を入れた鍋を置いて今年初めての火を点けた。

昨晩のうちに浸しておいた大豆を当たり鉢で滑らかになるまで砕いてから、沸騰した鍋に入れる。
いつもは大釜で煮る呉汁を、今日は家庭用の小さな鍋で静かに煮詰めていく。
私の新年は、こうして愛しい人に今年最初に食べさせるための豆腐を作ることから始まる。

これは結婚してから毎年続けている、私だけの大切な新年の行事だった。

私の作る豆腐を誰よりも愛してくれる旦那様は、今日・・・1月1日が誕生日で
彼はどんな新年のご馳走よりも、出来立ての豆腐が食べられることを喜んでくれるから。



1月1日



彼と初めて会ったのは、まだ私が高校生だった時分で、それはたしか雲ひとつなく晴れた初夏の朝7時のことだった。
まだ閉まったままの店の窓の向こうに、何となく人影が見えたような気がしたので、私は慌てて鍵を開けて外を見た。

そこには、知らない男の人が立っていた。
こんな田舎町には珍しい・・・それはもうビックリするくらいにカッコいい人だった。

「此処は、みょうじ豆腐店でよいのだろうか」

彼はこんな早朝から、うちの店にわざわざ豆腐を買いに来てくれたお客さんのようだった。
うちの開店時間。ホントは8時30分だったんだけど、私はつい、お店を開けてしまった。
豆腐はもう出来ているのを知っていたので、奥で作業するお父さんに断ってから接客した。

「社員食堂の冷奴がとても美味かった故、調理担当から教えてもらった」

彼はそう言って、木綿豆腐を一丁買って帰った。

「さっきの人ね、お父さんの豆腐を気に入って買いに来てくれたみたいだよ」

彼がうちの豆腐を「美味い」と言ってくれたのが何だかとても嬉しくて・・・私は作業中の父親にも教えてあげた。

「社員食堂の冷奴が美味しかったんだって」
「それじゃきっと、この先の工業団地に勤めている人だろうよ」

父親が仕事の手を止めずに答えるのを聞いて、私は、先ほどの彼のことを思い出していた。
多くは語らなかったけど、そういえば彼の話す言葉はこの辺りの土地の人とは違っていた。

ああそうか。

彼があんなにカッコいいのはきっと、都会からこの町に転勤してきた人だからに違いない。
私はその時、何となく思いついた理由に納得していた。それくらい彼は、素敵な人だった。

それから毎朝7時になると、彼は豆腐を買いに来た。

基本的に7時だと両親は作業中だったから、その後もずっと私が彼に豆腐を販売した。
雨の日も、風の日も、雪の日も・・・本当に彼は一日も欠かさずに買いに来てくれた。

挨拶くらいしか出来なかったけど、いつの間にか・・・私は、彼に会える朝が来るのを心待ちにしていた。

私が高校卒業して家業の豆腐店を手伝うようになると、我が家の開店時刻はもう実質7時になっていた。
そして毎朝豆腐を買いに来てくれる彼の名前が「斎藤さん」だということを、家の誰もが把握していた。
斎藤さんの勤め先が、近所の工業団地にある半導体部品工場で、彼は東京の本社からこの工場へ出向で来ているということも・・・

両親は毎日欠かさず買いに来てくれる斎藤さんを、勝手に息子のように思って親しくしていたけど、私は・・・あまり仲良くしないようにしていた。
だって、斎藤さんはいつか東京に戻ってしまうのが解っていたから。
斎藤さんは見た目もとてもカッコよくて素敵な人だったけど、それ以上に・・・とても誠実な人だということが解ってしまったから。

私がどんなに彼に想いを寄せても、斎藤さんはいつかこの町を離れていく。
私には、この土地で豆腐を作り続けていくという既に決まった未来がある。

だから今、斎藤さんが美味しいと言って毎日食べてくれる豆腐を作り続けることが私の小さな幸せで、それ以上は望んでいなかった。


私の小さな幸せに陰りが見え始めたのは、秋の終わりだっただろうか。

それまで毎朝買いに来てくれていた斎藤さんの来店時間が不規則になり・・・数日おきに変わっていった。

半導体部品工場の本社が外資系の会社に買収されて、年内で工場閉鎖するらしいという噂が町に広がったのもちょうど同じ頃だった。
小さな田舎町で工場が閉鎖するということはとても大きな痛手だ。うちの店にとっても大口の顧客をひとつ失うことになるのだから。

工場が閉鎖されるのなら、斎藤さんも東京に戻るのだろう。

斎藤さんは本社に戻る日が決まったのなら、さすがに私達にも教えてくれるのではないかと思っていた。
彼の来店時間がこのところ不規則なのは、工場閉鎖に伴う業務が多忙を極めているのだろう。

でも彼は、何も言わなかった。

いつものように豆腐を一丁買って帰るので、私もいつものように笑顔で対応していた。
斎藤さんの態度は少しも変わることがなかったから、実は工場閉鎖の噂は間違いなんじゃないかと勘違いしそうだった。

だけど私は、本当は毎回泣きそうだった。

彼から「今日で最後」という言葉が、その口から零れるかもしれないと思う度に身を切られるような気がした。
斎藤さんに気楽に話しかけられるはずの両親さえも、彼に対していつまでこの町に居るのかとは聞けなかった。

半導体部品工場の厨房担当者から、年内最終営業日を以て工場を閉鎖するという正式な連絡が届いた。
それは、うちの最終営業日よりも数日ほど早い日付だったように記憶している。

工場閉鎖の前後は特に忙しかったようで、斎藤さんが久しぶりに豆腐を買いにやって来たのは12月30日のことだった。

「木綿を一丁」

いつもと同じように私に注文する斎藤さんの姿が、ほんの少し涙で滲んでしまった。
彼が望むなら豆腐を東京に定期的に送ってはどうかと両親が話していたから、ホントはその話をしないといけなかったのだけれど言葉が出なかった。
これが最後に違いないのに、私は無理やり笑ったような変な笑顔しか出来なかった。

「なまえ、来年もまた・・・よろしく頼む」

彼の口から信じられない言葉がこぼれた。

「・・・斎藤さんは・・・東京に戻らないんですか?」
「この町に、残ることにした」

「だって・・・お仕事は・・・工場は・・・」
「有志と共に、来年から新会社を立ち上げることになる」

従業員全員は救えないけれど、何とか操業が続けれられるように微力ながら協力するつもりだ。と、斎藤さんは言った。
このところ彼が毎日豆腐を買いに来れなかったのは、工場を存続させるために奔走してくれていたからなのだと判った。

「斎藤さん・・・この町には縁もゆかりもないのに・・・」

私の言葉に、一瞬驚いた彼の目が泳いだように見えた。

「・・・まさか、豆腐・・・ですか?」
「そ、そんなことは・・・いや・・・確かになまえの豆腐が好き・・・ではあるが・・・」

斎藤さんがいくら豆腐好きでも、そのために自分の人生を変えるような選択をする人には見えなかったから、急に口籠り始めた彼の姿をただじっと見つめていた。

「あんただから、傍に居たいと思ったのだ」

それは、思いもよらない言葉だった。

「新しい会社が落ち着いたら・・・なまえと・・・・・・」


その先のプロポーズの言葉が聞こえないくらい、私は大泣きしていた。



一さん、お誕生日おめでとう


私が台所にやって来た時は暗かった窓の外も、いつの間にか白い光に包まれていた。

少し寝癖がついたまま台所に現れた旦那様に、私だけの特別な年始のあいさつをした。
テーブルの上のおせちと共に並ぶ出来立ての豆腐を見た一さんが、嬉しそうに微笑む。


――今日から始まる新しい年もまた、穏やかな一年となりますように


Fin.


さかなざ/Mifuyu


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