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彼女の理由
「触らないでっ」
そう、声を荒げる君を初めて見た。
振りほどかれた僕の右手は、行き場を失って宙に浮いたまま。
やっぱり君は、何か隠してる。
僕は、どうしたら君の心を抱きしめてあげられるんだろう。
Act.01 翳り
外界から閉鎖された、真っ白で無機質な薬臭いその空間が、僕は嫌いだ。
しかし、その嫌いな場所を頼らなければならなくなったのは、先程なまえちゃんが倒れたせい。
立ちくらみを起こしてよろめいた君を支えようと手を伸ばしたら、あっさりと跳ね返された。
それが、あまりにもショックすぎて呆然と立ち尽くしていた僕の目の前で、君が大きな音を立てて倒れたんだ。
「貧血、ですね」
少し低い、診察椅子は座り心地が悪かったけれど、そんなこと、どうでもよかった。
何か大きな病気だったらどうしようかと心配していた僕は、吸い込んだ息をゆっくりと、すべて吐き出した。
「食生活が偏っているようですが・・・」
ぐったりとベッドで横になっている君の代わりに、僕が診断結果を聞いていた。
正直僕は、会社以外で彼女に会う事など無かったから、どういう生活をしているのか興味はあれど、踏みこむ事はしなかった。
そう・・・できなかったのは、一度彼女に言われたから。
―――ほっといて下さい。
拒絶されたことに僕はどうして良いか分からず、いつもなら軽く飛び越えられるはずのその線を、跨げずにいた。
「すみませんでした、会議」
「いいよ、僕らなしで進めてる筈だから」
君が休んでいる個室へと案内されれば、ふてくされた顔の君に迎えられた。
申し訳なさそうな声色でそうつぶやいた君のベッドに腰をおろせば、僕から視線を外して口をつぐんだ。
「ただの貧血だって」
原因を自分で分かっているらしい君の、表情が変わる事はなかった。
華奢な首元のラインや、はっきりと浮き出た鎖骨。
それから、僕が力を入れれば折れてしまいそうな細い手首。
君が見つめる夏の終わりの景色がどう映っているのかなんて僕には分からない。
「帰らないんですか?」
沈黙を破った君の言葉はやっぱり冷たかった。
どうしても僕を、そばに置いておきたくないらしい。
「・・・・・・なまえちゃんが落ち着いたら送って行くよ」
す、と君の顔がこちらへ向いて、真っ直ぐに届いたその視線に捕えられた。
「・・・・・・平気ですから、帰って下さい」
揺れるその瞳を見続けることが出来なくて、僕から視線を逸らしてしまった。
「そう?じゃあ、帰ろうかな・・・・・・」
立ち上がり、扉に手をかけると、後ろから消えそうな声が聞こえた。
「ご面倒お掛けしてすみませんでした」
「そこは、“ありがとう”って言うところだと思うよ?じゃあ、お大事に、ね」
バイバイ、と手を振りながら、僕は扉を閉じた。
本当なら、意地でも送って行くよと言いたかったけれど、これ以上君に嫌われるのは困る。
一度だけ見せてくれた笑顔を、もう一度見たいと思う僕は、わがままなのだろうか。
―――去年の12月。
1年の思い出話に夢中な女子社員達の会話を話半分に聞きながら、僕は視界の端にちらりと映る後ろ姿の君へ視線を送っていた。
こういう、賑やかな場所は苦手だと思っていたから、君が参加すると聞いて僕は慌てて欠席を取り消した。
「あ、ごめん、彼女から電話」
「え〜!」
「すぐ戻ってきてくださぁい」
うそ。彼女なんていない。
けれど、僕が入社した昨年、色々と面倒なことが起こったから、適当に作り上げた“架空の彼女”と付き合っている。
携帯を耳にあてながら、電話に出るフリをしてその場から離れた。彼女達の会話は聞いてるだけで疲れる。キーンとした耳障りな声と、口調と。
周りではしゃぐ同僚や酔い潰れている後輩達を尻目に、忘年会で貸し切られた居酒屋の隅っこに一人座る君の隣に腰をおろした。
「なまえちゃんの彼氏って、どんな人?」
そう質問をした僕に向けられた視線が、何を想っているのか読み取れないほど普段と変わらない。
正直、“沖田さんみたいな人だったらよかったのにな”なんて、言ってくれるんじゃないかなってちょっぴり期待してたんだ。
「・・・聞いてどうするんですか?」
結構飲んでいる筈なのに、酔っているようには全く見えない。
ほんの一瞬だけ僕を捕えたその瞳は、手元のグラスへとゆっくり落ちた。
「興味があるんだ、君に」
テーブルに頬杖をついて、彼女を閉じ込めるように覗きこんだ。
「物好きですね」
肩をすくめて苦笑いを落とした君の、その笑顔がものすごく綺麗だった。
溶け切った氷で薄められたウーロンハイを煽って、君の喉がゴクリと鳴った。
「私の彼氏、犯罪者」
―――え?
「沖田さん、早く戻らないと。彼女達の視線が痛いです」
その声でハッとして振り向くと、一つテーブルをはさんだ向こうになまえちゃんを睨んでいるさっきの女子社員達。
振り向いた僕に気付くと、笑顔で手を振っていた。
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