「おつかれー!」
会社の同期沖田くんと、現在私の家で飲んでいる。
入社当初からお互い気が合って、席が近かったこともあり、お昼もほとんど一緒に行っていた。
たまたま定食屋の片隅のテレビで流れていた映画のCMに「あ、あれ見たいんだった」と呟けば、「一緒に行ってあげようか?」なんて言われたその一言がきっかけで、何回か二人で休日出かけたこともあった。
彼の隣は居心地が良いし、気を遣わずに居られると思っていた。男女の親友ってこんな感じだろうなって、思ってた。
けれど、突然私が彼を意識してしまったのがたぶん、いけなかったんだと思う。
『・・・・・・・・・っ、』
『なまえちゃん、見て、あれ・・・・・・って、どうかした?』
『ど、どうもしませんっ』
というか、意識せざるを得なかった。
急に肩を掴まれて、人ごみを指さした彼の方に振り向こうとした瞬間、顔が私の真横にあって。
ありえない程の至近距離に、どくん、と一度高鳴った胸は、なかなか落ち着いてくれなかった。
今まで気付かなかった沖田くんの匂いと澄んだ翡翠の瞳に、不覚にも、恋に落ちた。
キスでもされるんじゃないかって、そう勘違いしてもおかしくないくらい、近くで。
それでも、私が踏み込めずにいる理由だってちゃんとある。
触れられたからって、もしかしたら沖田くんも、とかそんなこと思えるほど単純でもない。
「あー、ビールなくなっちゃったー」
グラスの上で、最後の一滴まで注ごうと、少しだけ缶を上下に振りながらそう言った。
私の目の前、テーブルを挟んで座っている沖田くんは、しょうがないなって顔して苦笑いをこぼしている。
「飲んだのはなまえちゃんでしょう?」
「・・・はい、じゃんけん!」
「え、何?買いに行かせようとしてるの?僕負けないけど」
そう言いながら、グラスの中にわずかに残っていたビールを飲み干した彼も、私に習って拳を差し出した。
「せーの、じゃーんけーん・・・ぽんっ」
「・・・・・・ほら」
「なんで?」
「なまえちゃん、出す手がいつもおんなじなの気づいてないでしょう」
「う、うっそだ〜・・・」
「ほら、早く行ってきなよ」
「こんなか弱い女子を、このまま外に放り投げるというのね」
「いろいろ間違っているところがある気がするよ?」
「・・・ねえ、知ってた?本当は3回勝負だったんだよ」
「酔っぱらいの言うことは信じないって決めてるんだよね、僕」
「むー・・・」
コツン、と額をテーブルにくっつけて不貞腐れた私。
別に、ビールを奢るのが嫌なわけでもない。買いに行くのが面倒なわけでもない。
沖田くんと、もっと一緒に居たい。それだけ。
「え、」
急に、私が握り締めていたグラスがするりと手を離れたかと思えば、さっき注いだ最後のビールを、沖田くんが飲み干してしまった。
「わ、私の!」
「・・・ほら、行くよ」
「へ・・・」
「僕も、足りない」
財布を手にして、私の腕をぐい、と引っ張り立ち上がらせた彼は、私の返事なんて待ってはくれなかった。
そもそも、酔っぱらいの思考では、今一体何が起こっているのか、それを把握するのに少し、時間がかかってるのだと思う。
こんな風に一緒にいる私たちだけれど、沖田くんの好きな人のことを、私は知っている。
“可愛いでしょ、千鶴ちゃんて言うんだよ”
今年の春。大学の後輩だと言っていた千鶴ちゃんが受付嬢になってから、沖田くんは会社の受付によく立ち寄るようになった気がする。
自慢気にそう紹介されたときは、もちろん私も彼女を可愛らしい女の子だと思ったし、それを否定する材料が見当たらなかった。
でも、それからだ、たぶん。
いつも遅刻すれすれに来ていた沖田くんが、少し早く出社するようになったのは。
“髪切ったの?似合うね”とか“今日暇?飲みに行こうよ”とかそんな会話を、私は毎朝受付を通るたびに、スルー出来ずに小耳に挟んでいた。
それを見たら、誰だって、気づくだろう。
「買いすぎ?」
「どうせなまえちゃんが全部飲むでしょ」
「うん・・・・・・」
コンビニからの帰り道。沖田くんが全部荷物を持ってくれた。
その代わりに、お財布持ってて、と渡された。
まだ夜は少し涼しくて、私たちの酔いを冷ますように、さらりと風が頬を撫でる。
「うん・・・・・・うん。ねえ沖田くん」
「何?」
「・・・やっぱ、いい」
「気になる」
「怒らない?」
「・・・僕が君に怒ったことある?」
「・・・・・・無い」
「ほら」
そう言えば、沖田くんが怒ったのを見たことないかもしれない。
冷たい言葉を言われたりだとか、からかわれたりすることはしょっちゅうだったけれど。
いらいらをぶつけられるようなこともないし、怒鳴ったりなんてもってのほかだ。
そう考えたら、沖田くんってすごく優しいんじゃないかって、私は俯いて緩む頬を抑えた。
そうこうしてる間にアパートに到着して、沖田くんからビニール袋を受け取り私は冷蔵庫を開けた。
あまり料理はしないから食材もほとんど入っていない。
500缶のビールをしまいながら、私は先ほど言いかけたことをもう一度、呟いた。
「・・・ねえ沖田くん」
「何?」
「千鶴ちゃんのこと、好きでしょう」
「・・・・・・・・・」
「沖田くん?」
返事がない彼の方を見れば、驚いた顔をして固まってた。
図星だった、かな。
それとも、なんで知ってるの、って思ってる?
「見てれば分かるよ」
「・・・参ったな」
「告白、しないの?」
缶ビールを2本、それからおつまみをビニール袋から取り出して、テーブルに広げた。
沖田くんは、私が注ぐビールをじっと眺めながら、何かを考えてるみたいで。
「沖田くんなら、大丈夫だよ」
「どうして?」
「だって、私が保証する、いい男だもん」
「なまえちゃん」
「んー・・・?」
自分のグラスにビールを注ぎながら返事をすると、沖田くんは急に携帯を取り出して立ち上がった。
「え、何、どうしたの」
「ダメだったら、慰めてよね」
「は・・・・・・?」
「このまま、残念会、開いてくれる?」
「う・・・うん」
「今から、電話で告白してくるから、ちょっと待ってて」
急にどうしたんだろう。
私が彼の背中を押してしまったんだろうか。
それとも、酔った勢いなんだろうか。
どちらにしても、まず彼が振られるなんてことはないはずだ。
パタリ、と閉じた玄関の扉。
しん、としてしまったこの空間に、なんとなく寂しさを感じてしまう。
私を置いて出て行った沖田くんを、追いかけて、呼び止めて、行かないで、とでも言えば良かったんだろうか。
私が先に、告白をすればよかったんだろうか。
・・・けれど、誰が見てもわかるくらい、彼は千鶴ちゃんのことを好きなんだから、そんなの言えるわけない。
「あーあ・・・・・・」
テーブルに突っ伏して、私はわざとらしくそう言ってみた。
「私、結構引きずるんだよなー・・・」
そう言えば、昔好きだった人、元気でやってるかな、なんてふと思い浮かべながら、買ってきたばかりのビールをもう一口喉に流し込んだ。
どれくらい、一人でそうしていたかわからないけれど、私はじっと沖田くんを待っていた。
例え彼が笑顔で戻ってきても、肩を落として戻ってきても、私が泣いてはいけない気がして。
「・・・・・・あれ、」
電話だ。
テーブルに置いていた携帯が、震えてガタガタとうるさい音を立てた。
慌てて手に取ると、沖田くんからの着信。
告白は無事に終わったんだろうかと、私は携帯を耳に当てた。
「もしもし・・・?」
『なまえちゃん』
「うん」
『・・・好きだよ』
「・・・・・・・・・え・・・えっ!?」
『僕が好きなのは、君だよ、なまえちゃん』
「な、何言ってるの・・・?」
『僕が千鶴ちゃんを好きだなんて言うから、ちょっと意地悪した。鈍いにも程があるよ』
「嘘・・・」
『ひどいなあ、本当だってば。何回言わせれば気が済むわけ?』
「だって」
『好きだよ、なまえちゃん』
「・・・・・・っ」
私は、携帯をベッドの上に放り投げて、慌てて外に飛び出した。
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「ひとつ聞いてもいい?」
「何個でも」
「なんで、千鶴ちゃんに構ってたの?朝、出社だって早くなったじゃない」
「・・・・・・あー・・・、」
「なに、なんなの?」
「・・・なまえちゃんを、受付で待ってただけ、なんだけど」
「ええ!?」
じゃああの歯が浮くようなセリフたちは一体なんだったんだと突っ込めば、千鶴ちゃんが真っ赤になるのが面白くてからかっていただけなんだそう。
そんなの、ほかの女の子は勘違いしちゃうから絶対しないでね、と念を押しておいた。
「なまえちゃん」
「ん?」
「僕のこと、大好きなんでしょ」
・・・沖田くんが優しいって?
嘘、彼は、意地悪なだけ。
でも、そんなところも。
「・・・・・・うん、大好き」
END
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