「原田さん、おめでとうございます」
社員たちから祝福を受けている左之さんへ、同じように笑顔でそう伝えた彼女が本当は泣きそうだなんて、僕以外に誰が気づくだろう。
「改まって言われると、照れるもんだな」
そう言ってはにかんだ左之さんを見つめる、彼女の切なそうな瞳のせいで、僕の方が泣きそうになって思わず目を逸した。
いつも強がって、一人で頑張ってる彼女。
後輩の尻拭いとか、ほかの社員の残業手伝ったりとか、そんなの本人にやらせればいいのに。
放っておくことができない、見て見ぬふりとかできない優しい子なんだ。
ほかの人に迷惑をかけたくないとか絶対思っていて、弱音だって吐くことはない。
だから僕は、そんな彼女がたまらなく心配で、守りたいと、思ってしまった。
「なまえちゃん、今日飲み行かない?」
「・・・今日は一人で居たいかも。ごめんね、ありがと」
彼女―――なまえちゃんとは会社の同期で、席も隣だから割とよく話す仲だった。
自分の想いすら伝えられずに失恋した彼女を、なんて言って慰めていいかわからなかったけど、きっとこういう時は、そばにいるだけでも違うんじゃないかって思ったのに。
仕事終わりに声をかければ、案外あっさりと断られたのにほんの少し―――否、すごくがっかりした。
“今日は付き合ってくれるよね”なんて、それくらい言ってくれたら良いのに。
苦笑いを浮かべた彼女に、わざと大きなため息をついて見せた。
「・・・・・・そう。じゃ、お疲れ様」
「お疲れ様」
最初、相談をされたときは本当に驚いた。
話があるのだと飲みに誘われ、行った先は落ち着いた雰囲気の個室の居酒屋。
彼女はビールのグラスを両手で握り締めながら、恥ずかしそうに視線を彷徨わせていた。
『あのね、私・・・・・・好き、なの』
急に“女の子”になった瞬間を見てしまった気がして、僕の方がドキドキしたのを今でもはっきり覚えている。
頬を染めて“好き”だと告げた彼女の対象がもしかしたら僕なのではないかって、ほんの少し期待した。
『原田さんが、好きなのね』
『・・・その言い方、心臓に悪い』
『え、何、ごめん』
何のことかわからない様子の彼女は、ただ冷たく言い放った僕が怒っていると思ったから謝ったんだと思う。
仕事のことについてはあんなに頭がキレるくせに、こういうことには鈍感なんだ。
それからずっと、左之さんのことを教えて欲しいと、どうしたら振り向いてくれるのかと、一生懸命になって聞いてくる彼女が本当に愛らしくて。
普段見れない“女の子”のなまえちゃんをずっと、独り占めしていた。
できれば左之さんになんて渡したくないし、他のみんなにも見せたくない。
でも、その可愛い彼女の笑顔を消したくなくて、その時僕は、左之さんに彼女が居ると言えなかった。
会社帰りいつものように僕は電車に乗り込み、晩ご飯何を食べようかとぼんやり考えていた。
そう言えば・・・彼女はちゃんとご飯を食べるだろうか。
一人で大泣きして、辛い思いをしないだろうか。
それとも、一人でいる時でさえも、泣くのを我慢するんだろうか。
「・・・ああ、もう」
気になって仕方がない。
僕の方が、左之さんより彼女を知っているし、ずっとそばで彼女を見てきた。
強がって、意地張って、何でも一人で消化しようとする。
いい加減、僕を頼ることを、覚えて欲しい。
左之さんを想って泣くくらいなら、僕を想って笑っていて欲しい。
携帯を取り出して、発信履歴から彼女に電話を掛けた。
コール音がやけに長く感じる。
そのせいで余計勘ぐってしまう。
もしかしたら今、泣いているんじゃないか。
電話に出るために、涙を拭っているんじゃないかって。
『・・・はい?』
「もしもし」
『・・・お、沖田くん、何?』
「あのさ、大事な話があるんだ」
『・・・明日じゃ駄目なの?』
「今どこ?」
『もうすぐ家に着く・・・・・・けど』
「じゃあ、家で待ってて。すぐに行くから」
『は・・・はぁ!?何、沖田く』
電話を切ると、僕はまた改札をくぐってちょうど来た電車に飛び乗った。
・・・そんな泣きそうな声で電話に出る君が悪い。
急がなきゃいけないって、思わせた君が。
「・・・・・・本当に来たんだ」
「僕、わかりきった嘘はつかないんだ」
「・・・・・・上がって?」
しょうがないな、って顔してため息をついた彼女は、いつもと変わらない顔をしていた。
ドアを大きく開いてそう言った彼女に、ガサリとビニール袋を差し出した。
「あ、これ、差し入れね」
「缶ビール?やだ、こんなに買ってきたの?」
「いらない?」
「・・・・・・いる。ありがと」
ちょっとだけ口を尖らせた彼女が、少し口角をあげて笑った。
僕は慌てて足元に視線を落として靴を脱いだ。
「だから、私は、負ける勝負はしない主義なの」
自分の家だから、だろうか。
いつもよりもペースが早い彼女は、もうすでに酔っ払っている。
缶ビールはまだ、2本目だ。
僕は、6畳の小さな部屋の中心に置かれたテーブルに頬杖をつきながら、向かい側にいる彼女の話を聞いていた。
「原田さんに彼女がいるのも、最初から知ってた」
「うん」
「学生時代からの付き合いだっていうのも、聞いてた」
「うん」
「仲良さそうに写ってる二人の写真も・・・見たこと、あるの」
「・・・うん」
「だから、」
最初は、やっぱりどうでもいい話をしていた。
会社の愚痴とか、同級生に今度子供が生まれるだとか、適当に買ってきたコンビニのおつまみが美味しいだとか。
酔いが回り始めたころに、少しずつ、彼女が左之さんの話を始めた。
最初のうちはもちろん、無理して笑ってるのがわかったけれど、だんだん彼女の顔が、歪んでいった。
「だから・・・ね?」
泣きそうなか細い声に、正直僕は、どうしていいかわからなくなってた。
今まで、彼女の泣いた姿を見たことなんてなかったし。
僕の知っている女の子の慰め方と同じことをして、果たして彼女が泣き止むかどうかもわからなかった。
「勝機が見えてから、挑もうと思って、私なりに努力、してたの・・・」
ぐす、と鼻をすする音。
目に涙をいっぱいためて、今にもこぼれ落ちそうなそれを必死で我慢していた。
「でも、結局伝えられずに終わって・・・それ、が・・・・・・悔しくて」
両膝を立ててクッションを抱きしめて座っている彼女は、背中を丸めたままテーブルの上の缶ビールを握り締めている。
じっと一点をみつめたままそらさないその瞳の理由は、きっと、少しでも動いたら泣いてしまうから、なんだろう。
「なまえちゃん」
名前を呼んだ僕の方を見ることもしないで、ただ、返事だけが聞こえてきた。
だから、こっちを見て欲しくて。
「・・・沖田、くん?」
彼女のとなりに移動すると、どうしたのかと言いたげな瞳が僕を見上げた。
驚いて、瞬きを一つした彼女の瞳から、溜まっていた涙がこぼれて頬を伝った。
「・・・あ、わっ・・・やだ、ごめんね」
手の甲でこぼれた涙をこすってみても、本人の意思と反してどんどんあふれてくるらしく、なんで私泣いてるんだろう、とそんな風にも見て取れる彼女の様子に、僕はその肩を抱き寄せてしまいたいと思った。
「悲しいときは、泣いても良いんだよ?」
「やだ・・・」
「なにそれ、こんな時に強がってるの?」
「見ないで」
「・・・・・・駄目、だって、泣いてる顔、すごく綺麗だもん」
涙を拭おうとするその両腕を掴んで、君の顔を覗き込んだ。
泣き顔を見られるのがよっぽど嫌だったのか、悔しそうにした彼女が目を逸らして、少し唇を噛んだ。
ごめん、と言って腕を離すと、彼女にちゃんと伝わるように、僕は必死で言葉を選んだ。
「今は多分、すごく辛いと思うけど。だから、とにかく、落ちるとこまで落ちて、涙が枯れるまで泣いて良いんだよ?」
「沖田、くん・・・」
「だから・・・・・・悲しむのに、泣くのに疲れたら、僕のこと思い出して?君が思うより僕は、君のこと、大切にする自信あるから」
大きな瞳が、僕を捉えた。
泣いていたはずのその顔は、驚きの表情からすぐに、苦笑いに変わった。
「・・・・・・なに、それ」
彼女の目の端に溜まった涙を人差し指で拭って、僕は立ち上がった。
「・・・・・・さて、じゃあ、僕そろそろ帰るね?」
「・・・言い逃げするの?」
彼女の頭をぽん、と撫でて、僕は玄関へと向かった。
「バイバイ、なまえちゃん」
満ち欠ける想い
「ねえ、まだ?」
「もー、女の子は準備に時間がかかるんですー」
「はいはい」
「・・・・・・ねえ、気づいてないの?」
「ん、何が」
「私がこうして、丁寧にメイクするのも、服を迷うのも・・・・・・総司に可愛いって言ってもらいたいからってこと」
END
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