「仕合わせに、ございます」
そう、微笑んだ彼女の、苦しそうな顔を思い出す度、えも言わず、ただひたすらに、抉られる感情。
支配されているこの胸の内。
「あんたに、溺れている」
「・・・嘘は・・・・・・よろしく無いですよ、斎藤様。ねえ?・・・あら、お前もそう思う?」
幻想の花
夕焼けの、茜色に照らされた、名も無い橋の真ん中で黒猫を抱いていた女を見かけた。
歳はおそらく俺とさして変わらぬだろうが、不思議な空気を纏っている。
ごろごろと、喉を気持ちよさそうに鳴らしていた黒猫の名は「知りません」と言いながら、大事そうに抱え直した。
「もう日も暮れる。女一人では危険だろう」
「あら、この子がいますから」
では、と俺の横を通り過ぎて橋を渡り切るまでの間、彼女を目で追っていた。
それに気付いたらしい彼女が振り向いて、わざとらしく「にゃあ」と鳴いた。
「あれ、一君今日非番じゃなかった?どこか出掛けるの?」
「・・・・・・俺に何か用でもあるのか」
「別に?」
何かを企むような顔をした総司の相手をしていてはキリがないと、ため息をするのも億劫でそのまま玄関を後にした。
「いってらっしゃい」と後ろから聞こえた声は何処か楽しそうだった。
彼女は、みょうじなまえと名乗った。
それが本当の名であるのか、それを知る意味も無いと、彼女が口にした名を呼んだ。
「なまえ」
「はい、なんでしょう・・・斎藤様」
少しだけ、
「・・・・・・あんたは、俺を知っているのか」
「ええ、何度もお見かけしておりますから」
クスクス、と楽しそうに笑っている彼女の足元には、あの黒猫がすり寄っている。
有名ですよ、と付け加えた彼女は、しゃがみこんで猫を優しく撫でていた。
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