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「みょうじ先生、」

背後から、名前を呼ばれた。
その声が誰のものかなんて、振り返らなくても分かっていた。

「…斎藤君、どうしたの?」

右手に持っていた赤ペンを置いて、回転椅子ごと振り返る。
職員室の入口に、一人の男子生徒の姿があった。
彼は、斎藤一君。
三年一組の生徒で、私が副顧問を務める風紀委員の委員長でもある。

「委員会の報告書をお持ちしたのですが、」
「ありがとう。入っていいよ」

そう促せば、斎藤君は生真面目に小さく一礼してから職員室の中に足を踏み入れ、丁寧にドアを閉めた。
姿勢正しく真っ直ぐ歩いてくる姿は、まさに風紀委員の委員長という肩書きがぴったり似合っている気がする。

「確認をお願いします」

そう言って差し出された紙を受け取ろうとして、ほんの一瞬だけ。
手が触れ合った。
驚いて見上げれば、隣に立つ斎藤君が真っ直ぐに私を見下ろしていて。

「ありがとう」

私は慌てて視線を紙に戻した。



斎藤君に初めて出会ったのは、二年前の春。
始業式と着任式が行われた日だった。

教育実習を終え、教員免許を取って大学を卒業した私が、初めて教師として勤めることになったこの薄桜高校。
一年目ということでクラスは持たず、主に二年生の授業を受け持つことになっていた。
また、私の指導をしてくれる土方先生が風紀委員の顧問なので、私が副顧問を務めることになった。

始業式の後、職員室で土方先生と話していた時。
ちょうど今と同じように、斎藤君が委員会の用事で土方先生を訪ねてきて。
私たちは初めて顔を合わせた。
これからよろしくお願いします、と丁寧な挨拶をしてくれた斎藤君の第一印象は、律儀で真面目な子、だった。

もちろんそのイメージは、今も変わってはいないのだけれど。



「うん、これで大丈夫。後で土方先生に渡しておくね」

報告書を読み終えて顔を上げれば、斎藤君はまだ私のことを真っ直ぐに見下ろしていた。
皺一つない制服、歪むことも緩むこともないネクタイ。
おまけに、成績優秀で品行方正。
本当に、非の打ち所が一つもない素晴らしい生徒なのだけれど。

「……斎藤君、どうかした?」

私は、彼が苦手だ。

「いえ、何でもありません。お忙しい中ありがとうございました。失礼します」

斎藤君が小さく頭を下げて踵を返し、職員室を出て行こうとする。
その後ろ姿を、そっと見送った。


本当は、苦手、なのではない。
礼儀正しいし、授業も真剣に聞いてくれるし、質問にも来てくれる。
教員二年目の新米な私としては、本当にありがたい存在なのだけれど。

でも、深く関わりたくないのだ。

授業中、廊下ですれ違った時、委員会の会議中。
私を真っ直ぐに見つめてくる、あのサファイアみたいに綺麗な目の奥に揺らめく激しい焔。
その意味に気付かないほど、私は鈍感ではない。

最初は勘違いだと思った。
何を自意識過剰になっているのだと、自分を戒めた。
でも、次第に強い熱を帯びていく斎藤君の視線は、ついに誤魔化しようのないところまできてしまった。
これでも二十四年生きているのだ。
人並みな恋愛経験もある。
あからさまな好意に気が付かないほど鈍感ではなかった。


「みょうじ!」

報告書を眺めたままぼんやりとしていると、再び背後で呼ばれた名前。
今度は斎藤君ではない。

「はい」

慌てて立ち上がれば、そこには眉間に皺を寄せた土方先生が立っていた。
ったく、総司の奴、という独り言がちらりと聞こえた限り、また沖田君が何かやらかしたのだろう。
相変わらず面白い子だ。

「あ、土方先生。これ、斎藤君から預かった風紀委員の報告書です」
「ああ、すまねえ」

手に持ったままだった報告書を差し出せば、土方先生は早速それに視線を落とす。
やがて、ふう、と一つ溜息を吐いて顔を上げた。

「相変わらずあいつは文句の付け所がねえな。ったく、爪の垢を煎じて総司に飲ませてやりてえよ」

あいつ、とはもちろん斎藤君のことだろう。
陰で鬼の土方、なんて呼ばれているほど厳しいことで有名な土方先生も、斎藤君のことは認めているらしい。

「…そうですね、」

そう。
斎藤君は、土方先生さえも認める優秀な生徒だ。
成績は学年首位、既に推薦枠による大学への進学も確定している。
彼の将来には、溢れんばかりの可能性が広がっていて、順風満帆な人生が約束されているようなもの。

それを。
そんな、大切な未来への若い芽を。
私が摘んでしまうわけにはいかないのだ。



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