対の空



「斎藤先輩は、きっと前世は武士だったと思うんです」

斎藤が風紀委員で――というより土方からの指示で――ゴミ捨て場へと溜まったダンボールを破棄しようとしていた道すがら、同じく風紀委員で斎藤の後輩に当たるなまえは唐突に口を開いた。彼女の腕にも、斎藤ほどではないが幾枚かのダンボールが抱えられている。
突然のことに、前を歩いていた斎藤は怪訝そうに眉を顰めて振り返った。

「それはどういう意味だ?」
「あ、その、深い意味はないんですけど……斎藤先輩っていつも姿勢正しいし、言葉遣いも丁寧だし」
「……古臭い、という意味か?」
「そ、そんなつもりじゃ!……昔の『武士』って、凛としていて実直で、私はとても憧れます」

なまえの目は遠くに――特に何かがあるわけではないが、記憶の糸を手繰っているかのように――向けられていた。自ずと、斎藤も引き寄せられるようになまえの目の動きを追った。

視線に気づいたなまえは、苦笑する。

「唐突、ですよね。すみません」
「いや。……あんたは何故、俺の――前世が、武士だと思ったんだ?」
「えっと……笑わないで聞いてくれますか?」
「笑える冗談なのか?」
「そうじゃないんですけど、夢の話し、なので」

そう言って、なまえが語り始めたのは、その名の通り夢のような話だった。



***


気付いたら、私は古い町並みの中に居ました。辺りは真っ暗で、月の灯りだけが唯一の光源で。
そして私は突然走り始めていました。なぜだかわかりませんが、そうしなきゃいけないと思ったからです。何かに追われているようでした。背後に何者かの気配を感じました。けど、振り返ってはいけないと、前を向いてひたすらに走っていました。きっとおぞましい何かだったんだと思います。本能的に、逃げることに全力になっていました。次にどの角を曲がるか、全く知らない町なのに、本能に導かれるままに走り続けていました。

夢だと言うのに妙にリアルな話ですが、暫く走る内に息は上がって心臓が痛くて、足も重たく動かなくなっていきました。背後の気配がどんどん近づいてくるのです。追いつかれる、その考えが過った途端、足がもつれて私は倒れこみました。膝に激痛が走って、手にどろりとした感触がありました。血が出ているようで、足を曲げるにも力が入りません。

その時、目の前に、私を追っていた何者かが姿を現しました。
それは化け物でした。
直感が知らせた通りに、人の形をしているけれど紛うことなき化け物だと思いました。
こんな暗い闇の中でも目は赤く光っているようでした。犬のように息をして、血走った眼で、長い刀を持って近づいてくるんです。殺される、と思いました。それなのに身体は全く言うことを聞いてくれない。人は恐怖すると声すら出なくなるんですね。バクバクと心臓が鳴る音と、掠れた呼吸と、荒い呼吸と、それしか音が聞こえなくて。


だから初めは何が起こっているか理解出来なかったんです。べちゃっと顔に水が飛んできました。雲間から月の光が差し込んで、それが血なんだと、まず理解しました。化け物が斬り殺された、その返り血なんだと、気づきました。そして、化け物を斬った人がよく知った人だと気づきました。



***


「……それが俺だった、ということか?」
「はい。着物を着てマフラーのような物を巻いていましたけど、あれは間違いなく斎藤先輩だと思います。斎藤先輩が私を助けてくれたんです」
「…………。あんたはその……見たのか? 夢の続きを」
「見てません。斎藤先輩だ、と気づいた瞬間に目が覚めてしまったんです」

夢を思い出したのか、なまえの表情が曇る。いくら彼が助けてくれたとは言え、殺される夢なのだから悪夢には違いない。
だがそれ以上に、黙り込んだままの斎藤の方が気がかりだった。

「あの、斎藤先輩……?」
「いや、すまん。考え事をしていた」
「私こそすみません、いきなりこんなこと……ただの夢だと思うので、気にしないでください」
「ただの夢、か」
「……?」

夢だからこの話は終わりに――と、そのつもりだったのだが、斎藤の表情は納得した様子ではなく彼の言う通り考え事をしているようだった。そんなに深く考えこむ話でもないのに、となまえは思ったが、斎藤の纏う雰囲気に声を掛けられずに居た。長い前髪の向こう側の瞳は、何処か遠くを見ているようだった。
気付けば階段は終わり、昇降口の前に着いていた。焼却炉までは靴に履き替えなければならない。学年が違う為、なまえはその場にダンボールを置いて靴を取りに行った。戻ってきたなまえが、一足先に外履きに履き替えていた斎藤からダンボールを受け取ろうとすると、斎藤が口を開いた。


「あんたは、俺の前世が武士だと言ったら信じるか?」






「は……い?」


なまえは一瞬ぽかんと、言葉の意味を考えた。
彼はこのようにふいに冗談を言ったりするような人間ではなかった。もっと素直に真っ直ぐで、むしろ冗談の類が苦手な男である。風紀委員として傍で活動を見ているだけで、そのくらいはよく分かる。そんな人柄が好きだった。
だから余計になまえは混乱した。夢の様な夢の話の後に、それ以上にオカルトじみた、非科学的な言葉が彼の口から飛び出したのだから。その真意が理解出来ずになまえは「え……」と小さく唸ることしか出来なかった。

「いや、すまない。今のは忘れてくれ」

斎藤は頭を振ると、なまえの返事を聞かずに歩き出してしまった。小走りになりながらなまえはそれを追う。

気まずい沈黙が流れた。何か声を掛けた方がいいか、となまえも思案を巡らせるが、良い言葉が浮かばなかった。先ほどの夢の話が、何か逆鱗に触れてしまったのだろうか。良い返答が出来ずに気を悪くさせてしまったのだろうか。怒っているのかいないのかすらも僅かに見える横顔から読み取ることが出来なかった。こんなこと随分と無かったのでなまえは余計に不安だった。風紀委員になりたての、初めて斎藤と会った頃は確かにいつも彼の機嫌が分からずに「無愛想な人だ」と思っていたが、それも直に無愛想ではなく不器用なだけで、朴訥ながらも言動の端々に彼の思考がにじみ出ていることに気付いた。それからは斎藤の心を読み誤ることも減り、むしろ分かりやすいとすらなまえは思っていた。こんな風にどう接していいのかも分からない時など無かった。

重い足取りに、自然と頭が下がる。何しろ前を歩く人と顔を合わせづらかった。アスファルトの凸凹をぼんやり眺めて歩いていたなまえは、急に視界に入った靴に驚き足を止め……ようとしたが、間に合わない。

「す、すみません!」
「いや急に立ち止まった俺のせいだ。あんたこそ大丈夫か?」

盛大にダンボールをぶちまけながら転んだなまえを、心配そうな斎藤が立ち上がらせる。もう一度「すみません!」と謝ってから、なまえは散らばったものをかき集めた。そうしている内に、斎藤の視線がある方向に向いていることに気付いた。……おそらく、その為に足を止めていたのだ、ということにも。

「桜、ですか?」

彼の視線の先には、薄桜学園でも知る人ぞ知る大桜が、今が盛りとばかりに咲いていた。満開の桜が、頬を軽く撫でる春風に揺られている。まるでそこだけ切り取られたかのように、大木の前に立つだけで時間の流れすらも悠々と感じた。

「……見事に咲いたものだ。つい先日見た時は、まだつぼみが目立っていたのだがな」
「桜は一気に咲きますからね」
「……あぁ。散るのも早い。これが見られるのも一瞬だろう」

斎藤は感慨深けに目を細め、桜を見上げていた。その言葉に込められた意味を知ろうと、なまえも続いて木を見上げた。


懐かしいと、感じた。


薄桜学園の桜など、そう何度も見たわけではない。入学したての頃は、裏手に佇むこの木の存在すら知らなかった。葉桜になってようやく知り、来年こそはと思っていた。そうして一年、巡ってきたこの春にようやく、ほころび始める蕾を今か今かと追っていた。当然ながら幼少の頃に見たわけでもない。なのに何故かなまえはこの風景を「懐かしい」と思った。青い空と、その天に向って薄桃の枝を伸ばす木が愛しいと思うのだ。セピア色に描かれる心象は確かに今目の前に立つこの古木なのだ。なまえは必死に記憶を辿ってみた。しかし見に覚えは一切無い。

「俺はある者と約束したのだ」

唐突に斎藤の声がして、なまえは思索に耽るのを止めた。振り向くと、彼も同じように没頭するように桜を見つめたまま、口を動かしていた。

「俺は事情があってここを離れなければならなかった。それにかの者を連れて行くわけには行かなかった。だから別れることとなった。その時に約束したのだ。また会う時には共にこの桜を見に行こう、と。……しかし、俺が戻ってきた頃にはかの者の姿は無かった」
「…………」

守られる事の無かった約束を、彼は律儀に待ち続けているのだった。

「その方と連絡は……」
「さぁ、な。今となっては何も分からん」

斎藤が浮かべていたのは、いつもは決して見せないような切なげな表情だった。それを見ていると、なまえはどうしようもなく心が痛んだ。感情と反比例するかのように、桜はゆらりと風に吹かれ、花びらがちらちらと揺れ落ちた。
時間を無視するかのような流れ。なまえはふと、先ほどの斎藤との会話を思い出す。

「もしかして、それが斎藤先輩の前世、ですか?」
「何故そう思う」
「え、っと」

驚いたように振り返った斎藤に、なまえは言葉を選びながら話した。

「まるで長い時の中を過ごしてきたようだったので」

何故、と聞いたのに、斎藤はなまえの言葉には答えなかった。

「前世、か。……かもしれないな」
「いつの時代も、斎藤先輩は変わらないと思います。真っ直ぐで実直な――武士、のように」
「武士は生き続けられると思うか」
「この時代の武士であれというのが、薄桜学園の校訓じゃないですか」
「そうだったな」

ふ、と斎藤は微笑んだ。

「俺はいつか再び相見えると信じている」
「……会えると、いいですね」
「そうだな。……行こう、早く終わらせないと下校確認の見回りに遅れてしまう」
「あ、はい!」

頬を拭うと花びらが手の甲に付いていた。薄い花弁は、また風に吹かれて空へと舞い上がる。きっとそうやって時を超えるのだと思うと、零れ落ちていくのが口惜しくなる。
先に歩き出した斎藤と、少し距離が空いてしまった。駆け出せば、一瞬で追いつく。隣でも背後でもない、斜め後ろの定位置を、なまえは歩いた。




***



あれは、桜が花開き始める春の宵の事だった。肌寒さが残る京の街を俺は足早に駆けていた。夜の見廻りとは違う、幹部にしか出来ぬ仕事。――脱走した羅刹の始末、だった。放っておけば羅刹はまた人を襲って血を啜るだろう。それだけでも問題なのだが、何しろ人の目には絶対に触れさせてはならぬもの故、誰にも見つからぬように始末しなければならない。
元は唯の隊士でも、羅刹となれば身体能力の飛躍的に向上している。追われていると分かれば気配を敏感に察して逃げまわるはずだ。早々に見つかればいいのだが。総司や新八も探しに出ているが、腕には問題ないが数に心許無さを感じる。つい先日もそうして雪村を。

そう考えて目を走らせていた俺の目の前を、女と白髪の男が駆けて行った。尋常ならざる動きは、正しく羅刹のそれだ。しかもどうやら既に獲物を見定めて追っているようだった。

まずい事になった。すぐに俺も羅刹を追った。小路を曲がると往来の半ばで座り込む女と、刀を振り上げる羅刹が居た。
まるで、雪村の時と同じだ。

――あいつらがこの子を殺しちゃうまで黙ってみてれば僕達の手間も省けたのかな?

総司の言葉が脳裏を過る。しかし、四の五の考える間もなく俺の身体は動いていた。

「……!」

羅刹を斬った俺と、女の目が合った。「ありがとう、ございます」とその唇が掠れた声を紡いだ。



後にも先にも、彼女の声を聞いたのはそれっきりとなった。彼女にはあの出来事は刺激が強すぎたらしい。声を失ってしまったらしい。口外する事の出来ない彼女は殺されることも無かったが、そのまま帰すことも出来なかった。責任もある。雪村と違って屯所の外ではあるが、彼女を監視し、同時に扶助することとなった。
初めは随分怯えていたようだが、暫くすると彼女の顔にも笑顔が戻ってきた。じっとしていろと言えば項垂れ、気遣いに感謝するとにこりと破顔する。雪村を彷彿とさせるその表情の変化に俺も思わず笑ってしまった。

彼女はその後数年に渡って、新選組と命運を共にする事となった。
屯所が壬生から西本願寺へ移り、不動堂村へ移っても尚彼女は付いて来た。もう来なくていいと言ったが、頑として彼女は首を横に振った。伏見奉行所へ入る事になった際には、流石に戦に巻き込めぬと言い含めたが、江戸に戻る時には意地でも彼女は同行した。どうにも彼女を手引した者が居るらしかった。

しかしそれ以後は、彼女は付いて来なかった。来られなかったというのが正確だった。彼女は心の臓を患っているようだった。医者が居る所に、と総司と共に松本先生の所で療養させた。甲府での戦以降、新選組は居を流山へと移す事になり、俺も市川で新兵の訓練を行うことになった。何れは北上し、会津公と共に巻き返す為に。
最後に彼女に挨拶に向かった頃は、彼女と出会った頃と同じ、桜の季節だった。

「あんたとは暫く会えん」

素っ気なく言うと、彼女は静かに俺の手を取った。其処に指で文字をなぞる。長い付き合いの内に、紙でなくとも彼女の文字が読めるようになった。

“待っています”

俺の掌にはそう書かれていた。
今生の別れ、と覚悟の上だったのだ。それをあっさりと彼女は覆した。涙を一筋流しながらも、彼女は笑っていた。

“また、この桜を一緒に見ましょう”
「……あぁ、そうだな」



そうして彼女と別れ、新選組は会津へ向かうこととなった。新選組を取り立てて下さった会津公へ微衷を尽くすという志で新選組と離れ、会津に残って其処で戦の終焉を見た。生きていると分かったのは新八と島田だけだった。謹慎の末、俺は会津の皆と共に斗南にも渡った。江戸に戻ったのは更に数年後となった。

彼女はもうこの世に居なかった。
桜の木だけが一人佇んで、一年経つごとに花を付けていた。

俺は待つことにした。きっとあの彼女の事だ。待てなかった己の身を恨んだに違いない。律儀な女だった。きっと約束を果たしたがることだろう。だから俺も、同じく待つのだ、と。あの時は伝えそびれた言葉もある。もう一度相見える時、その時は必ず言おうと誓った。


彼女は確か、名前をなまえと言っていた。







END


『夢想花屑』みかん様より。


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