てのひらの箱庭

 三人で歩く帰り道も、もう随分慣れたものになった。僕となまえは小学校に入る前からの付き合いで、そこに近藤さんのとこの剣道場で一緒になったはじめ君が混ざった。それ以来僕らは中学も高校も一緒で、何をするのもだいたい一緒で、三人で一セットみたいな扱いを周りからもされている。今も、だ。そんな仲良し三人組の一端である僕は、夕暮のオレンジに長く影を伸ばしながら歩く二人の背中を眺めて歩いてる。さっきコンビニで買ったばかりのお菓子を開けながら歩くなまえと、その隣のはじめ君との会話を、僕は一歩後ろで聞いていた。

「ね、美味しいでしょ! これの新しいやつが来週発売なんだってー」
「そうか。それは楽しみだな」
「でしょー!」

 仲の良い三人組。けれど、純粋には僕らは三人で一つじゃない。
 二人と、一人だ。
 僕らの関係に変化が生じたのは、多分中学に上がった頃だと思う。ある日、今にも死にそうなくらいに思いつめた顔のなまえが僕の家に転がり込んできて、「相談がある」と告げてきた。なまえの顔色があまりにも悪いから僕はびっくりして「大丈夫?」なんて聞いたんだけど、なんてことは無かった。じれったいぐらい何度も言いかけては止めるのを繰り返し、ようやく何か話す決意をしたかと思うと、私、はじめ君のこと好きなんだけど、はじめ君は私のことどう思ってるかな――青白い顔のなまえはそう言った。
僕は確か、ふうん、そう、なんて返してすっとぼけた顔をした気がする。安堵したのと拍子抜けしたのと、それからなんだかムカムカしたんだ。なまえの口からそういう『恋愛』の話題が飛び出てくるなんて思ってもなかったし、あのなまえでもこんな風に恥ずかしそうに好きな人の話をするんだって思うと急に胸が苦しくなった。だけど僕はその一瞬で「こうなる運命だったんだ」と悟った。当たり前だと納得した。なまえははじめ君を好きになる。そして、はじめ君もたぶん、なまえのことが好きだ。
 同時に僕は、認めたくない感情に苛まれることになった。心の中に矛盾が生じてしまったのだ。なまえもはじめ君もお互いのことが好きなら早くくっついてしまえと思ったのに、それを後押しすることには躊躇した。見ていてじれったいって思うのに、じゃあ二人が恋人同士になったらって考えた瞬間、喉から出かかった言葉が消える。僕には、素直に二人を祝福することは出来ない。笑顔で「おめでとう」って言ったところで、きっとそれは本心ではなくなってしまうのだろう。僕は自分の中に芽生えた感情に戸惑い、そしてしばらく経ってようやく自覚した。
 僕は、なまえのことが好きだ。たぶん、はじめ君がなまえと出会うよりもずっと前から。

「……ぇ、ねぇってば!」

 怒ったような声が聞こえる、と思って意識を引き戻すと、案の定少しむくれた顔のなまえがこちらを見ていた。

「総司聞いてた?」
「ごめん。聞いてない。なに?」
「これからアイス食べに行こうって言ってたの。今日からセールやってるんだって!」
「アイス? 新発売のお菓子はいいの?」
「それは来週! ね、行くでしょ?」

 僕はちらりと、なまえの向こうに佇むはじめ君を見た。
 ここで僕が引けば、なまえははじめ君と二人で買いに行くだろう。たぶんその方が二人にとっては望ましいはずだ。もしかしたら、そろそろどちらかが行動を起こすかもしれないし。二人でアイスを食べに行って、いい雰囲気にでもなって。二人が恋人になって、その時僕はいったいどうなってしまうんだろう。二人に向かって、どんな言葉を投げかけるんだろう。
 はじめ君は……ねぇ、今返答を躊躇っている僕を見て何を考えてるのかな。はじめ君のことだから、薄々僕の気持ちには気付いているんでしょ。

「……そこまで言うなら、行ってあげてもいいよ」
「はいはい。じゃあさっさと歩いてよねー」

 なまえは振り返って、またはじめ君の隣を歩き出す。二人の表情は見えない。そのすぐ後ろを僕は歩く。
 僕がいるから、僕らは三人のままだ。まだ、このアンバランスを保ったままで居続ける。でも、それもいつまで続くんだろうね。僕はいつまで、この「幼なじみの三人」で居るんだろう。
 誰かが殻を破る勇気を手にするまで、きっとこの均衡は崩れないまま、きっと誰も幸せの境地には辿れないまま、でも不幸になるのも嫌だからこのままの状態を選んでしまうんだと思う。視界の端に仲睦まじい二人を映しながら、僕は駈け出した。





* * *




 アイスを食べに行こう、と誘うと総司は少し気だるげに何か考えてから、またいつもみたいに付いてきてくれた。でも後ろを振り返るのが怖くて、私はまたはじめ君へと視線を向ける。
 最近の総司は、何か変だ。いつもよりちょっと遠くに感じる。なんだか意図的に避けられてるみたいだ。でも完全に避けられてるわけじゃなくて、一緒に帰ろうと誘えば付いてきてくれるし、さっきみたいにどこか寄り道しようと誘えばだいたい乗ってくれる。これまでだって、総司が私の頼みを断ったことなんてほとんど無いし、断られるとは微塵も心配してないけど、でも時々不安に駆られることがある。新緑のような瞳が何を考えているのかわからなくなって、もしかしたらその唇から『否定』の言葉が紡がれるんじゃないかって、ヒヤヒヤしてしまう。
 理由はなんとなく分かってた。
 悪いのは私。私が、はじめ君のことが好きっていうのを、総司に漏らしてしまったから。だからきっと、私の気持ちを知って、総司は遠慮してるんだと思う。
 本当はそんな話を総司にするつもりは全然無かった。というか、間違いなくからかわれるだろうって思ってたから、むしろ総司にだけは隠しておきたかった。けれどあの時の私には総司以外に相談する相手がいなくて、散々悩みぬいた挙句に行き場のない感情の矛先を総司に向けたのだった。わたし、はじめ君のことが好きなんだ――総司に打ち明けた瞬間の、あの空気は。忘れることも無かったことにも二度とできないだろうと思う。
 それ以来、総司は少し変わった……気がする。あの時は全く気にしてないと言ってたくせに、私に対する態度は微妙に変わった。具体的に言えば、ちょっと控えめになった。以前だったら、私が誘わなくても総司は付いてくるのが当たり前で、総司の都合に無理やり組み込まれることだってしばしば。けど今は、誘っても肯定までに少しだけ間があるし、総司が私を誘う時も、少しだけ猶予が与えられる。そうやって総司は私に選択肢を突きつけるようになった。
 まるで私を試しているようだった。

「どうかしたのか?」
「えっ?」
「何か、考えているようだが」

 はじめ君の目が、考えに没頭していた私を覗き込んでいた。急に視界に飛び込んできた渦中の人に驚き、至近距離で見上げる「好きな人」の顔に心拍数が上がりそうになるのを我慢して、私は首を横に振る。

「なんでもないよ! 今日の夕飯なんだっけって思っただけ」
「……なまえの頭の中はその……美味そうだな」
「もー! それ、私が食いっ気でできてるみたいじゃないの」

 意識すれば、いつもみたいな会話ができる。よし、大丈夫。と誰にも聞こえないように口の中で呟くと、呆れた声の総司が、割って入ってきた。

「なまえの頭はいつも食べ物のことでいっぱいでしょ」
「そんなわけないじゃん、総司の馬鹿!」

 すらすらと飛び出してくる悪態。意地の悪い笑みを浮かべてる総司を叩こうと手を伸ばしたけど、軽々と避けられる。ノロマは置いていくよ、と憎たらしいほどの笑顔が背を向けた。
 総司は私を追い抜いて、それでも歩く速度を緩めなかった。徐々に開いていく距離、小さくなる背中。途端に、大事なものを無くしてしまったかのように不安が襲った。総司が、一人でどこかに行ってしまうような気がして。
 最近の総司はいつもそう。私とはじめ君を『二人きり』にしようとしてるのか、ふらっとどこかに行ってしまう時がある。軽口を叩いていたと思ったら、ふと目を離した瞬間に音もなく居なくなってしまうのだ。我が儘かもしれないけど私はそれが嫌だった。はじめ君のことは、恋愛という意味で、好き。でも、だからと言って総司に居なくなってほしいとは思わない。
 三人でいる時間は、何よりも代えがたいから。

「急ぐか。あまりゆっくりしていると本当に総司に置いて行かれかねない」
「そう、だね」

 置いていかれないように、追いかける。はじめ君に頷き返して、また一段と小さくなってしまった背中に「待って」と叫んだ。




* * *




 一人で先に歩いて行ってしまった総司を追いかけながら、俺は同じように隣を早足で歩くなまえに視線を向けた。女子としては平均的な身長であるはずだが、男女の差があるゆえ、昔よりも彼女の身体は小さくか細く、そして愛しくみえるようになった。小さな唇をへの字に曲げて言う。

「総司ってば、女子に向かって『食べ物のことしか考えてない』とか言うのほんっとデリカシーないよね。さいあく」

 なまえの口から飛び出してくる友人の名に、俺は居心地の悪さを感じている。端的に言えば、嫉妬だ。
 俺もたいがい二人との付き合いは長い方で、世間から見れば『幼なじみ』の括りに入るのだろうが、俺にとって『幼なじみ』とはなまえと総司の二人を指す言葉であって三人のための言葉ではない。なまえと総司とは、俺が二人と知り合う以前よりも互いに親交があり、共に育ってきた仲だと言う。だからか、二人は言葉にせずとも意思疎通できるような時がある。まさに阿吽の呼吸と言うべきか。俺には理解できない時でも総司はなまえの表情から機嫌を読み取り、なまえも、黙りこくる総司が考えていることさえきちんと理解しているようだった。
 ……否、一つだけ俺にも分かることがある。

「総司の皮肉は今に始まったことではない。いちいち気にするだけ無駄だ」
「知ってる。実際、食べるの好きなのは今に始まったことじゃないし、おかげで最近ちょっと体重計が怖いんだけど……あ、これ総司にはないしょね。また笑われるから」
「あぁ、わかった」

 恥ずかしそうに小さく笑う彼女のことを俺が好いているのと同じように、総司もまた、彼女に好意を抱いている。直接聞いたわけではないが、総司の態度を見ていれば、一目瞭然だった。
 俺が総司の好意に気づいているのならば、おそらく総司もまた、俺の真意に気づいているのだろう。だが、あいつは特に何もしてこなかった。それゆえに、俺は総司の言動一つ一つに何か裏があるのではないかと身構えてしまうのだ。例えば今のようになまえと接するときに、彼女をからかうような言葉、じゃれあうような行動、それら全てが俺への牽制ではないかと疑ってしまい、総司が離れた瞬間に衝動が心の中に沸き立つ。今ならば総司に先手を打つことができるという考えが脳裏をよぎり、無邪気に怒ったり笑ったりするなまえを見て、己の浅ましさを恥じた。
 なまえが俺と総司の内のどちらか――いや、たとえどちらでもない別の誰かを選ぶのだとしても、少なくとも俺と総司が仲違いすることは望まないだろう。なまえはたぶん、今の『三人』を心から楽しんでいるはずだ。俺一人が先走ったところで、そのような結末を誰が喜べるというのだ。寂しそうな顔をするなまえを見て、後悔に苦しむだけだろう。

 走る速度を緩めると、なまえがわずかに前を行く形になる。すでにアイスクリーム屋の店先に着いていた総司は、先にやってきたなまえに「遅い」とごねると、俺の方に視線を向けてきた。
 俺には、その意味がわからなかった。ただやはり、牽制のような……俺に対して『確認』しているような気がしてしまうのだ。

「二人とも遅いよ。待ちくたびれちゃった」
「総司が勝手に行っちゃうからでしょ」
「なまえは何にするか決めた?」
「え、待って待って。……うーん……あ、わたしこれにする! ツインベリーカスタード! 二人は?」
「僕はこっちのチョコレートのやつね。はじめくんは?」
「俺は……」

 アイスクリームのショーケースの前に陣取っていた二人が、俺に場所を開けてくれた。促されるように前に出て、ケースの中を覗き込む。なまえか総司に連れて来られなければこのような店には滅多に来ない俺にとって、めまいがするほど色彩豊かなアイスクリームが並んでいてそれだけで腹がいっぱいになるようだった。アイスクリームの傍に小さく名前の書かれたプレートが置かれているが、名前からではどのような味なのか見当もつかない。
 決めかねている俺を見て、なまえと総司が「あれがいい」だの「これが美味しい」だのと助言を始めた。終いには、好みの味についての言い合いが始まる。ああ、またいつものが始まったな。

微笑ましく眺めながら、騒がしさに困惑している様子の店員に注文を告げる。
 俺は、二人が候補にすら挙げなかったものを選んだ。

「え、はじめ君それにするの……?」
「ずいぶん渋い……ま、いいけどね。あとで一口ちょうだい」
「え、総司ずるい! はじめ君、わたしも味見させて! 私の食べていいから」
「あ、あぁ」

 二人の勢いに気圧されながら俺は頷いた。
 注文を終え代金を支払い、レジの横でしばらく待っていると、三人の注文したアイスが出てきて手渡された。見事に、全員バラバラの色合いのアイスクリームだった。なまえが桃色、総司が茶色、俺が……青。まるでそれぞれを表したような色が、三人の手の中に吸い込まれていった。
 店先に並んだベンチに鞄を置き、三人並んでアイスを口にした。総司となまえは、なぜか俺を真ん中にするように座った。端に座ることが多い俺は、両側に人がいるというのは妙な感覚だ。

だが座り方など俺以外の二人は全く気にしていないようで、ほぼ同時にアイスにかぶりつき「甘い」と声高に叫んだ。そんなところまで、似なくとも。心の中で、苦笑した。

「はじめ君、嬉しそうだね。そんなにアイスが珍しい?」
「……まぁ、そうだな」
「ふぅん」

 自分のアイスを口に運んでいたはずの総司は、何の前触れもなく俺のアイスにスプーンを突き刺していた。行儀が悪いぞ、と窘めた俺に、総司は顔を顰めた。
 返ってきたのは、アイスの感想だった。

「なんだか……前衛的な味だね」
「そうか? まぁまぁ美味いと思うが」
「そうなの? じゃあ私も一口! …………ふーん……こんな味か……」

 不味い、とは言わないが、俺の選んだアイスクリームは二人の口には合わなかったらしい。それからは俺のアイスクリームについては触れようとはせず、せっせと自分のアイスクリームを口にしていた。そんなにハズレだろうか。これはこれで、趣深い味だと思うのだが。己の選んだアイスクリームゆえか、コーンに乗った青色のそれは妙に愛しく思えたこの味は、金輪際二人に選ばれることはないだろうが、俺の元に来たというのはある意味運命なのかもしれない。あのアイスケースの中の多種多様なフレーバーは俺達の選びうる未来で、三人の選びとった未来は別々の色をしていて。一色一様な未来もあれば、いくつものアイスクリームとナッツやクッキーとが混ざり合ったものもある。甘く、爽やかで、時にほろ苦いところも、少し似ているような。
 アイスクリームを食べ終え、僅かに残っていたコーンも食べ終え、空っぽになった手を眺めながら、俺はぼんやりとそんなことを考えていた。




夢想花屑』みかん様より。


prev next

back

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -