(2/2)


私は斎藤くんが好きだ。彼への気持ちに嘘や偽りはない。ない、はずなのに。自分でもわけが分からないくらい、私は沖田くんのことで頭をいっぱいにしている。沖田くんの姿がまぶたの裏にちらついて離れない。彼のそばにいると、なんだかどきどきして、心の奥が痺れるような甘く溶かされるような、不思議な感覚に陥る。授業中、グラウンドで体育を受ける斎藤くんよりも、前の席で机に突っ伏して居眠りをする沖田くんの背中に視線が向くようになったのは、いつからだろう。ここ一ヶ月やそこらの話でないのは確かだ。

「手伝ってもらっちゃってごめんね、あのひと人遣い荒くて困るよ」

三階の階段を下りながら、積み上げたノートを両手で抱えた沖田くんが小さく首をすくめた。古典の授業で堂々と教科書を忘れてきた彼は、土方先生の荷物運びを言い付けられていた。放課後、特に用事のない私は日頃のお礼になればと思い、彼を手伝うことにした。沖田くんの手元には二クラス分はあろうかというノートが重ねられているのに、私にはせいぜいプリントの束くらいしか持たせてくれなかった。実際、手伝いになっているかは疑問だが、沖田くんは「助かるよ」と言って笑ってくれた。

「重くない?私、もっと持てるよ」
「これくらい平気だよ。それに、女の子にそんなにたくさん持たせちゃ悪いからね」

まただ。私の心拍は大きくなり、耳の裏からじわじわと熱を帯びていく。沖田くんと一緒にいる間、たぶん私の体温は一度か二度くらい上昇するのだと思う。もうそこまで気温が高いわけじゃないのに、踊り場の開いた窓から入り込む乾いた風がとても心地よかった。

沖田くんは優しい。そんな当たり前のことに気がついたのは、斎藤くんの相談に乗ってもらうようになってしばらく経ってからのことだ。単なる暇つぶしに利用されているだけかと警戒していた最初の頃はまったく気にしなかったのに、次第に彼のさり気ない気配りや女の子扱いを嬉しく感じるようになった。沖田くんは優しいひとだ。だからこそ私は、自分がひどく不誠実なことをしているような気がして、後ろめたかった。沖田くんの近くに居たいがために、斎藤くんを口実にしているように思えて仕方なかったのだ。
斎藤くんへの憧憬は確かに本当だったのに、沖田くんに対する気持ちのほうが大きくなってしまった今では、恋愛相談と銘打って彼を繋ぎとめている状況が心苦しい以外の何物でもない。

「沖田くん、あのね……」

ずっと言わなければいけないと思っていた。決心がついたのは、沖田くんの前でこれ以上卑怯な自分でいたくないという思いからだ。それに、そのつもりがなくても結果として斎藤くんを出しに使っている罪悪感も重たかった。
いつまでも先延ばしにして沖田くんのほうから切り出されるよりは自分から言ったほうがマシだ、と尻込みしそうな自分を叱咤し、唇をこじ開ける。

「私、もう、沖田くんに斎藤くんのこと相談するの、やめる」

声が僅かに震える程度で済んだことに安堵する。先に踊り場へ下り立った沖田くんが足を止める。
昨夜、どんな返答が返ってくるか何度もシミュレーションしてみたけれど、考えた分だけ辛辣な言葉が思い浮かんだ。ああそう、じゃあこれでお役御免だね、清々するよ、とまでは言われなくても、それに近い言葉が返ってくると予想し、唇を引き結んだ。何を言われても泣くことだけはしないようにと自分自身に釘を刺す。ゆっくりと振り返った沖田くんが三段分だけ高いところで立ち尽くす私を見上げる。想定していたよりも、表情が曇っていた。

「もしかして……昨日言い過ぎたこと怒ってる?良いアドバイスをしない僕に愛想尽かした、とか」

しゅんと眉を下げた沖田くんの反応は、昨夜のシミュレーション結果のどれにも当てはまらず、身構えていた私は一瞬呆気に取られた。

「えっ、あ、違う、違うよ」
「じゃあどうして――」

私が慌てて首を横に振り、沖田くんが半信半疑に眉をひそめたときだ。私の手のなかにあったプリントの一番上が窓から流れ込む風に攫われていく。小さく声を漏らし、咄嗟に手を伸ばした私は、あろうことかバランスを崩して段差を踏み外した。真下に沖田くんがいるのに、と思考が追い付く頃にはプリントの束が宙を舞い、私は踊り場の床に投げ出されていた。まともに受け身を取れる体勢ではなく、まぶたを固くつむるのが精一杯で、沖田くんが私の名を呼ぶのを意識の外で聞いた。

ガサガサとかバサバサというような紙の擦れ合う音が一通り収まり、数秒の静寂が流れる。「なまえちゃん、大丈夫?」と尋ねる声がなぜだか頭のすぐ上から落とされ、促されるように恐る恐るまぶたを開けた。頬にあるのは冷たい床の感触かと思いきや、見慣れたカーディガンの色と柔らかさ。不思議と痛みはほとんど感じられず、疑問符を浮かべて顔をあげた。

「あーあ、なんか悲惨なことになっちゃったね」

プリントやノートが散乱した辺りを見回した沖田くんが苦笑をこぼす。私は、沖田くんの腕のなかにいた。

「っ、ごめ、」

瞬時に自分の置かれている状況を察し、身体を離した。座り込んだ足の下でプリントの何枚かがくしゃりと音を立てる。「何ともないなら良かった」と安堵した声を出す沖田くんが、足を滑らせた私を抱き止めて助けてくれたのは明白で、その証拠に腕に包まれた余韻は残ったままだった。沖田くんは散らばった周囲を片付けるのは難儀しそうだ、と言ったふうに一息吐いて片膝を立てた格好で座り直した。一方で私はスカートの端を握り締め、こみ上げる感情を押し殺すのに必死になっていた。きっと頬だけでなく耳まで赤いだろう。悲しくもないのに涙が出そうだ。心臓が早鐘を打ち、今にも張り裂けるのではないかと錯覚した。

「ええっと、さっきの、話なんだけど」

唐突に引き戻された話題は私をさらに動揺させるには十分だった。分かりやすく肩を強張らせて顔をあげてしまった私は、自分がどれだけ彼という存在に追い詰められているかを知る。そしてまた、否定のしようもないほどに知った。私は、沖田くんに恋を始めている。

「あれはどういう――」

目を丸くして言葉を失う沖田くん。その視線を一身に受け、顔の中心へ血液が集まるのを感じた。内から際限なく湧き上がる感情には息苦しさすら覚え、咄嗟に深くうつむいた私の唇から吐息がひとつこぼれた。

「えっ?あ、そういうこと……?」

いっそ溶けて消えてしまいたい。あまりにもあからさまな態度が、沖田くんの問い掛けを肯定する。こうなれば私にはもう羞恥しかなくて、ただただ身体を縮こませ、スカートの生地を握り締めた。

「ご、ごめん、沖田くん、いい迷惑だよね……っ、今までたくさん相談に乗ってくれてたのに……っ」
「いやっ、迷惑とかそんなこと全然ないから……!」

言葉を詰まらせる私に沖田くんがいつになく焦った声を出した。それもそうだ、恋愛相談を受けていた相手から好意を持たれるだなんて、寝耳に水もいいところだ。今まで何のために自分は時間を割いてきたんだ、ただの骨折り損じゃないか、と責められたとしても仕方がない。それなのに「そうだったんだ……」と呟くに留める沖田くんは、やはり優しいひとだ。口元に手を宛てて黙り込む様子からして、驚きと困惑をまだ飲み下せていないだろうというのが推し量れた。それだけに、私は余計にどんな顔をしていればいいか分からずに、途方に暮れた気持ちで沖田くんの伏せた睫毛の先を見つめていた。

「うわあ、どうしよう……ちょっと、にやけていい?」
「え……?」
「やばい、すっごい嬉しい……!」

膝を抱えて顔を埋めた沖田くんが感極まったような声を出した。上靴の爪先でじたばたと床を叩き、奇声に近い唸り声をあげて何やら悶えている。長身の身体で体育座りをする姿はとても貴重な光景に思えたが、それよりも異様な興奮ぶりに驚いてしまい、うまく反応ができなかった。
沖田くんが落ち着くまでおろおろしながら待っていると、やがて深々とした溜め息が聞こえてきた。

「僕さ、本当は途中からはじめくんの相談を聞くの嫌になってたんだ。でも、相談役を降りたら君と話す口実がなくなっちゃうし……。はやく振られるか諦めるかしてくれないかなって、思ってた」

膝を抱える腕のなかからくぐもった声が告白する。躊躇いがちに頭を持ち上げた沖田くんは体育座りを崩し、苦笑いしながら私を見た。

「ごめんね、恋路を快く応援してあげられる良い友達じゃなくて」

肩をすくめた彼に、そんなことないと言う代わりに首を横に振る。沖田くんは粗雑に相談に乗っていたわけではない。いつだって私の話をちゃんと聞いてくれた、呆れながらも一緒に考えてくれた。そんな時間が楽しくて、嬉しくて、私は彼に惹かれたのだと思う。
涙を滲ませた私の手を沖田くんがそっと握る。指先の僅かな震えに気がつき、堪らず握り返した。

「僕、なまえちゃんのこと、好きになっちゃった」

沖田くんが屈託のない顔で笑った。胸の奥に温かい気持ちが流れ込み、これ以上ないというくらいに、このひとが好きだなあと思った。

「ねえ、君も同じ気持ちだって、思ってもいい?」

額同士がこつんと触れ合う。火照った顔をした私の返事なんてもう決まりきっている。

「私も……沖田くんが、好き」

たどたどしく告げた私に沖田くんはとても嬉しそうな顔をした。つられて笑みをこぼすと、沖田くんが「両想いっていいね」と照れ臭そうに言ったから、額を寄せ合ったままふたりで小さく笑い合った。
窓から入る風が私達の髪を撫で、舞い上がったプリントの数枚が階段を滑り落ちていく。いとしさのあふれる胸の奥には高鳴りの止まない鼓動。それはどこまでも、恋の音をしていた。



それは確かに、


END


『honest!』aoi様より
aoi様の沖田くんに、私も恋に落ちました。


prev next

back

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -