「みょうじさん」

「え・・・私、ですか?」

「ちょっと、良いかな?」

「は、はいっ」




彼が、初めて私の名前を呼んだ。




10minutes




作りかけの資料を上書き保存し、私は沖田さんについて行くと給湯室へたどり着いた。

おはよう、おつかれ。

その挨拶以外で、彼と言葉を交わす機会なんて無かった。

もちろんまだ昼休みでも何でもない、出社して2時間くらいしかたっていないこの微妙な時間に何事だろうかと思いつつも、ちょっぴり期待している私。




電気ケトルが音を立てるその横で、何故だかコーヒーをせがまれた私は用意をしている。



「相談できるまともな女の子が、君くらいでさ」



それに、昼休みだと他の人に聞かれちゃうかもしれないでしょ、とマグカップを受け取った彼。



熱過ぎて、ずず、と音を立てて飲みこんだのは、安っぽい上に少し酸化してしまっているコーヒー。

けれどもそれを、不味いとも感じない私はきっと、意識が彼に集中しているからなんだろう。

褒められてるのかすら分からないけれど、彼のその言葉は、“まともな女の子”であるらしい私を頼りにしてくれているようで。

それはつまり、私の事を見ていてくれたのかなとか、気にしててくれたのかなとか。

彼の中にはちゃんと“私”が存在しているんだって、それだけで、想い続けたこの2年間は無駄なんかじゃないって感じてしまう私はきっと単純なんだ。

私は、マグカップを両手で包みこみながらコーヒーの香りをかいでいた。



「女の子ってさ、何貰ったら嬉しい?」



唐突なその話題に、さっき過ぎった淡い期待をあわててかき消した。

「・・・えっと、女の子のタイプにもよるのではないでしょうか・・・」

「ああ・・・まあ、そうだよね」

そして彼は、未だ口を付けていないコーヒーを、一生懸命冷ましていた。

「誕生日、とかですか?」

「・・・んー。・・・・・・ごめんねの、きっかけに?」

私から目を逸らして、ぼんやりと天井を見上げながら言った彼の中に居る“女の子”。

ごめんねって事は、きっと彼の方が悪いという事なのだろうけれど、沖田さんと、おそらく彼女の間を取り持ってあげられるほど、私に余裕なんてない。

だって今こうして、その知らない彼女に嫉妬してる。・・・・・・想像はしていたけど、彼女がいるなんて聞いた事無かったし。

「漠然とし過ぎてて、提案が、難しいです・・・」

逸らした彼の瞳を追いかけながら呟くと、くすぐったそうに笑った。




「似てるんだ、君に」



―――え?




最近、付き合いだしたらしい。

仕事で疲れて爆睡していた沖田さんは、待ち合わせ時間が過ぎている事も気付かずに、彼女を2時間以上待ちぼうけさせたとか。

「正直さ、出掛ける約束したのかすら覚えてないんだけどね」

ぽりぽりと、頭をかきながら笑う彼の頬が少し赤いのは、きっと彼女に想われて幸せな証拠なんだろう。

「確かに半分寝ながら電話してた時はあったけど、ほとんど記憶がなくてさ」

怒ってメールも電話も無視されてしまっているらしく、仕方がないから直接会いに行って謝ろうということらしいが、手ぶらで行くのに自信がないと。



「・・・・・・私だったら、嬉しいです」

「え?」

「沖田さんが・・・大好きな人が、会いに来てくれたらそれだけで、嬉しいです。

たぶん、ごめんって、君の事が大好きだよって、伝えて抱き締めてあげるだけで喜ぶと思いますよ?」



私、何言ってるんだろう。



「・・・そう、かな」


「そうです。それにきっと、怒りすぎたかなって、彼女後悔してると思います」



大好きな彼の、背中を押す事は嫌では無いんだけれど。

その先に居る彼女の事を考えると、切なくてたまらない。

私いま、上手く笑えているだろうか。


「なんか、自信出てきた。ありがとう」

「いえ・・・」

「仕事中にごめんね?」

僕、洗っておくよと私の手の中のマグカップを取ろうと伸ばされた手に、触れてはいけないと、反射的に制してしまった。

「だ、だめですっ、先輩にそんなこと。私が、やりますから」

「・・・君みたいに、もう少し素直で優しかったら僕も悩まなかったのかな」

「おき・・・・・・」

「じゃあ、先に戻ってるよ」



そうして、給湯室のドアノブに手を掛けた後ろ姿の彼を、気付いたら呼びとめていた。



「沖田さん!」





「ん?」



「・・・・・・わ、私」



私ならもっとあなたを―――








「・・・・・・よかったら・・・また、相談乗ります」



言いたい事は、こんな言葉じゃないのに。

でも、彼を困らせてはいけないと、音にしようとした言葉を飲み込んだ。


「・・・ありがとう。でも、そうならないように努力しなきゃ、かな」

優しく微笑んでくれた沖田さんの、幸せそうなその表情は私ではない、彼女を想ってのものなんだろう。





チクリと胸が痛んだけれど。

伝える事も叶わないこの想いは、どうやったら消化出来るんだろう。

彼から受け取ったマグカップを洗いながら、ぼんやりとにじんでしまった視界。

瞬き一つでこぼれ落ちた水滴は、泡と一緒に流れていった。

好きの気持ちも一緒に、洗い流してしまえたらどれだけ楽なんだろう。

好きな人が幸せになってくれたら、なんてそんな心の広い事言えない。

私の方を、向いて欲しい。



彼が好きになった彼女と私が似てるなんて。

彼女が私みたいだったらよかったなんて。



じゃあ、どうして、私じゃないの?





「こわれちゃえばいいのに」





私は、叶わない恋を諦める術を知らない。

お願い、誰か私に、無理だと言って。






END


(NEXT→あとがき アヤ様へ!)

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