「・・・・・・結構降ってる」
テストまであと1週間。部活も禁止期間なので、家に帰って勉強をしなくてはと生徒玄関の扉を開けば、昼過ぎから降り始めた雨は止む気配なんてなかった。
母親から言われて鞄に入れておいた折りたたみ傘を開くと、どんよりとした曇り空に少しだけ気分が明るくなるお気に入りの虹色ドットのグラデーション。
「なまえちゃん」
「・・・ん?あれ、総司・・・一人?珍しい」
「え、どうして」
「いや、いつも斎藤くんと一緒だから」
「・・・一君は図書室で勉強してくって」
「総司はいいの?」
「・・・雨、ひどくなる前に帰りたくてさ。家でやるよ」
「ふぅん」
「ねえ、僕も入れて」
「え?」
「・・・傘、持ってないんだ」
そう言って、私の手から傘をひょいと奪い取り、私の腕を引いた。
「ほら、帰ろう」
「・・・うん、」
「なまえちゃん、濡れちゃうよ?」
「え、ああ・・・・・・」
私の肩を引き寄せた彼と、相合傘。
小さな折りたたみ傘は雨から二人を完璧に守ることなんて出来ない。
私はカバンが濡れないようにぎゅっと抱きしめていた。
雨の魔法
2年に進級してから同じクラスになった総司とは、席が近いこともあって割と仲良くしている。
教科書を忘れることが多い彼に、私のを見せてあげることがほとんどなのだけど、授業中、先生の目を盗んでは私の教科書によく落書きをしている。
『・・・似てるでしょ』
『土方先生?そっくり・・・』
二人、先生に見つからないように顔を見合わせて笑う。
だから、私の教科書は総司の落書きでいっぱい。
古典の教科書に載っている出典の作者の顔なんて見るも無残だ。
総司の第一印象は、顔立ちもすごく綺麗で、大人っぽいと思っていたから、案外子供っぽくてびっくりした。
ザァァ、と真っ直ぐに地面に降る雨が、総司の、肩を濡らす。
私の肩は先程から総司の手が守ってくれているから、多分そこまでひどくはない。
赤信号で立ち止まり、横断歩道に出来ていた水たまりを避けるように信号が青に変わるのを待った。
「・・・総司、うち寄って。傘貸してあげる」
「いいの?」
「だって、このまま別れてどうするの?ずぶ濡れになって風邪ひいたら意味ないじゃない」
「ありがと」
そうして、私を見下ろして彼が微笑んだ。
子供っぽい癖に、その顔で笑うとか本当ずるい。
ばくばくしてるこの心臓の音が彼に伝わっていないといいな、そんなことを思いながら視線を逸らすと、ちょうど信号が変わった。
総司のことを好きかもと思ったのは、授業中だった。
その日も教科書を見せていて、総司と机をくっつけていたんだけど、5限、お腹がいっぱいで眠たくなったらしい彼は、結局机に伏せて眠っていた。
(・・・・・・ほんと、綺麗な顔)
私は頬杖をつきながら、彼の寝顔を眺めていた。
起こすのももったいない、先生に気づかれるまでこの寝顔を堪能しよう、そんな風に思って。
でも、寝てるなら、いいかなって。
彼の頬に人差し指でそっと触れた。
瞬間、パチリと開いた彼の瞳が私を見つめた。
『・・・っ、』
『・・・なに?』
『なんでも、ない』
寝たふりだなんてタチが悪い。
今度は頬杖をついて、私の顔を覗き込むようにクスクスと楽しそうに笑った。
・・・・・・ずるい。
そして、ドキドキしてる自分に気がついた。
「ごめんね、うちの母親がなんか・・・」
「いいよ、せっかくだからテスト勉強して帰る」
要らない傘を総司に貸そうと、母親に声をかければ「風邪ひいちゃうわよ!」肩を濡らした総司に慌ててタオルを押し付け、温まって行きなさいと家に上げることになってしまった。
私の部屋に、総司が居る。
小さなテーブルの前にあぐらをかいて座った彼は、ガサガサと鞄の中からペンケースを取り出しながら言った。
「ねえ、テスト範囲教えて」
「・・・そこからなの?」
「え、うん、」
「家に帰ってやるって言ってたじゃない」
「・・・・・・ああ、言ったかも」
「適当なんだから」
「・・・・・・いや、」
「?」
後頭部をかきながら、気まずそうに視線を逸らした彼が、何を言うのかと言葉を待っていれば、母親がコーヒーとお菓子を持って部屋に入ってきた。
「ちょっ・・・!ノック!お母さんってば!!」
「あら、ごめんなさいね〜」
「もーーー!!」
母親にはあまり恋愛の話をしたことがないから、とても気まずい。
同じクラスの友達だと言ったけれど、あの嬉しそうな顔は絶対に何か勘違いしているに決まってる。
母親から受け取ったトレーから、マグカップをテーブルに置いた。
「・・・なんか、ごめん」
「いや、可愛いお母さんだね」
「そんなお世辞言ってもなにも良いことないよ」
いただきます、と言ってコーヒーを手にした彼が、一生懸命冷ましていた。
「・・・総司、猫舌?」
「なに、おかしい?」
「ううん・・・」
―――可愛いと、思っただけ。
だっていつも、学校で食べるのは冷たいお弁当かパンだもんね。
総司の知らない一面を見られて私はなんだか、嬉しくて頬を緩めた。
「・・・・・・これってさ、お砂糖入ってるかな」
冷ましていたコーヒーを見つめながら、ふと思い出したように彼が言った。
「え?多分入ってると思うけど、」
「・・・・・・」
「もしかして、コーヒー苦手?」
「いや、苦いのが、ダメ」
「もうちょっとお砂糖持ってきてあげる」
「ごめん、わがままで」
「今に始まったことじゃないでしょ」
二階から降りると、リビングでテレビを見ていた母親がニヤニヤ顔で「彼氏?」とか「いつ出来たの」とかいろいろ聞いてくるから「違うよ!」と否定することしか出来なかった。
ああもう、本当嫌だ。私絶対顔真っ赤だ。どうしよう。
「総司、お砂糖・・・?」
火照った頬を押さえ、ドキドキしながら部屋に戻ると、テーブルにうつ伏せになってる彼。
「え、ちょっと、もしかして具合悪・・・・・・、寝てる?」
となりに座り込んでよくよく顔を覗いてみれば、すうすうと聞こえる寝息。
・・・本当によく眠るな。
雨に濡れたせいで熱でも出たのかと心配したけれど、そんなことはないらしい。
勉強を始めると眠たくなる習性なんだろうか。
「・・・・・・」
ちょっと待って。
これって、あの時の、寝たふり?
・・・・・・もう騙されてなんてやらないから。
「総司、お砂糖持ってきたよ。ねえ、」
・・・・・・起きない。
「勉強するよー」
・・・・・・だめだ。
本当に、寝ているんだろうか。
「おーい」
・・・この前みたいに、人差し指で彼の頬に触れてみたけれど、起きる気配なんてなかった。
そして、鼓動が早くなる。
眠っているなら、と。
今は授業中でもなんでもなくて、総司と二人きりなんだ、と。
「総司・・・・・・」
さっき、雨で濡れてしまっていた彼の肩に触れた。
膝立ちになって、彼の寝顔を至近距離で覗き込む。
「総司、」
こんなに胸が騒ぐのは、彼のせい。
ドキドキどころじゃない。
その頬にゆっくりと近づけた唇が、ふれる、その瞬間を想像して、私はとても緊張している。
あと少し。
あと、少し。
あと・・・・・・。
・・・・・・あ、れ?
触れたのは、頬じゃなくて。
「・・・なまえちゃん」
多分、ほんの一瞬だったんだと思う。
離れた唇から紡がれた私の名前。
キスをした、その事実に私はただ、驚くことしか出来なかった。
だって、このタイミングで彼が目を覚ますだなんて思わなくて。
「そっ・・・・・・え、え!?あ・・・あああ、あのっ、ご、ごめっ・・・」
「・・・・・・謝られると傷つくんだけど」
「えっ」
「・・・もうちょっとからかってから起きようと思ってたのに、」
「や、やっぱり寝たふりだったの!?」
「近づいてくる気配にどうしようと思って、」
「あの、それは、だから・・・」
「なまえちゃん」
「は、はいっ!!」
彼に名前を呼ばれて、思わず背筋を伸ばしてしまった。
こちらを見つめるその瞳は、なんだかいつもと少し違うような気がする。
そして、彼の頬が赤いのは、気のせいなんかではないだろうか。
「もう一回、ちゃんとしたのしようって言ったら、してくれる?」
「え・・・・・・」
「好き、だよ」
「・・・あの、」
「キス、しようとしたくせに、嫌いとか言わないよね?」
少し不満気な声色でそう言うと、私の顎を引き寄せた。
やっぱり、総司の顔が真っ赤になっているのは、気のせいではないみたいだ。
「・・・・・・す、好き、です」
END
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