母親からのメールに、やっぱりかと思う自分と、嘘であってくれと願う自分と。
泣き崩れそうになりながら、私は慌てて電話をかけた。
「・・・お母さん?」
2コール、直ぐに優しい声が聞こえる。
けれども、いつもより元気のないその声は、先日の病院の診断結果のせいだろう。
「私は元気だよ?・・・うん、うん。・・・週末帰るからさ・・・・・・え?いいってば・・・・・・うん、」
私のことをいつも心配してくれる母には、もっと色んなものを見せてあげたいと思っていた。
けれど思うだけで結局何も出来なかった親不孝な自分。
子供だっていない、まして結婚だってしていない。ついでに言うと、彼氏とは1年前に別れた。
じゃあね、と切った携帯を見つめて、私はどうしたら母に親孝行ができるだろうかと考えていた。
治療次第では、いい方向に向かうこともあると先生は言っていたらしいけれど、完全に母は気落ちしてしまっている。
母の心の中の不安とか、ストレスとかそういうの全部取ってあげることが出来たら、少しでも体調が良くなるだろうか。
そのままぼんやりと、携帯のアルバムを開いて、遡ってみる。
つー・・・と、何度目か、画面をスクロールしていた手が止まった。
「・・・・・・」
元彼と仲良く写っている写真。
・・・忘れてたな、消さなかったんだっけ。
思い出は、それ1枚だけだ。
どうしてか大事に取っていた、理由さえもう忘れてしまったけれど。
別れた男の写真を、未練たらしく保存している私。
前を向こうって決めたはずなのにな。
そう思いながら、削除してしまおうと画面に触れた。
彼と結婚出来ていたら、今何か違っただろうか。
私ももう少し、母に親孝行ができていただろうか。
「・・・・・・っ、」
けれど、どうしても押せない削除の文字が、ぼんやり滲んで見えなくなった。
馬鹿だなあ、私。
携帯を放り投げて、ベッドに横になった。
しまいこんだ思い出が、どんどん蘇ってくる。
「もうっ、こんな時に・・・・・・」
総司の為になんてもう泣いてやるもんかと決めていたのに。
私を呼ぶ声が、また、蘇る。
『なまえ』
本当は、彼と結婚出来たらいいなって思って、私―――
「・・・総司、」
・・・結婚、出来ていたら―――
ああ、そうか、その手があるのか。
放り投げた携帯を拾い上げて、私は彼の、連絡先を開いた。
もしかしたら繋がらないかもしれない。
それならそれで、きっぱりと諦められるというものだ。
「ふぅ・・・・・・」
・・・ああ、こんなにドキドキするのなんて久しぶり。
携帯を握りしめて、じっと彼の名前を見つめていた。
最悪の事態を想像する。
もしかして今付き合ってる彼女とか居て、楽しんでいるところを邪魔してしまったら。
けれど、先延ばしにしたら恐らく私は、彼に二度と連絡をしない気がする。
迷惑は掛けたくない、それはもちろん事実だけれど、こうして蘇ってきた思い出に、こんなにも胸が熱くなるのは、彼のことをまだ好きだという証拠だろう。
別に、告白をするわけではないのだから・・・。
彼に連絡するのは、母のためだ。
そう自分に言い聞かせて、私はやっと、彼に電話をかけた。
まず、コール音が鳴ったことに安堵した。
けれど、ずっと耳元から聞こえるそれが、今度は私を不安にさせる。
もう私のことなんて忘れたいのかもしれない。
むしろ、連絡先を消されているかもしれない。
・・・・・・いっそ、切ってしまおうか―――
『・・・もしもし』
で、出たっ・・・!
「・・・あ、えっと・・・・・・そ、総司?ごめん、急に、あの・・・」
『どうしたの』
「・・・ちょっと、お願いがあって、あ・・・ていうか今電話してて平気?」
『・・・平気じゃなかったら出ないよ。ねえなまえ、少し落ち着いたら?』
なまえ。
懐かしい声と、呼んでくれた私の名前に、涙が溢れた。
愛しくてたまらない。
「ごめんね、えっと・・・・・・お願いが・・・・・・あの、ちょっと変なお願いなんだけど」
『とりあえず聞くだけ聞いてあげるよ』
「うん、あのね、」
母を安心させたくて、私は総司に、彼氏“役”をお願いした。
今ちゃんと、結婚を考えて付き合ってる人がいるんだって、だから私のことは心配しなくていいよって。
まさか総司が、了承してくれるなんて思わなかったから、正直びっくりした。
こんなことを引き受けてくれるくらいだから、彼女だって居ない・・・と思う。
もちろん、これがきっかけでどうにかなれば言いなんて思わない・・・とは、言い切れない。
私はなんてずるいんだろう。
「・・・久しぶり。・・・えっと、来てくれてありがとうね」
「うん」
新幹線の改札前で待ち合わせて、隣同士の席に乗った。
交通費は私が出すからと言ったのに、それくらい気にしなくていいと言われた。
これは、借りを作りたくないということなんだろうか。
「・・・・・・ん、」
「・・・・・・っ!?」
沈黙に耐え切れなくて、何を話したらいいかと必死で頭の中からいろんな話題をかき集めていたとき。
急に右肩に感じた重み。
それから、すうすうと規則正しい、呼吸。
・・・早朝に待ち合わせたわけでもなかったのだけれど、余程仕事で疲れているのだろうか。
まだ乗ったばかりだというのにもう眠りに落ちている。
私の肩に、頭をあずけて。
「・・・・・・はぁ」
ふわりと香る彼の匂い。
匂いって本当に不思議で。
忘れていた思い出を蘇らせる。
付き合っていたときのことが、ポロポロとこぼれ落ちるみたいに、私の中にどんどん広がっていく。
今、こんなに、近くにいるのに。
心は、きっとすごく遠い。
じわ、と浮かんだ涙を、私は必死で堪えていた。
そして、あくびを噛み殺した総司と一緒に、母のいる病院の前に立っている。
「ねえ、ごめんね?疲れてるよね、忙しいのに」
「いや、違うんだ、そうじゃないんだけど。大丈夫、行こう?」
「あ、うん・・・・・・えっと、そうだね」
「何固まってるの?緊張してる?」
その通りだ、緊張している。
親に彼氏だと嘘をついて元彼を紹介するなんて。
上手くいくだろうかと、さっきからずっと。
「大丈夫、上手くやるから。僕がこういうの得意なの知っててお願いして来たんじゃないの?」
「・・・・・・えっと、」
「ほら、」
「え・・・」
「手、繋いで行こう?お母さんにバレても良いの?」
「・・・・・・うん」
ねえ総司、私、演技は上手くないの。
あなたはきっと、難なくやってのけるかも知れないけれど。
自分で言い出しておきながら、私、こういうの苦手なんだ。
・・・だからさ、病院にいる間だけでいいから、彼女に戻らせて。
その後がどんなに辛くても、きっとまた時間が慰めてくれるから。
だから、今だけ。
お母さんもごめん。
あなたのために、私は嘘をつきます。
どうか、優しい嘘に、なりますように―――
「お母さん、喜んでたね?」
「・・・うん、ありがとう」
確かに、私が男の人と一緒に帰ってくると思わなかった母は、すごく嬉しそうにしていた。
それから、総司があんまり自然に私のことを話すから、本当に、彼女に戻った気がした。
「・・・また会いに来ようか」
「え?」
「もう少し、付き合ってあげてもいいよ」
そうしてなんだか、少し切ないような、何とも言えない顔で笑った。
本当は、今日だけの予定だったから、まさか総司の方からそう言われると思わなくて。
「でも、総司だって忙しい、でしょう?今日だってすごく眠そうにしてたし」
「君のお母さんへの愛情に絆されたよ。なまえがこんなに優しい子だったなんて、知らなかった」
「え・・・?」
「だから、甘えていいよって言ってるの」
そっと私の手を取って、ぎゅっと握った彼が、どういうつもりなのか。
そんなこと、されたら。
私は、期待することしか出来ないけど、あなたは応えてくれるの?
それともこれは、演技の続き?
「お母さん、早く良くなると良いね?」
「う、うん・・・」
ほんとの嘘
それから半年後、母が無事に退院したと報告をするために、総司を飲みに誘った。
「ありがとう、たぶん、効果は少なからずあったと思うの」
「それは良かった」
だから、今日限りで彼と会うのも、連絡を取るのも最後。
ちゃんとサヨナラしなきゃって、私は少し背筋を伸ばして息を吐いた。
「ねえなまえ、笑わないで聞いてくれる?」
「何?」
私が口を開く前に、気まずそうに視線を逸らして、彼が照れくさそうに話し始めた。
「あの日、・・・・・・新幹線で爆睡してたのさ・・・」
「ああ、全然起きなくてびっくりした。疲れて・・・」
「いや、本当はそうじゃなくて」
「??」
「君に会うの、すごく久しぶりで、柄にもなく緊張してた」
「は・・・・・・」
「それで、なんか、隣になまえがいるのすごく安心しちゃって、気づいたら寝てた」
「な、何、」
「信じてくれないかもしれないけど、本当は、振ったことずっと後悔してたんだ。でも自分が振ったわけだし、そんなの訂正なんてできないよなってずっと思ってて」
今、一体何が起こっているんだろうか。
私の目の前で、なんだかふてくされた子供みたいな顔をして、頬を赤らめている彼。
私、夢でも見てる?
「だから、今更、かもしれないんだけど。
泣かせた分だけ笑わせるから、もう一度、君のそばに居てもいいかな。
演技じゃなくて、ちゃんと、お母さんに会いに行きたい」
END
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