肩を並べて歩くその距離が、以前より少し離れた。

彼と私が、恋人では無くなったから。

それでも会う事を止めないのは、諦めきれない私からの執拗なまでの誘いのせいだと思う。

私を振った彼は、きっとどこか後ろめたい気持ちがあって断れないんだろう。

そう、出会ったときから優しい人だった。




「・・・もう、止めないか」

「え・・・・・・」

雑踏の中、聞こえた彼の声を疑って、私は思わず聞き返した。

別れてから、何度目か。映画を見た帰りだった。

触れそうになった手も、繋ぐ事は出来ないし。

名前で呼び合う事も、しなくなった。

それはこれから先、ずっとなの?

「何、を・・・」

「あんたの、無理して作る笑顔を見ているのが辛い」

「私、無理なんて・・・」

「勝手な事を言っているのは承知しているが、すまない」


その日、どうやって家まで帰ったのか覚えてない。





あれから、もうすぐ半年経つ。

メールも電話も、彼からの返事は一切なくなった。

中途半端な関係を続けるよりも、つき放してくれた方が楽だと思っていたけれど、彼を想う気持ちは変わらないし、私の中にある思い出だって消えない。

いっそ私の思い出ごと、全部さらってくれれば良かったのに。



別れの理由も、よく分からなかった。

理論的な彼らしくないなって、思ってた。

『これ以上一緒に居ても、お互い辛いだけだ』

意味が分からないと理由をせがんでも、頑なに口を閉ざしている彼からは、何も聞き出せなかった。



『・・・・・・別れよう』



その時の彼の顔をはっきりと覚えていた筈だったのに。

私の記憶の中、もやがかかったみたいにぼんやりとしてしまった彼の表情とは反対に、鮮明に頭に響く彼の声。



「あれ・・・」



崩れそうになる自分を必死で止めるために、流れ出した涙を慌てて拭った。

明日も仕事だもん。

ここで泣いたら、目を開けられなくなるくらい泣き腫らすに決まってる。






「おはようございまーす」

「おはよーなまえちゃん」

彼と出会ったのは、同じ職場の沖田くんの紹介。

「ねえ、もうあの店行った?」

隣の席に座ると、こそこそと、嬉しそうに話しかけてきた。

「駅前のカフェのこと?まだだけど・・・オープンしたばっかりでしょ?」

「今日夜予約しといたから」

「は?」

「断るのは無しね」

「ちょっ、急になに!?」

「予定でも?」

「・・・・・・ありません」

よかった、とニッコリほほ笑んだ沖田くんはまたパソコンのモニターに視線を戻した。

いつも強引なのは知っているけれど、何時にも増して一方的すぎる誘いに、ちょっとだけ違和感を覚えつつも、まあ沖田くんだからしょうがない。



終業時間を少し過ぎて、沖田くんに声をかけたが、もう少しかかるから先に行っててと、なんだか冷たくあしらわれた。

「何よ。自分から誘っといて」

ぽつりと悪態をこぼしながら、行列をくぐり抜けにぎわう店内へと足を踏み入れた。

「あの、予約してるんですけど・・・」

「ご予約のお名前は?」

「・・・沖田で」

こちらです、と案内してくれたスタッフさんに連れられると、窓際を向いて座っている、誰か。

ピンと伸びた背筋と、鼻筋の通った綺麗な横顔。

手もとの小説に落とされた瞳。

誰かと言ったって、こんなに見覚えのある人、他に知らない。

私の気配に気づいたらしい彼がこちらを向いた。



―――なんで?



「えっと、あれ、沖田で予約してるんですけど!?」

あわててスタッフさんの陰に隠れながら、そう言ってみたものの、冷静に返される。

「はい、沖田様のお席はこちらで」

そう言って、ごゆっくり、とお辞儀をして去っていった彼女のせいで、隠れることができなくなった。


―――や、やられたっ!!!



「・・・・・・・・・っ」

会いたくて会いたくてたまらなかった。

でも、早く忘れたくて次に踏み出そうと思って、頑張ってきた。

それなのに、私の努力なんて何一つ報われなくて、毎日、毎日彼の事ばかり考えてた。

じわりと涙でぼやけた視界。

もう戻れるはずなんて無い私たちが、二度と会ってはいけないのだと。

今だって、一目見ただけでぐらりと揺れてる私の想い。


きっと彼だって、沖田くんに嵌められたって、思ってる。




「なまえ!」




逃げ出そうとした私の腕を掴んで、彼は私の、名前を呼んだ。

「俺が・・・総司に頼んであんたを呼んでもらった」

「な、なんで?・・・いまさら、何も」

「大事な話がある」










「もーーーーっ!!沖田くん!?あやまっても許さないからっ!!」

「ええ?結果、まとまったからいいでしょ?」
 
「よくないっ!!」

付き合って3年。

「だってさ、年齢的にもそろそろ結婚の話が上がっても良いはずなのに、一向にそんな話聞かないから一君を煽ったつもりなだけなんだけどね?」

私に好きな人が居ると相談をされたと、ありもしない作り話を彼に話したらしい。

「俺とて最初は信じて居なかったが・・・」

大きな契約が取れたお祝いにと、土方部長に飲みに連れて行ってもらった日。

二人で店から出るのを目撃していたらしい。

しかも、酔っ払った私は土方部長に「一口くらい良いじゃないですか」とお酒を勧めてしまって。

予想外の酔い潰れっぷりに、タクシーを拾わなくてはと、土方部長を支えながら店を出たのだ。

「ていうかはじめもはじめでしょ!?私にちゃんと聞けば良いじゃない!!」

「あ、あんたが、自分から言い出せず辛い想いをしているのではと気を利かせたのだ!」

「そんな気、いらないしっ」

「なっ・・・・・・」

「だって、私ははじめが一番すっ・・・・・・」

にやにやと私を覗きこむ沖田くんの視線に気づいて、一瞬言葉に詰まった。








『誤解を、していた。それは謝る』

私が土方部長を好きだと勘違いをしていた事。申し訳なさそうに目を伏せた。

『もう、私、わけわかんない・・・・・・つまり、どうしたいの?』

ごそごそと、鞄の中から取り出したそれに目を疑った。







『・・・結婚、しよう』



また、彼の笑顔を見ることができるなんて思ってもいなかった。






さよならは一度だけ






「一君が、なんだって?」

「は・・・はじめが、いちばん、好きなんだから!」







END
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