「斎藤君!・・・今帰り?」

「・・・ああ、あんたもか」

「うん、委員会長引いちゃって」


ちょうど校門を出たところで声を掛けられた。

振り向けば、マフラーで口元を隠していた彼女が鼻の頭をほんの少し赤くして小走りでやってきた。


冷たい風が正面から吹き付け、思わず目を細めた。




凩、引き寄せた距離。





あの夏、花火が終わるまで手を繋いでいた。

見上げていた空の記憶は曖昧で、その指先にずっと意識を持って行かれていた。

振り向いた総司に驚き慌てて手を離せば、嬉しそうに口の端を上げて笑っていた、その顔は今も覚えている。

『・・・それで?お祭りって、どこの?』

全て聞かれていたのかと恥ずかしくなり、平助も話に乗っかってきたせいで引くに引けず。結局また4人で行く事になった。

本当は二人で行きたかった、そんなこと誰に愚痴をこぼせるわけもなく、ただ心の中でため息をこぼすしかなかった。



“今日はありがとう、楽しかったよ!”



祭りの後、届いたメールに何と返信しようかと、気づけば何時間も頭を悩ませていた。

言葉に、特に文章にするのはあまり得意ではない。

伝えたいことが上手く伝わるだろうか。冷たいと思われないだろうかと。

何度も、何度も。



“俺も、楽しかった。それから、みょうじの浴衣も、よく似合っていたと思う”


“ありがとう!斎藤君にそう言ってもらえるとなんか嬉しいかも。もし良かったら、また誘ってね”


“ああ、そうだな。また学校で”



メールのやり取りが増えたのは、その頃からだったように思う。

学校で話せばいいような内容でも、メールなら誰の目も気にせず、邪魔されもしない。



“おやすみ”


たった一言、真夜中に届いていたメールを確認したのは、修学旅行2日目の朝だった。

一人の時間は無いに等しく、普段のようにメールのやりとりだって出来ない。

もどかしさを感じながら、たった一言、俺も返事をした。


“おはよう”


それだけ。

ただの挨拶、その一言だけでも彼女に送るメールは頬が緩んでしまうらしい。

起き抜けの平助に、いい夢でも見たのかとあくびを噛み殺しながら言われた。

『夢、ではない』

『・・・ふうん、意味わかんねぇけど、なあ朝飯何かなあ』

『いいからさっさと準備をしろ』

そう、彼女とメールをしていることは、夢でも何でもない。






冬の寒さに肩を窄ませた彼女は、伸びるはずのない制服の袖を一生懸命引っ張って指先を隠そうとしていた。

「・・・・・・」

「・・・・・・」

隣を歩く。

ただそれだけのことなのだが、二人きりということを意識してしまったせいで、何も言葉が出てこなかった。

何でも良い、みょうじの委員会の話でも、宿題の話でも、何でも―――



「さ、・・・斎藤君」

「・・・っなん、だ」

「えっと・・・あの、・・・やっぱり、何でもない」

「そ、そうか・・・」

「・・・う、うん」



互いに、こんなにも上手く話せなかっただろうか。

最近では毎日メールのやり取りをしているというのに。

学校でだって、話をしているはずなのに―――。



赤信号。

立ち止まり、ぼんやりと向かいの信号を眺めながら、隣の彼女が携帯を取り出したのが視界の端に映った。

何も話さぬ俺に愛想でも尽かしたのか、こういうときは総司や平助が居ればいくらかましだっただろうかと―――


「・・・・・・?」


ポケットの中で震えた携帯を確認すれば、差出人は隣にいる彼女だった。

何か直接言えぬことでもあったのだろうか。

さすがに読まないわけにはいかないだろうとメールを開いた。




“なんか、照れるね?”




―――っ!





驚き、隣の彼女を見れば、俺の視線に気がついたらしく、一瞬ちらりとこちらを見たが、ちょうど変わった信号に気付いて足早に歩き出した。

小さくなる彼女の背中をじっと見つめたまま、動くことができなかった。



・・・・・・今のは、どういう―――。



「・・・れ、斎藤君?」


横断歩道の向こうで振り向き、ほんの少し声を張った彼女が、どうしたの、と不思議そうな顔で名前を呼んだ。

信号は、赤にかわる。


二人を遮るように行き交う車のせいで、彼女の姿が見えなくなってしまった。

別に一緒に帰ろうと言われたわけでも、言ったわけでもない。

そのまま一人歩いて帰ろうが、文句は言えぬ。


不意に押し寄せてきた不安。

もう彼女は、そこに居ないのではないだろうか。

俺のことなど、どうだって―――



【みょうじ なまえ】



ほんの一瞬だけ指先が躊躇うも、呼び出した彼女の連絡先に初めて電話をかけた。



『もしもし・・・?』


ちょうど途切れた車の波。

間違いなく、彼女がこちらを向いて立っていた。

俺が電話をかけたことに対して、不思議そうにしているというよりも、驚きの方が大きいようだ。



もしかしたら、と期待する。

もしかしたら、と不安になる。


その複雑な感情がきっと、俺の背中を押したのだ。



「あんたに一つ、頼みがある」

『どうしたの?』

「・・・その、」

『うん・・・』

「総司や平助と、あんたが仲がいいことはわかっているつもりだ」

『・・・』

「出来ることなら、俺もあいつらと同じように、あんたとの距離をもう少し縮められたらと・・・そう思うのだが」




信号は、青に変わった。




『・・・・・・斎藤君、勘違いしてる』

聞こえてきたのは、淡々と、落ち着いた声色。

やはり言わなければ良かった、すぐに襲ってきた後悔に、少しずつ鼓動が早くなっていく。

『もちろん、沖田くんと平助くんとも仲良くしてはいるけど、ね?わたしは、その中でも一番・・・・・・斎藤君と、仲良くしてるつもりなんだけどな』

「・・・・・・っ、」

『目に見える今のこの距離も・・・心の距離も。今よりもっと、近づけたら嬉しいって思う』



「・・・・・・なまえ」



初めて彼女の名前を呼んだ。



瞬間、顔を綻ばせた彼女を見て、俺は今まで踏み切れなかったことを後悔した。

点滅した青がもう一度赤に変わる前に、彼女のもとへ真っ直ぐに、走り出した。



「・・・斎藤、君?」

「そうでは、無いだろう」

「・・・・・・っ」

「このように傍に居ると言うのに、何故距離を取ろうとする。近づきたいとあんたも言ったはずだ。俺は、そう聞いた」

久しぶりに触れた彼女の手。

相変わらず細くて、折れてしまいそうな冷たい指先を、そっと握った。


「なまえ」

「・・・・・・ちょっと、斎藤君」

「・・・なまえ」

「恥ずかしい、ってば・・・」





ずっと伝えられなかった想いを、真っ直ぐにただ届けたくて。





「なまえ、あんたが好きだ」





ぽろぽろと大粒の涙をこぼした彼女を隠すように、この腕に抱きしめた。




「私も好き・・・・・・」




小さな声は、間違いなく俺の名を呼んでいた。



END
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