「ハッピーバースデー、なまえちゃん」
「・・・・・・え・・・誰に聞いたの?」
後ろ姿の彼女に小走りで追いつけば、きょとんとした不思議そうな顔が僕を見上げた。
ふわりと、柔らかい春の風に吹かれて舞うその細い髪が朝の光でキラキラとしている。
飾らない肌も、スカートの丈も、きちんと校則を守っているのは、君が恋をしている彼の為なんだろう。
「平助君から聞いたんだ」
「ああ・・・そういえば昨日友達と話してて会話に割り込んできたっけ」
そのシーンを思い出そうとしているのか、ほんの少しだけ瞳が空を彷徨った。
「その様子が想像できるよ」
「なんで早く言わないんだって怒られたけど・・・」
「え?」
「プレゼント買う暇ねーじゃん!って」
平助君の真似をしたらしいけれど、生憎お世辞にも似ているとは言いづらい。
横目で彼女を見れば、ほんの少し視線を落として頬を染めた。
「・・・・・・忘れて」
「・・・どうしようかなあ」
「もう!」
「・・・っと」
そう言って僕を叩こうとした彼女の手を、制するように掴んで立ち止まった。
僕よりも、顔半分だけ背の低い君を真っ直ぐに見つめれば、居心地が悪そうに視線を逸らして、手を解こうと引っ張った。
「・・・沖田くん、離して」
「ねえ、欲しいもの何?」
「・・・え・・・?」
「君が欲しいものをあげたら、僕の誕生日には僕が欲しいものをくれる?」
「・・・・・・えっと、それって不公平じゃない?」
意外と冷静にそう答えた君は、抵抗することを止めていた。
「どうして?」
「私が欲しいものと、沖田くんが欲しいものが釣り合うと思えないもの」
「・・・そんなこと無いんだけどなあ」
僕が手を緩めた瞬間を見逃さなかったなまえちゃんは、用心深く僕から距離を取って歩き出した。
するりと離れていった手は、僕と彼女の間で邪魔をしている、肩にかけられたカバンの紐をキュッと握った。
「うん、だから沖田くんからのプレゼントは遠慮しておくね」
「・・・じゃあ、僕が誕生日に君から欲しいものを伝えるから、それと同じくらいのものを強請ってよ」
ほんの少しだけ考えたなまえちゃんは、それなら、と口を開いた。
「・・・・・・何が欲しいの?」
「君からしか、もらえないもの」
意味がわからない、と首を傾げた。
その様子だけでも可愛らしい。
やれやれとため息をついた君と、ひんやりとした玄関で靴を履き替えた。
あれ、そういえば。・・・今日は一君が当番じゃないのか。
何事もなく通り過ぎた校門をもう一度だけ振り返った。
雪の果て、溶けぬ春。
クラス替えのせいで会える時間は少なくなったけれど、それでも会おうと思えば会えるし、教科書を返してと君がやってくる。
「沖田くん、教科書」
「・・・あ、ごめん」
「いつもそうやって自分のものにしようとする」
「あはは、ばれた?」
と言いながら教科書を手渡すと、それを大事そうに胸の前でぎゅっと抱きしめた。
・・・教科書を返しにいかないのはわざとだ。わかっててやってる。
なまえちゃんの教室に行けば、平助君も一君も居るから、少しだけでも二人でいる時間が欲しくて。
「じゃあ、授業遅れちゃうから。バイバイ」
「あ、なまえちゃん」
「うん?」
「お誕生日おめでと」
「・・・もう、朝聞いたよ?」
「おめでとう」
「・・・ありがと。じゃあね」
教室から出ていこうとする君は、僕を振り返り照れくさそうな顔を見せた。尖らせた口が可愛い。
何回でも言うよ。
一年に一度の特別な日なんだから。
「あれ、沖田くん理科室だったんだ?」
「うん。お隣さんだったね」
放課後、担当の掃除エリアが今週から変わる。
ちょうど掃除を終えて何人かクラスメイトが出ていくのを見た彼女が、教室の中をちらりと覗いて口を開いた。
「・・・終わったところ?」
「うん。・・・ちょうどいいや、僕が欲しいもの教えてあげる」
「なあに?」
「・・・座って?」
「うん」
本当のところ、僕が欲しいのは君だ。
けれど、君が欲しいのは僕じゃなくて一君だ。
なまえちゃんが一君のことを好きだと、僕に言ってきたわけでも無いけれど、態度を見ていればすぐに分かる。
だから、僕が欲しいものと君が欲しいものは決してイコールになんてなり得ない。
それならば、せめて。
夕方、まだ日が沈むには少し時間が早い。
先ほど、クラスメイトが開け放した窓を閉め忘れていたらしく、ふわりと揺れたカーテンをくぐり抜けて、春の、匂いがした。
窓を閉めようか、そう思いながら手を伸ばしたけれど、一瞬躊躇してそのままにしておいた。
「・・・沖田くん?」
小さな椅子に腰掛けて、窓際の僕を見上げた彼女。
一体何を言われるのだろうかと、全く予想ができないといったような、不安気な色が瞳に浮かぶ。
きゅっと膝の上で握られた綺麗な手。
規定の長さのスカートでも、座ると膝が少し覗く。
「僕と一君、どっちが好き?」
「・・・何その質問。・・・二人共好きだよ?」
「・・・どっちが好きで、どっちが嫌い?」
「そんな質問、おかしいと思う」
「知ってるんだ、君が一君を好きなことくらい」
「・・・・・・」
はっと、一瞬驚いた表情を見せたけれど、途端に視線を彷徨わせた。
染まった頬が、肯定してる。
「だったら尚更・・・その質問の意味がわからないんだけど」
「一君のことが好きなら、僕のこと嫌いだよね」
「だから、違うってば」
「嫌いって言いなよ」
「嫌いじゃないのに、そんなこと言えない」
「・・・うん、君はそういうこと言えない子だって知ってる」
「・・・じゃあ、どうして?」
君の瞳にじわりと浮かんだ涙が、早く零れてしまえばいいのに―――
「君を泣かせたいから」
僕が欲しいのは、君のその、綺麗な。
「・・・・・・っ」
君の顔を覗き込めば、驚いてまぶたを閉じた。
つう、と頬を伝った涙が、あんまり綺麗で。
涙の粒を掬うように、その頬にくちづけた。
「・・・しょっぱい」
「やめて、」
「まだ僕の誕生日じゃないけど、欲しいものをもらったから、あとで君の欲しいものをあげるよ」
「何・・・?」
大会で初めて優勝した時の、一君の笑顔の写真を、君に。
「ハッピーバースデー、なまえちゃん」
END
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