「みょうじ」

「・・・・・・」

「・・・みょうじ?」

「・・・・・・」

「・・・・・・・・・」

「・・・った!な、何っ!?」

小気味よい音と、後頭部にあたった何かに反射的に痛いと言ってしまったけれど、実際は痛くも痒くもない。

後ろを振り向けば、丸めた書類を手にした同僚が立っていた。

「ボーッとし過ぎ。ほら、昨日の精算書類諸々!」

「・・・あ、ありがと」

受け取ったそれを広げて思い出したのは、昨日同僚と電話で話している最中にも止まなかった歳さんからの、耳攻め。

「どうした?」

「なんでもないっ!ば・・・ばーか!」

「はぁ!?」

思い出してドキドキしてる。耳がくすぐったい。

頭を抱えるようにしてデスクに肘を付き耳を塞いだ。

バカは私だ。

次はいつ会えるだろう、次はいつ触れてもらえるだろうなんて―――って、もうっ!!!!!

なんなの!!!このタイミング!!!!



震えた携帯に視線を落とせば、着信を告げていた。

それは、もちろん、彼からの。




episode19 "樹海の糸"



「・・・はい、みょうじです」

『おう、俺だ』

電話越しの声に、囁かれた言葉たちが蘇る。

余韻にさえ、胸が高鳴る。

「・・・何の詐欺ですか?」

この、私の様子を悟られたくなくて、思わずそう口をついて出た。

受け流す術を心得ている彼は、何もなかったかのように仕事の話を進めた。

彼がいつも通りで居るなら、私もそれにならって、頭を切り変えるだけ。

『クリスマスのイベントなんだが―――』

ほんの少し聞き取りづらいのは、ざわざわと彼の後ろで声がするからだ。

まあ、それはそうだろう。時期的に、こっちもだけど、クリスマスよりもカウントダウンのことでいっぱいいっぱいのはずだ。

けれど彼らは、クリスマスが今年最後のライブだと言っていた。

“まだ早い”

なんて土方さんが言っていたけれど。

・・・まだも何も、経験させてあげればいいのに、とその時思ったんだけど、確かに場数を踏んでいない彼らに、リハ無しのあの慌ただしい空間は酷なんだろう。

なにより、そんな状態で満足のいくライブができるくらいの力がないと、そういうことなのだろう。

それに、ライブのクオリティにこだわっているのは土方さんよりも多分、沖田くんだ。

これに関して沖田くんが言いだしたのか、珍しく土方さんと意見が合ったのかはさて置き。

今回のクリスマスのイベントも、無事彼らの出演が決まった。出演順はもちろん最後。

リハーサルをやらせてあげたいっていうのと、それから彼らへの期待度が私の中で膨らんでる。絶対応えてくれるって、わかるから。

会議では、前もって渡していた音源にも、“こんな無名のバンド大丈夫なのか”とイヤミを言われたので、腹が立ってライブ映像を流してやれば、誰も文句なんて言わなかった。

どうだお前ら!なんてふんぞり返って言いたくなったけれど、結局は土方さんが見つけてきた子達だから、私が偉そうなことは言えない。ただ、背中を押す手伝いをするだけ。

いいブッキングをして、いい環境で育て上げる。

そうしたら多分、あっという間にとんでもなく高い所へと上りつめるに決まってる。


『―――じゃあ、頼むな』


そうして電話が切れた。

無機質なその音に、寂しさが心に滲む。

電話を切ればまたすぐに話したくなるし、別れたばかりですぐに会いたくなる。

恋をすると、本当の自分が見えてくるから怖い。

付き合う前は、電話が来たり、会えたりするだけで嬉しかったのに、だんだんと欲張りになっていく自分。


携帯をポケットに入れて、少し頭を冷やさなくてはと立ち上がった。

オフィスからでると、ほんの少しだけ冷えた廊下の空気が、火照った頬にちょうど良い。

化粧室で自分の顔を見ながら、ため息をついた。



「・・・・・・学生みたい。・・・ん?」


震えた携帯に、今度はメールの着信。

「また・・・」

歳さんからだ。

さっき何か言い忘れたことでもあったのだろうか、そう思いながらも、私はドキドキとメールを開く。




“来週休みだって言ってた木曜、俺も都合付いた。どこか、行くか”




「え・・・・・・、ちょっ・・・・は、う・・・うそ、わ、わーーー!?ば、ばかっ、今言うなっ!え、どうしよう!?」



会社の化粧室で、我も忘れて画面に向かって大興奮している良い大人。

確かに、二人とも休みは不定期で、休みが合わないね、なんて話していた。

仕事だったはずなのに、わざわざ調整してくれたのが何より嬉しい。

「も、もうっ・・・・・・ばかじゃないの!」

ふと顔をあげれば、さっきよりも顔を赤くした自分が鏡に映ってた。

返信する文面を考える時間すら惜しくて、すぐに、返事をしたくて。



“行きたい!!”



嬉しい気持ちが、伝わればいい。



「よし、今日は即行で仕事終わらす!で、買い物行く!」



デートに向けて、いつもと違うチークとか、少しだけ女の子らしい服を買ったりとか、したい。スカートなんて履いてたら、笑われるかな。

ぶっきらぼうで、口下手な歳さんだけど―――だからこそ。可愛いって、綺麗だって、褒めてもらえたら嬉しいから。



「・・・・・・あ、そういえば」

クリスマスプレゼント、何か買わないと。

・・・・・・あれ!?歳さんって何が欲しいんだろう!?


過去の恋愛をさかのぼってみても、大した記憶がない。

それに私、手作りとか苦手だし・・・。

「・・・・・・た、タバコ・・・、カートン?」

色気の無さ過ぎる自分の思いついたプレゼントに、私は歳さんのことを何も知らないのかもと、無意識にため息がこぼれた。

とりあえず今日見て回って、それから、決まらなかったら会うときに探ればいいか。


いつの間にかトイレにしては長い時間居座ってしまったと、慌ててオフィスに戻った。

先程とは人が変わったように仕事をする私に、同僚が驚いていたのは無視だ無視。


仕事に集中しすぎて忘れていたけれど、オフィスを出るときに携帯を確認すれば、やっぱり歳さんから返事が来ていた。

そして私はまた、喜びを噛み締める。




“お前のおかげで仕事が前より楽しい。ありがとな”




「・・・バカ野郎」

彼の口癖を真似して呟いた。

そんなこと言われたら、今すぐ会って、抱きつきたくなるじゃない。

「・・・・・・私もだ、バカ野郎」

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