平日の昼間だというのに、人で溢れかえる駅前で、先ほどの自分の行動を恥じた。

わずかな喫煙スペースで、落ち着かせるようにタバコに火をつけた。

ふっと煙を吐き出して、彼女の表情を思い出す。


「・・・何やってんだ、餓鬼か俺は」


左手で顔を覆い、うなだれた。

昨日我慢した、キス一つで済ませてやろうと思っていたんだが、あいつが甘えてきやがるから・・・


「くそっ・・・」


彼女の、真っ直ぐな瞳が好きだ。


俺を呼ぶ、声が好きだ。


―――だが、明るく笑うその、笑顔は。




episode17 "花明り"




仕事を終え、家に着けば、21時半をまわったところだ。

資料が詰め込まれたカバンをソファにドサりと投げ出し、すぐさまベランダへ向かう。

止めなくてはと思ったことはないが、本数を減らしたほうが良いとは自分でも思っている。

仕事柄、周りの連中が喫煙者通り越してヘビースモーカーな奴らばかりなせいで、自分はまだマシだろうと思っていたが、そんなわけは無い。

スーツのポケットからタバコを取り出し、火をつけるまでの動作はもう無意識だ。



約束、というより、一方的に告げた待ち合わせ時間を彼女が守れるかなんて、答えは簡単だ。



彼女の仕事だって理解している。

無理を言っていることくらい、わかっている。

ただ、俺のことを考えて必死になってくれりゃあそれで満足なんだ。

けれど、一度も彼女は俺の期待を裏切ったことなんか無い。

応えようと、努力をしてくれている。

それがわかるから、どんどん彼女を、試したくなる。



以前、マンションからの見慣れたこの景色を、綺麗だと彼女は笑った。


すれ違う日々に、苛々する。

周りの男達に、嫉妬してる。


何本目か、タバコを灰皿に押し付けながら、部屋へ戻ろうとした瞬間だった。


「―――!」


微かに下から声が聞こえた気がして。



「っ、なん・・・・・・っ」



「歳さ、んっ・・・ごめん、なさいっ・・・遅れ・・・・・・、あーもう、あつーい!!」



ぺたりと地面に座り込んだ彼女が、肩で息をしていた。

肌寒くなり始めた夜の空気すら、彼女を冷ますこともできないくらい、きっと全力で走ってきたんだろうなんて、そんなの言われなくたってわかる。



「・・・んの馬鹿野郎っ・・・」




慌てて家を飛び出した。

毎日乗り込むエレベーターは、こういう時に限って上の階でもたついてやがる。

「ちっ・・・」

エレベーターの横、人の気配などまったく感じられないその階段は使ったことなど一度もない。

もう一度だけ、エレベーターの階数表示を見上げれば、変わらずに同じ場所でとどまっている。

選択肢はひとつしかない。



「・・・くそっ」



我慢も出来ねえ、ほかの男に嫉妬もする、俺だけを見てて欲しいと、こんな我儘。


俺はどうやら餓鬼以下らしい。


ただ、彼女を抱きしめてやりたいと、その一心で。



一人の女にこんなに狂わされることなんか一度もなかった。

待っていれば寄っては来るし、追いかけたいとも思わなかった。

今までそうしてきた自分とは正反対に、こんなに必死になってる自分。



彼女にここまでさせてしまった罪悪感と。

それから、込み上げる愛しさ。



「はあっ・・・」



ふざけんな、馬鹿野郎。


無茶しやがって。


電話の一本くらいよこしやがれ。


なんて、彼女に言ってやろうと考えながら階段を駆け下りていた。




エントランスを出ると、先ほどと同じ場所で変わらずに肩で息をしている彼女が目に入った。





「なまえっ」

「へ・・・あ、と、歳さん・・・あの、ごめ・・・っ」

名前を呼んでやれば、ゆっくりと立ち上がり、膝を軽く払いながら、本当に申し訳なさそうな顔をしてよろよろとこちらに歩いてきた。



言ってやろうと思っていた言葉なんて、無意味で。


「ん・・・っ、ん」


彼女を支えるように華奢な腰に腕を回して。逃がさないと、後頭部に右手を添えた。

お互い、切らした息をそのままに、夢中で口付けた。



タバコ臭い、そう言って笑われるのも分かってる。

そうして、俺は、酒臭いよりマシだろうと言ってやる。

そんな決まりきった日常の会話ですら、胸が熱くなる。



鼓動が早いのも、身体が熱いのも、走ってきたせいだ、もはやそんな言い訳なんてきかないだろう。




「歳さ、ん?」

唇を離せば、潤んだ瞳と染った頬が俺を見上げた。

「・・・・・・悪かったよ」

「・・・へ!?なに、どうしたの!?」

「なんでもねえ」

彼女にこの情けない顔を晒したくなくて、隠すように抱きしめた。

「え、なんで?ちょっと、おーい!歳さん!ねーえ、聞いてる!?」

不審がった彼女は、俺の背中をバシバシと叩きながら、そう聞いてきたが、答えるのも嫌で、もう一度腕に力を込めた。




餓鬼で悪かった。



そんな恥ずかしいセリフ、言えるわけねえだろうが。

こんな風に走らせて、俺だけを思ってくれている彼女が必死になってくれたことが嬉しいくせに、素直になるのは苦手だ。



「よくわかんないけど、ねえ離して歳さん」

「断る」

俺の腕の中で身を捩る彼女を、これでもかと抱きしめる。

もう離してなんて―――


「い、痛いってば・・・!あの、シャワー浴びたい・・・」






・・・は。




彼女の発言に驚き、思わず顔を覗き込めば、お互いの驚いた表情が顔を合わせた。

しまった、としどろもどろになりながら彼女が先ほどの言葉を一生懸命フォローし始めた。

「ちょっ・・・!!!違うからね!今の!あの、そういうのじゃなくて・・・走ってきて汗かいたから・・・・・・だからっ」

家に泊まった時だって、いつも俺からキスをしたり、俺から触れたりする、それが合図だった。

彼女から何かをしたりだとか、そういう言葉も行動も、記憶がないということは、無かったんだろう。

彼女の必死の弁解など聞こえない。そういう意味だと、捉えるしかない。



「知らねえからな」

「は、はい!?」

「・・・・・・どうなっても」




「う・・・・・・あの、・・・その、つもりです」




素面の顔がこんなに破壊力あるなんて、聞いてねえ。



「だぁ!てめえは!!」

「わっ・・・」

「帰るぞ」

「・・・・・・へへ、はーい」

俺が腕を引けば、頬を緩ませて、笑った。





彼女の、真っ直ぐな瞳が好きだ。


俺を呼ぶ、声が好きだ。


―――だが、明るく笑うその、笑顔は。

その笑顔は、俺だけに。

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