『でも、やっぱり気にしますっ』

キスを拒んだ私に、それでも強引に近づこうとする彼を必死で押さえた。

嫌がる私に少しだけ苛々とした顔をしながらも、頬を優しく撫でた彼はため息をついた。

『・・・・・・別に酒臭いお前にキスすんの、初めてじゃねえよ』

『・・・・・・は?・・・う、嘘だ〜・・・あれ、もしかして告白してくれた日の』

『違う』

私が酔っ払って記憶をなくすことは多々ある。

いつ酔ったときの話だろうかと、両腕を組みながら一生懸命思い出そうとするも、そんなシーンは浮かんでこない。

それはそうだ。だってもう、忘れてしまっているんだから思い出しようがない。

時々、ふとした瞬間にフラッシュバックする自分の失態にヒヤリとした汗をかくことはあるけれど。

やっぱり嘘でしょう、なんて彼を見上げた瞬間だった。

『っ・・・・・・』

近づいてきた唇に、私は驚いて目を瞑った。

逃げられないなら、されるしかない。

けれど、柔らかな唇が降ってきたのは、彼がさっき撫でた頬だった。



『・・・・・・明日、覚えとけよ』





episode16 "花うた"





こっちを見ないでと言ったのに、私の手を握ってくれた彼は、そのままゆっくりと私を見下ろした。

「打ち上げだと、お前のことずっと見てるわけにもいかねぇんだ。頼むから・・・」

切なそうな顔をしながらそう言うと、くしゃりと私の頭を撫でた。くすぐったかったけれど、素直に喜ぶことができない。

だって、そういう顔をさせてしまっているのが自分でもすごく嫌なんだ。

「わっ・・・私は多分、一口飲んでしまうと楽しくなっちゃって、その・・・歳さんを苛々させてるってわかってる、けど」

「けど?」

「だから・・・」

言っても良いだろうか。

甘えても良いだろうか。

いい大人がこんな昼間に、しかもいつ誰が来るかもわからないようなこの場所でするような話でもないと思う。

でも、彼と会える時間ってやっぱり限られていて、出来れば電話でもメールでもなくて、ちゃんと直接言葉にしたいって。

私はそう、思うから。

だって、歳さんは、わざわざ私に会いに来てくれたんだから。

続く言葉を躊躇しているのがわかったのか、時間がないからイラついているのか。

私の言葉を急かすように彼が言った。

「なんだよ」

すっと息を吸い込んで、目の前の彼を見上げて私は口を開いた。




「・・・・・・私のこと、見ててもらえない、ですかね」





その言葉に驚いて目を丸くした彼の、顔が赤くなっていくのがわかって私も驚いた。

「歳さ、」

「だぁっ!おめぇは本当にっ」

「いっ・・・いたたたた!ギブギブ!いたいっ!!やめっ」

繋いでいた手を思いっきりぎゅううと握られて、いやなんて握力なんだろう、本気で骨が折れそうだと涙目で訴えれば、すぐに力を緩めてくれた。

「・・・どうせ俺が昨日言ったことも覚えてねぇんだろうが」

「えっ、なんですか!?」

うん、本当にそれはごめんなさいだ、覚えてない。もう一回言ってくださいなんて言ったらそれこそ何をされるかわかったもんじゃない。

「・・・・・・今日、何時に上がれる?」

「えっと・・・・・・多分、23時くらいには」

腕時計に目を落として私がそう呟けば、繋がれていた手はするりと解かれた。

「22時だな」

「は!?」

「・・・俺ん家で待ってる」

そう言い残すと、すぐに私に背中を向けて、あっという間に見えなくなった。





「ちょっ・・・・・・まっ・・・、ええーー!?」




やっぱりあの人は、傲慢で、狡猾な鬼だ。

遅れて行くのはきっと、あり得ない。

ライブが終わるのが多分21時30分、そこから精算して一時間で撤収、事務所に寄ってから帰るから余裕を持っての23時。

の、つもりだったんだけど。

家で待ってるなんて、何する気なんだろう、そんな疑問を抱くほど私は、純粋でも子供でもない。

何度かお互いの家を行ったり来たりしたこともあるけれど、まだ付き合いたての私たちにしてみたら多分回数は少ないと、思う。

毎日一緒に居たいと思っても、お互い口になんて出せない。

仕事のことも理解し合っているつもりだ。

もちろん、もっと触れたいって、触れて欲しいって、私だって思ってる。

「にしても・・・・・・22時に上がれるかな・・・いや・・・・・・うーん」







「お疲れ様でしたー」

「お疲れー気をつけてねー」

精算が終了して、出演してくれたバンドを見送った。

ふと時計を見れば、あと5分で22時。

(・・・・・・無理だ)

つきそうになったため息をどうにか殺して、私は同僚に話しかけた。

「いやー、無事終わってよかったねー」

もともと今日はスタッフ数が少なくてバタバタとしていたのだ。

その状況でどうして先に上がりたいなんて言えるだろうか、そんな無責任なこと。

土方さんになんて言おうかと考えながら片付けをしていると、私の手から同僚が荷物を奪い取った。

「・・・・・・・・・え!?なに、どうした!?」

「みょうじ、俺荷物片しとくから、お前もう上がれ」

いつもお互い雑な扱いしかしないのに。

「・・・・・・たまには、はやく帰ったほうが良いだろ」

「は!?」

急に優しくするから、明日はヤリでも降るんだろうかと本気で思うくらい驚いた。

すると、言いにくそうにしながら、彼はポツリと言葉を漏らした。

「その、・・・来てたろ、今日、土方さん」

「見たの・・・?」

「・・・あんなとこでイチャついてるお前らが悪い」

「・・・・・・それについては謝る、ごめん」

思い出したら、カッと熱が顔に集中してしまって、視線を逸らした。

「いや、それを抜きにしてもさ、お前最近頑張りすぎな気がして」

「・・・・・・ねえ、熱でもあるの?大丈夫?」

「ばーか、ちげえよ。俺は土方さんが怖いだけだっつの」

「あ、はは・・・なるほど・・・・・・え!?まさか脅されてないよね!?」

「んなわけあるか」

「った・・・!!ひ、土方さんに言いつけるよっ」

「てめぇな」

「あはは、・・・・・・ごめんね、ありがと」


同僚の言葉に甘えて、私はすぐに会場を後にした。





あなたの願いなら、私、なんだって叶えたくなる。

叶えてみせる。

だからねえ、ご褒美に、蕩けさせて。

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