この世に未練はないか、と問われて肯定する人なんていないと思う。 まだまだたくさんやり残したことがあったり、生まれた世界に恨みがあったり。 理由は人それぞれあるだろうけれど、私は“愛する人を一人ぼっちで置いてきた”それが一番心残りだった。 誰かに声を掛けても返事が無い事、触れることができない事、そうして、ああお腹も空かないんだと気がついた時にやっと、 自分が居ない世界に“遺っている”のだと気がついた。 実家から車で10分くらいの場所にある、自分にはまだまだ縁遠いと思っていた火葬場で、白と黒を纏った人たちの悲しそうな表情を眺めていた。 私は、お気に入りの白のワンピースを身にまとって、不慣れな歩き方をしていたような気がする。 吐き出される煙突の煙をぼんやりと眺めながら、私の亡骸だけが昇って行くのかと悲しさと悔しさでいっぱいになった。 認めたくなんて無かった。 ・・・のに、認めざるを得ない残酷な現実は、私の愛しい彼に、悲しい顔をさせていた。 「・・・・・・っ」 (左之・・・・・・・・・) 笑って欲しくて、見えるわけなんてないのに全力で変な顔をして見せた。 それから、思い出の曲を口ずさんで見せた。 けれどそんなもの、余計に悲しさが増すだけだった。 こんなに近くに居るのに触れられない。 でもずっと一緒に居られる。ただ気付いてはくれない。 複雑な想いの交錯。できることなら、成仏したいと思った。 ・・・・・・でも、悲しそうな顔をしたままの彼を、そのまま放っておくことはどうしても出来なくて。 またバンドを組むことになったと、電話の内容でなんとなく知った。 「・・・・・・続・・・、かねぇかもなぁ」 彼の独り言が部屋に響いた。 頑張って欲しいと思う反面、無理して欲しくないとも思ったし、たぶんどこかで、私の事を忘れないでほしいという思いが強かったのだと思う。 スタジオと職場の往復。 くたくたに疲れて帰ってきては、そのままソファで眠ってしまう姿を何度も見た。 私が生きていれば―――、悔しくて悔しくて、膝を抱えて何度も泣いた。 必死で忙しくしているような、そんな気さえした。 そうしてふっと思い出したのは、何度目か、聞こえもしないいってらっしゃいを言った後だった。 初めて会った、あの日の事。 だいぶ遅れてやってきた彼の第一印象は、優しい瞳の人。 私の事を年下だと勘違いして話していたのを覚えてる。 申し訳なさそうに謝られたけれど、お酒の席だし別に気にしていないと言えば、少しだけ瞳の色が変わった気がした。 「それじゃあ遠慮なく、口説いてやるかな」 少しだけ見上げていた筈の彼の瞳が、急に私を覗きこんできた。 優しいと思っていたそれは、角度が変わるとまた違う印象になる。 「千晴、運命って信じるか?」 どき、っとした。 私だけを見つめる瞳と、触れそうで触れない肩。 「・・・えっと」 私は視線を感じながらも、目を合わせているのがなんとなく気まずくて、目の前の散らかったテーブルに目を落とした。 今まで、告白をされた事が無いわけでは無かったけれど、出会ったその日にこんな風に言うなんて。 遊びたいだけなんじゃないかな、とも少し疑ってかかったけれど、私の心臓は正直だった。 こんなに優しそうな印象の人は見たことが無かったし、タバコの匂いに混ざって少しだけ甘い匂いがしたのは、 香水とも違う気がする、これはたぶん、彼の匂いだ。少しだけ鼻がくすぐったい。 26歳、男性経験は無かった。 慎重になりすぎていると言われたことがある。 でも、恋人を欲していた訳では無かったし、無理矢理誰かと付き合ったりするのも嫌だった。 ただ、ご縁があれば、いつか出会えるかなって、それくらいに―――、ああ、私は、運命の出会いを待っていたんだろうか。 けれどこれが運命だなんてそんなの分からな――― 急に氷の音がして、彼の手元を見つめた。 「本当は今日来るの止めようかと思ってたんだ。でも、面倒くさいなって思いながらもなんとなく行かなきゃいけない気がしてな、」 「・・・うん、」 私もちょっと迷ってた。大人数での飲み会は苦手で。親しい友達数人で、のんびりとしているほうがいい。 彼の手元にあったグラスには、まだたっぷりお酒が入っている。 ごくごく、と勢いよく飲み干したその様子は、すごく学生っぽいなって思った。 まだ溶けていない四角いままの氷がグラスの中でさらに大きな音を立てた。 「・・・でも、千晴に会えた」 頬杖をついたまま、私の頭をぽんぽんと優しく撫で、満足気に笑った。 その笑顔も、てのひらも、すごくすごく優しくて。 出会ったばかりなのに懐かしい気持ちになるなんて言ったら、笑うかな。 「・・・・・・信じてもいい?」 「・・・は、」 「もし運命じゃなかったとしても、その人を信じられたら良いのかなって・・・・・・」 「千晴、」 「信じて良い。幸せにする」 私はとても、幸せだったよ。 episode23.5 "情熱" 「なまえ」 「・・・原田さん」 私の知らない女の子。 周りのファンの子とは違って自分からあまり動かない消極的な子なのかな。 なんて思っていたけれど、夢に向かってすごくまっすぐで、キラキラしてる。 その瞳に左之が惹かれているのも見ていて分かった。 寂しい、そう思うよりも、左之がまた笑ってくれるようになったのがただ嬉しかった。 それでも、二人が近付いて行く様子を見ているのはやっぱり辛かったから、友人たちは元気でやっているだろうかと、私はふらふらと、いろんな場所をまわっていた。 永倉君は相変わらずだし、同じ職場の同僚たちも皆元気でやっている。 私の事なんて、皆忘れてしまっているんだろうか。 死んだ人間の事をさすがに毎日毎日思い出す事は無いだろうし、思い出したとしても話しはしないだろう。 (皆元気でね) 少しだけ透け始めた指先、きっともう、本当に最後の最期。 私は実家の両親のもとへ向かう事にした。 (・・・・・・左之、バイバイ) prev next |