「・・・・・・っ」


聞こえた声は、いつもよりも少し低くって、それから、色っぽくて、私はゴクリと喉を鳴らした。

けれどその顔を見るのがとても恥ずかしくて、彼の、足元を見つめて固まっていた。




「困らせたいわけじゃねぇんだ、悪い」

「う、わっ」

くしゃりと頭を撫でると、笑顔の左之さんが私を見下ろした。

「帰らねぇと、家族が心配するんだろ?」


ああ、そうか。

帰るな、と言わなかった彼の言葉の優しさを理解した。



「・・・・・・待ってるって、言ってたので」

「誕生日、だもんなぁ」

「私も・・・本当は、あの・・・・・・えっと、」

一緒にいたい、ずっとそばに。

見つめていたい、話していたい。

触れていたい、触れられていたい。

一緒に笑っていたい。


「家族は大事にしねぇとな、」

「・・・っ、あの!家に着いたら、連絡します」


“家族”になるはずだった人を失った彼からのその言葉は、とてもとても、胸に響いた。

私の腕から離れていった体温の痕が冷えていくのを寂しいと思いながら、それでも心は温かいまま。


「なまえのとびきりの笑顔の写真、待ってるからな?」

「ちょっ・・・!そんなの送りませんよ!」




episode22 "大きな木に甘えて"




「ただいまー」

「おかえり〜。ライブどうだった?」

「うん・・・・・・すごく、楽しかった」

「・・・・・・そう、よかった」

母は、私の顔をしばらく見つめると、優しく笑ってくれた。

「お腹すいてる?なまえの好きなものたくさん作っちゃった」

「も〜子供じゃないんだから〜」

「あら、お母さんの前ではいつまでも子供で居てくれていいのに」

母の手料理の美味しそうな匂いにわくわくとしながら、パタパタと階段を上った。



家の扉を開けるまでは、やっぱり帰るなんて言わなきゃ良かったと思ってた。

けれど、母が前から張り切っていたことも知っているし、家族が待っている。

そう、“ただいま”と扉を開けた瞬間に感じた温かいこの家の空気は、やっぱり私にとって心地良い。

さっきまで左之さんと一緒にいたのが夢だったんじゃないかって思うくらい、日常に戻ってる。



カバンをベッドにドサりと下ろした。

左之さんの部屋の雰囲気に完全に浮いていたのを思い出して笑ってしまう。

「・・・変なの」

それから、最寄駅についた時にポーチにしまっておいた指輪をもう一度取り出した。

手のひらを天井にかざしてみる。

・・・ああ、ほら・・・夢なんかでは、ない。

「〜〜っ、ニヤけるっ」




「なまえ〜ごはん〜」




「は、はーい!すぐ行く!」




大人って一体どうやったらなれるんだろう。

二十歳になりました、はい大人です、なんて知らない世界に放り込まれても、わけが分からず一人ではきっと何もできない。

けれど、それも怖くはない気がするのは、左之さんが居てくれるって思うから。

二人でいろんなものを見て、感じて、同じ時間を共有して、そうして、私は大人になれたらいい。

もしかしたら自分が親になるまでは子供のままなのかもなあ。



テーブルを囲んで、母の手料理を食べるその変わらない日常。

いつもよりも豪華な食事と、張り切っちゃった!と言った母が作った誕生日ケーキ。

二十歳にもなってこんな風に祝われるのはやっぱり恥ずかしいけれど。

自分がもし家族を持つなら、こんなふうに有りたいと、思う。




もし、もし叶うなら、あなたと。





“改めまして、二十歳になりました。

今日はお祝いと、それからプレゼントまでありがとうございました。

誕生日が記念日になって、本当に嬉しいです・・・”



私は恋人が居たことがないし、誰かを失ったこともないから、一人になる寂しさを知らない。

けれど、今左之さんが部屋で一人で居るのかなって思ったら、帰ってきたことをやっぱりどこか後悔していて。

どっちが大切かなんて、私には選べないし、はかれるものでもない気がする。


だってどっちも、大切だもの。



食事を終えて、母が撮ってくれた写真を見ながら、左之さんに送る写真を選ぶ。

どれも可愛くない・・・・・。

・・・ああ、こういうネガティブなやつやめないとなあ。

左之さんは私のことを可愛いと言ってくれたし、好きだと言ってくれたんだ。


「う〜〜ん・・・・・・っ、わ!?」



急に着信中の画面になり、驚いてドキドキした私は、表示された名前をみてさらにドキドキした。

さ、左之さん・・・!



「も、ももも、も、もしもしっ」

『今平気か?』

「は、はいっ」

ベッドでゴロゴロとしていたはずなのに、急に飛び起きて背筋を伸ばして正座している。

この姿を見たら、きっと左之さんは笑うんだろう。

『さっきのメール、写真ついてなかったんだが』

「うっ・・・!」

『冗談だよ、ありがとな』

「いえ・・・こ、こちらこそ」

『・・・・・・』

「・・・あの?」

『・・・・・・』


ふっと笑った声が聞こえた。




左之さんの心の中なんて、私にはわからない。

こうして恋人同士になったけれど、実際のところ、もしかしたらまだ千晴さんのことが好きなんじゃないかって引っかかってる。

一番だって、言ってもらえたのに。



千晴さんがまだ生きていたら―――




勝手に“もしも”と“現実”を比較して、勝手に落ち込むのは私の悪い癖だ。

信じていないわけではない。

私は多分、自信がないんだ。

私なんか、とか、でも、とか、だって、とか。

だから、せっかく言ってくれた言葉も、全てを受け入れてもいいものかと、心のどこかで思ってる。





『安心した』



・・・・・・ああ、そうか。


心配、してくれてたのか。



「左之さん。私はちゃんと、ここに居ます」

『・・・ああ』

「しばらく、このまま電話してても良いですか?何も面白い話できないですけど」

『別に良いんだよ、ただそこになまえが居るってだけで、それでいい』


ふと、目を閉じて電話の向こうの彼を想像してみる。


「・・・今、何してました?」

『酒飲んでタバコ吸ってた』

「・・・もう、さっきと同じじゃないですか」

『そうだな』




何を話すわけでもなく、ただ耳元から聞こえる、グラスを傾けた氷の音とか、左之さんのタバコの匂いを思い出して、ああ、そこにいるんだなあ、って感じる。



この幸せに笑ってしまうと、左之さんに「どうした?」って笑われ「なんでもないです」と言い。



お互いがそこにいて、肩を並べて寄り添っているみたいな感覚に、陥る。




『あー、』

「・・・・・・な、なんです???」

『目の前に居るのに触るなって言われてる気分。こう、もどかしいっつーか・・・』

「それは、ちょっとわかります・・・」

『だろ?・・・なあ、次いつ会える?』


左之さんの予定が立て込んでいるみたいで、なかなか都合が合わない。

私がバーに行きますね、と約束をした。



『それから今度・・・っつっても12月なんだが、ちょっと付き合って欲しいところがあるんだ』

「・・・はい?どこに―――」

『世間はクリスマスだって浮かれてる頃、だな』

クリスマス―――ライブに行く予定はまだ立てていないから、そうか、うん。

むしろライブよりも左之さんと一緒に居たいから、全然それは構わな、




『墓参り。千晴の命日なんだ』




「・・・・・・・・・」



『なまえのこと、ちゃんと紹介しておきたい。考えておいてくれるか』



携帯を当てていた右耳が、急に熱くなってきた。



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