少しずつ、少しずつ。 思い出を語りだした原田さんの声色が、悲しいものではなくてホッとした。 初めて話をするのだと言っていたのは、おそらく、私みたいに“千晴さん”のことを知らない人に、という意味だろう。 「・・・あー、写真、見るか?」 原田さんの、愛した人。 「えっと・・・」 見たいとか、見たくないとか、よりも。 原田さんのことを知りたい気持ちのほうが強い。 「いや、あんまり気分のいいもんじゃねえよな、悪―――」 「いえ・・・・・・、原田さんがよければ・・・その」 私がそう言うと、少しだけ驚いた顔をしたかと思えば、すぐにふっと笑った。 タバコを咥えたまま、お財布から、二つ折りの紙が差し出された。 もしかしてこれかな。あの子が見たって言ってた――― 随分とくたびれているその写真。 どれほどの長い間、持ち歩いていたんだろう。 それは原田さんがまだ、彼女を好きだという証明みたいな気がしてしまう。 飛び込んできたのは、長く綺麗な、まっすぐな髪。 ああ、・・・この人が、千晴さん。 透明感のある肌と、優しそうな瞳と、整った顔立ち。 そう、つまりは、ものすごく綺麗な人。 それから、隣に写る原田さんがほんの少し幼くて、ちょっぴり恥ずかしくなった。 ・・・可愛い、な。 二人共、幸せそうな顔をしている。 episode19 "2人" 彼は、一目惚れだったのだと言っていた。 千晴さんへの想いに、私は時折泣きそうなくらい悔しいなと思ってしまう。 こんなに想い合っていた、その事実に嫉妬してる。 振った振られたの話ではないから、複雑。 まだ生きていたらどうなっていただろうかと、考えてしまう。 そんなこと、口になんて出せないけれど。 初めて出会った日のこと。 それから、告白をした日のこと。 結婚まで考えていたこと。 ただとにかく、幸せいっぱいだった日々が、本当に存在していて、夢なんかじゃなかった、そう、自分自身に言い聞かせているようにも聞こえた。 けれど、悲しみは突然、前触れもなく、やってくるもので。 「その日も・・・いつもみたいにな・・・いってらっしゃい、って―――」 ふと、原田さんの言葉が途切れた。 その横顔には悔しさが浮かんでいる。 「原田さん・・・」 「・・・悪い、」 「原田さん・・・?」 「・・・っ」 震えてた。 それを鎮めるように、ぎゅっと拳を作ったところで、解消なんてされるわけないんだ。 彼が苛立っているのが分かる。 「・・・なまえ・・・?」 行儀が悪いかもしれないけれど、私はソファの上で原田さんの方を向いて正座した。 私はあなたのことだけを見ているんだって、少しでも伝わって欲しかったから。 大丈夫だよって、そっと、原田さんの手を包み込んだ、その距離は、近い。 「私には、誰かを亡くしたときの気持ち、わからないです。でも、想像したらすごく怖くて、絶対そんなの嫌だって、思います。 ただ、これはあくまでも、私の気持ち、ですけど・・・・・・例えば、逆だったらって考えたときに―――」 「・・・逆?」 「自分が、代わりに死んでしまえば良かったのにとか、そういうのは、千晴さん望んでないと思います」 それはもちろん、わかっている。 そんな声が聞こえてきそうなため息だった。 天井を仰いだその横顔は、千晴さんのこと、考えてる。 仕方のないことだし、私が彼女よりも、原田さんにとって大きな存在になれるとも正直思えない。 写真でしか見ていないけれど、きっと彼女に会ったら、私も彼女のことを好きになっていたと思う。 でも、今は。 お願い、こっちを向いて。 「・・・もし自分が死ねば良かっただなんて思ってたら、私が許しません」 天井から、ゆっくりと私に視線が移動した。 その驚いた瞳は、徐々に、解けていく。 今だ、と、思った。 「私は・・・・・・、出会った時から原田さんのことが好きです」 「私は、千晴さんの代わりにもなれないし、思い出を共有することもできません・・・。 原田さんが今まで歩んできた人生とか、私何もわからないですけど、でも、そういうの全部含めて、原田さんが居て。 今のあなただから、好きになったんです」 「好きです」 「・・・大好き、です・・・っ」 視界が、歪んだ気がした。 原田さんの手を包み込んでいたその腕を引かれて、倒れこむように、私は完全に体勢を崩してしまった。 ぎゅっと、私のことを抱きしめてくれた原田さんにしがみつくように。 何度、こうなれたらいいと思っただろう。 何度、この温もりを想像しただろう。 もう、何度も、何度も。 それが今、叶ったこと。 それと、原田さんの切なさと。 両方が、私の目頭を熱くする。 「悪い・・・本当は、ずっとお前と千晴を重ねてた」 もっとキツく、抱きしめてほしいと思った。 痛くていい、離さないで欲しい。 あなたをずっと、感じていたい。 「初めて・・・見かけたあの日から、ずっとだ」 「・・・二番目でも、良いです」 「馬鹿だな、さっきも言っただろ?俺が今、一番愛しいのは、なまえだって」 くしゃり、と私の頭を撫でた。 軽々と私を持ち上げたかと思えば、膝の上に横向きに座らされて。 重たくないかと聞けば、軽すぎると怒られた。 「原田さ・・・」 「いつまでそんなよそよそしい名前で呼ぶんだ?」 「・・・だって、何て・・・?」 「何て呼びたい?」 「・・・・・・左之、さん」 「良いな、やっと近づけた気がする」 「左之さん・・・」 「なんだよ?」 「・・・ふふ・・・、すき・・・」 「・・・すき、の反対は?」 「え・・・・・・」 ずっと見ているだけだったその唇が今、重なってる。 一瞬だけひやっとした。 すきの反対は、嫌いじゃないのか。 原田さんらしいなって、笑ってしまった。 信じられないくらい、ドキドキしてる。 私の背中を手のひらがゆっくりと滑る。 「・・・・・・ん・・・」 伝わる熱に、期待する。 少しだけ感じている罪悪感。 「なまえっ、」 「ふ・・・ぅ、んっ」 返事をする余裕すら与えられない。 けれど今のは、別に返事が欲しいわけじゃないんだって、キスをしながら思った。 相手が私であることを、ちゃんと彼が分かってくれてる。 それが嬉しい。 なら、私も。 「・・・さっ・・・、左之、さん」 「なまえ、」 「左之・・・」 「・・・今更止めろなんて言われて止められるほど、男って複雑にできてねぇんだ、悪い」 その、真剣な眼差しに、私はただ、一度だけ深く、頷いた。 prev next |