電車を乗り継いだ先は、以前一度だけ行ったことのある原田さんのバーの最寄駅だった。 聞けば、ここから近いのだという。 確かに、終電の時間よりも遅くまで営業していては、電車で通勤するのは難しい。 そのバーとは反対出口、駅の改札を抜ければ、すぐ目の前には馴染みのあるコンビニの看板が光って見えた。 「せっかくだから、酒・・・買ってくか?」 そのコンビニを指しての提案なのだろう。 でも、せっかくだから、というのは、20歳になったんだから、ということなんだろうか。 それとも話が長くなるから、ということなんだろうか。 それとも。 いちいち原田さんの言葉を深読みしてしまう私の悪い癖。 いずれにしても、初めて飲むお酒は原田さんに作ってもらいたいって思ってた。 例えコンビニのお酒でも、彼と一緒に飲めるならまた特別になるんだろうか・・・と、私が答えに迷っていると、 「まあ別に、酒じゃなくても良いんだが・・・」 そう言ってコンビニへと入っていった背中を慌てて追いかけた。 episode18 "COLONY" 一人暮らしの男の人の家に来るのは、初めてだ。 ドキドキとしながら、ドアを開けてくれた原田さんについて行った。 タバコの匂いが、残ってる。 これは、ライブハウスで嗅いだ事のある、原田さんの知ってる匂い。 キッチンを過ぎると、部屋には存在感のある3人掛けの黒い革張りのソファと、ガラステーブル。 間取りのことは詳しくないけれど、一人暮らしにしては多分広いような気がする。 なんだろう、これといって特別キレイにしているわけではなさそうなんだけど、物が少ないからか、シンプルでまとまっているように見える。 そして、とてつもなくオシャレに見えるのは、多分そこにいるのが原田さんだからだと思う。 「荷物、そこで良いか?」 「あ・・・はい」 コートハンガーの横のスツールを指差すと、ガサガサとコンビニのビニール袋からお酒を取り出した。 その様子を横目に、言われたとおりカバンを置いてみると、この部屋に不釣合いすぎて笑ってしまった。 「どうした?」 「・・・いえ、何でも・・・。オシャレな部屋だなって、思って」 「そうか?まあ、最近は寝に帰ってくるだけになっちまったけど・・・・・・」 苦笑いを浮かべながら、適当に座ってろよと言ってキッチンへ向かった。 壁一面に収納棚、そこにずらりと並んでいるCDと、レコード。 置ききれないらしく、床に積み上げられているものもたくさんある。 サイドテーブルには、無造作に置かれた腕時計とアクセサリー。 デジタル表示の時計が、まだ18時だということを知らせてくれた。 両親には遅くなると思うと伝えてあるし、大丈夫だろう―――って、私、一体何の心配をして・・・ 「なあ、なまえー」 「っ、はい!?」 キッチンから呼ばれて慌てて顔をのぞかせれば、 「酒、なんか作ってやろうか?」 そう言って、リキュールの瓶を手に取っていた。 「いや、別に酔い潰そうとか思ってないからそこは安心してくれていいぜ?せっかくだから、なあ・・・」 ああ、そうか、やっぱり誕生日であることを彼は気にしてくれているんだろう。 お祝い、のつもりなんだろうか。 「・・・・・・あの、」 コレクションのように並べられた瓶のラベルを見ながら、レシピを考えているらしく、あーでもないと、呟く声が聞こえた。 「今日、お店でお酒飲んでなかったのも、さっきコンビニで買わなかったのも、実は理由があって」 「どうした?具合でも―――」 「初めて飲むお酒は、原田さんに作ってもらいたいなって、思ってたんです・・・」 ああ、言ってしまった。 なんて思われるだろう、面倒臭いやつだとか、そんなことくらい、とか―――。 なんとなく顔を見られなくてうつむいていると、原田さんの明るい声が聞こえてきた。 「・・・そんな可愛いこと言ってると、とんでもなく強いカクテル飲ませちまうけど良いのか?」 「え、・・・!?」 「ははは、冗談。飲みやすいやつな、ちょっと待ってろ」 「あ・・・ありがとうございます」 作る様子を見ていたいかも、と思いつつも、どこまで近づいていいのかもまだわからなくて。 “俺が今一番愛しいのは、お前だ” 「・・・・・・っ」 さっきの言葉と、温もりを思い出してしまって、急に恥ずかしくなりソファに腰掛けた。 それは見た目よりも柔らかくて、沈んだ自分の体に驚いた。 原田さんが自分用にと買ったビールと、おつまみがテーブルに並んでる。 愛しい、だなんて・・・・・・。 「わ・・・」 すっとテーブルに差し出されたコースター。 「紅茶のリキュール、多分飲みやすいと思うんだが」 「ありがとうございます・・・」 私の隣に腰掛けた原田さんの重みで、また少しだけ身体が沈んだ。 それから、電車のときよりもほんの少しだけ距離がある。 けれど、触れようとすれば間違いなく届く。 私は、恥ずかしさを誤魔化すように、目の前のグラスに手を伸ばした。 「乾杯、」 「あ、えっと・・・はい、か、乾杯」 グラスと缶ビールでは、あまりいい音はしなかったけれど。 原田さんが喉を潤しているのをみて、私もグラスに口をつけた。 「ん・・・おいしい」 「よかった」 そうしてふと、訪れてしまった沈黙。 “お前に聞く覚悟があるなら、全部、話してやる” 聞いていいのか、待っていたほうがいいのか。 ただ、話してくれると言っていたのは原田さんだ。 簡単な話でもないし、彼のタイミングで、話してもらうのが一番いいだろう。 そう思ってもう一度グラスに口をつけた。 「なんつーか、こうやって話すの、実は初めてなんだ」 俺たちのこと、知ってる奴らの方が多いから、と後頭部を掻きながら、背中もソファに沈めてビールを飲み干した。 タバコ、吸っても大丈夫か、なんて今更な質問をしてきた原田さんに私は頷いた。 長く吐き出した息と一緒に、部屋に煙が広がっていく。 「・・・千晴、って名前だった」 私は、話をする原田さんの顔を見るのがなんとなく辛くて、じっとテーブルの上のカクテルグラスとか、視界に入るものをぼんやりと眺めていた。 prev next |