『・・・原田さんは止めておいたほうが良いかも』 『彼女、居る人だから』 episode17 "雲がちぎれる時" 夏の、合宿の時だったらしい。 買い出しの時に原田さんのお財布に入っていた、女性と仲良さそうに写っている写真を見たと、片桐さんはそう言った。 もちろん、それだけなら恋人だと言える証拠なんてないし、おそらく彼女も私に伝えることはなかっただろう。 ただ、引っかかっていたのは、その時原田さんが言った言葉。 『大人の事情・・・ってやつかな』 堂々と恋人だと言える関係ではない、そういうことなんだろう。 もちろんそれを聞いて私もそうだと思わざるを得なかった。 教えてくれた片桐さんには、正直感謝している。 多分彼女は、私のことも、原田さんのことも、考えてくれたんだろう。 原田さんから直接言われたら私は多分、立ってなんか居られないと思うし。 例えば私が原田さんに告白をしたとして、ファンに恋人のことを告げるのは苦しいだろう。 彼に恋人が居るんだろうかと考えたこともあったけれど、どこかで居るわけないって決めつけてた。 私に優しくしてくれる理由も、触れてくれる理由も、微笑んでくれる理由も、全部、全部、自分の都合のいいように、解釈して。 もしかしたら原田さんも、私のことを、だなんて。 けれど、彼がさっき見せてくれた笑顔も、誘ってくれたことも、それは嘘じゃない。 もしあの笑顔が嘘だったら、私はもう何も信じられないと思う。 だから私は、原田さんのことを信じたいと。 信じ、たい、と――― 「なまえ・・・」 お店を出るとすぐそこに、原田さんの姿。 私の名前を呼んでくれるその声も、かたどる唇も、もっと言うと、喉元とか、首筋も、見れば見るほど、大好きだ。 けれど、見上げた愛しいその人と、私が、繋がることはないのかもしれないって、そう思ったらただ、悲しくて苦しくてたまらなくて、視界が歪んだ。 「大丈夫か?」 「・・・・・・はい」 それでも私が無理をするのは、やっぱり原田さんのことが大好きで、少しでもそばにいたいと思うから。 叶わなくても、今までみたいに、隣にいるくらいなら許してくれるよね? 「行き、ましょうか・・・?」 でも、顔を見れなかった。 見たら絶対、わんわん泣いてしまうって分かってたから。 私が苦しいのは構わないけど、彼を困らせることなんてしたくなかった。 海沿いの歩道を、のんびりと歩いた。 相変わらず原田さんは当たり前のように私の歩幅に合わせて、もっとゆっくりと歩いてくれる。 ・・・・・・優しい。 途中、階段を見つけて降りれば、一層潮の香りが強まった。 波に反射した夕焼けがキラキラと眩しくて目を細めた。 このまま時間が止まってしまえばいい。 そうしたら原田さんはずっと私の隣にいてくれる。 その、写真に写っていた彼女のことを見たわけではないけれど、きっと綺麗な人なんだろう。 だって、原田さんが好きになった人なんだ、絶対素敵な人に決まってる。 私、なんかよりもずっと。 「なまえ?」 「っ・・・はい!?」 しまった、考えすぎてぼーっとしていた。 名前を呼ばれて顔を上げれば、心配そうな瞳が私を見下ろしていた。 夕焼けが、原田さんをオレンジ色に照らしている。 ・・・・・・ああ、嫌だな、目を逸らせない。 「なまえ」 私の好きなその声で、写真の彼女を呼ぶんですか。 その唇も、手も、身体も――― それなのに、そんな優しい瞳を、するんですか。 「・・・・・・っ」 私、最低だ。 信じたい、そう思っていたはずなのに。 大好きなはずのその手を、避けてしまった。 でも、私が彼女だったら、こんなの嫌だと思うもの。 手を繋ぐなら、その理由を知りたい。 曖昧なら、しないほうがいい。 それならいっそ。 はっきりとさせなくてはと、思う。 「恋人が居るって、本当ですか・・・?」 信じてる。 信じたい。 信じさせて。 お願い。 ・・・原田さんからの答えを待っても、ただ聞こえるのは波の音だけ。 それが、答え、ですか――― 否定をしない、ということは、肯定してるってこと、ですよね。 なんだ。 「・・・本当、なんですね?」 私一人ではしゃいで、浮かれて、期待して。 勝手に、恋してた。 「おいっ、なまえ!」 「ごめんなさい、私・・・涙が、止まらなくて・・・っ」 考えるよりも先に、その場から離れようと足が動いていた。 それでも、走り出すことなんてできなくて、ただ、ガクガクと震えてしまって、バランスを崩し転びそうになった瞬間。 痛いくらいに強引に引き寄せられれば、彼の腕の中。 ダメだってわかってるのに、ずっと感じたかったこの温もりが心地よくて、でも、悲しくて。 解けない腕に、私はただ、抱き締められていることしかできなかった。 溢れる涙も止められなくて。 その胸に、縋って泣いた。 「俺が今一番愛しいのは、お前だ」 「・・・・・・っ」 今、何て――― 「ああ・・・温かい、なぁ」 「原田さん・・・?」 「何であんなに、冷たくなっちまったんだろうな」 切なそうな声。 それとは反対に、腕に力が込められた。 その顔を見たくても、動くこともできないくらいに締め付けられて。 「・・・俺が愛した恋人はもう―――居ねぇんだよ」 「・・・・・・っ」 待って、嘘・・・、もしかして――― 「会いたくても、触れたくても・・・どこにも」 縋っているのは私じゃない、彼の方だ。 その大きな身体が、私にしがみついているみたいで。 「お前に聞く覚悟があるなら、全部、話してやる」 私の両肩に添えられた手。 悲しそうに微笑んだ彼の顔を見上げて、私も答えた。 「聞かせてください。あなたのこと、話してください」 「・・・・・・俺ん家、来るか?」 私が静かに頷けば、掌が重なった。 この人を支えたいって。 この人を愛したいって。 強く。強く思った。 prev next |