episode8 "セレナーデ"



アパートの階段を上って行った彼の後を追いかけて、私も家に戻った。

外よりも暖かいとは言え、この季節独特の、ひんやりとした朝の空気が部屋を包み込んでいる。

不貞寝するようにベッドにもぐりこんでいる彼を見下ろして問いかけた。

「ライブ、見に来てたって、何で教えてくれなかったの?」

「・・・・・・びっくりさせたかったんだよ。それとも何、俺が行ったらまずい事でもあった?」

ピクリとも動かず、こちらを見る事も無いまま、相変わらず淡々とした口調で答えが返ってきた。

彼は、私をちゃんと愛してくれていたんだろうか。

私が知らないだけで、もしかしたらすごく、すごく不器用なのかも知れない。

そう思ったら、罪悪感がどんどん浮かんできて、生まれたのは後悔。

「先に・・・・・・言ってくれたらよかったのに」

ベッドに腰掛けて、少しだけ覗いていた頭をさらりと撫でると、いつの間にか彼に捉えられた右手首。

「俺が言ったら、なまえは今でも俺を好きで居た?」




―――答えられなかった。



私の気持ちが離れている事に気づいていたという事にも驚いたけれど。

私が今まで、どういう気持ちで彼の事を好きだと思っていたのか、全然思い出せなくて。

さっきまで私たちが眠っていたそこは、まだ温かい。

今、別れを告げようと考えている自分。

その温もりを思ったら、じわりと涙が浮かんできた。



「気持ちが離れてく瞬間って、案外分かるもんなんだよ」



彼をみつめたままじっと黙っていると、むくりと上半身を起こし、自嘲しながらそう呟いた。



「なあ、なまえ?」



言葉が、つまって出てこない。

なんて言ったら良い?

今更、彼を傷つけたくないと思う私は、たぶん最低。


「なまえ」

「っ、痛い・・・」


押し倒されたベッドの上で、彼に見下ろされている。

両手首を抑えつけられれば、身動きなんて取れない。


「やっぱりさ、昨日の夜拒んだのって、そういう事だろ」



平助を想ったら、彼に抱かれることなんて、考えられなくて。

例えば目を閉じて、平助を思い描いたとしても、そんな虚しい事出来ない。



「なあ、なんとか言えよ」




「・・・・・・ご、ごめん、なさい」












―――びっくりした。


私のその言葉を聞いた途端に振りおろされた彼の掌を、私の頬がめいっぱい受け止めたのだ。


痛い事より、彼がそんな事をする人なのかと、驚きの方が強かった。


泣きそうな顔で私を見下ろしている彼の気持ちを、分かろうとしているつもりだったけれど、当人の痛みに比べたら、この頬の痛みなんて。


だから、もしかしたら、このまま私は彼の気のすむまで殴られてしまえばきっと、解放されるんじゃないかって、思った。



「ごめん、もう私、これ以上頑張れない」


「なんだよ、それ」


「あなたの理想で居たくてずっと、自分を殺して頑張ってたの・・・」


「だってなまえは最初から・・・」


「あなたに好きになってほしくて、会ったときから私、ずっと頑張り続けてたの。

本当の私はあなたと一緒に居られない。だから、ごめん。・・・・・・別れて下さい」








さっきよりも、痛かった。

思い切り叩かれた頬がジンジンする。




「ごめん」

「・・・・・・え?」

「ごめんな、痛かったろ」

自分がそうした癖に、何を後悔しているのか。

私の、きっと赤くなっている頬を優しく撫でると、私の上に覆いかぶさり、優しくそう言った。






「・・・もうしないから。俺、どんななまえでも絶対、受け止めるから。お前じゃなきゃ、ダメなんだ。

だから絶対、別れない」

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