初めて電話を掛けたその日の夜、平助から電話をくれた。

表示されたのは番号だけ。名前が表示されなかったのは、彼氏に全部、消去されたから。

それでもすぐに平助だって分かったのは、ぼんやりと記憶していた番号と、私の期待と、思った通りの声がしたから。



『なあ、次、いつ会える?』

優しい声に、泣きたくなった。

「ごめん、しばらく、会えないや・・・」

私はひりひりとする頬を押さえて、平静を装って、出来る限りいつも通りに言ったつもりだった。

バンドをやってるからなのかな、耳が良いのは予想外だった。



『・・・・・・なまえ?なんか、声、おかしくない?』




episode7 "笑ってサヨナラ"




寒さに身体を震わせながら、こっそりとベッドを抜け出した。

良く眠っていたから、ばれてないだろうって思っていたのに。

後ろから近づく気配にすら気がつかなかった私は、よっぽど携帯に意識が集中していたのだと思う。

本当にただ、平助の声が聞きたくてたまらなかった、それだけ。

初めて電話を掛ける、平助の番号を見るだけでドキドキしてた。

耳元から聞こえる平助の甘い声に、私はよっぽど夢中だったんだ。



「・・・・・・誰?」

「ちょっ・・・携帯、返してっ」

私の携帯をするりと奪って通話を終了したらしい彼は、私を無視して履歴を表示させている。

それを見せつけるようにして、無表情で言った。

「・・・・・・“へーすけ”って、誰?何でそんな嬉しそうに話してんの?わざわざ、この寒いのに外まで出てさ」

それが、分かりやすく怒ってくれているならまだ言い合える。

喧嘩になってしまえばいいって、少しだけ思ってた。

けれど、彼が何を想って何を考えているかを読み取れないその表情に、私も身構えてしまった。

「と、友達・・・だけど」

「その割に、随分嬉しそうに話してたみたいだけど」

「ねえ・・・携帯返して?」

「ちゃんと答えてくれたら返す」

「・・・・・・友達、だってば。この間、クリスマスのライブで知り合ったバンドの子」

「仲良いの?」

「・・・・・・別に、そん・・・」

「あの、最後のバンドの誰かだろ?」

「え・・・・・・」

「俺、ライブ、見に行ったのにさ」

私の携帯を持ったまま、ポケットに手を突っ込んだ彼は、カンカンカン、とわざとらしく大きな音を立てながらアパートの階段を駆け上がった。




知らないよ?

知らなかったよ?

私のライブ、見に行きたいなんて、今まで一言も言った事無かったじゃない。

今更、何でそんな事。

私の気持ちが変わってから、そんな事、言わないでよ。








「なまえ!!」

白い息を切らして走ってきた平助を見て、溢れた涙を慌てて拭った。

「な、なに・・・ど、した・・・っはあああ、っつうか、あっちい」

首にまいてたマフラーを「暑い暑い」と言いながらぐるぐると解くと、私の首に巻き付けた。

・・・私もマフラー、してるんですけど?

「・・・へ、平助?」

「だってさ・・・・・・家から、走ってきて、電車のって?そんで、駅から、また、ここまで・・・っはあ、疲れた!」

ぎゅ、っと抱きついてくる平助の、汗ばんだ頬が本当に火照っていて熱い。

「ちょっ・・・・・・」

「なまえ、冷たくて気持ちいい・・・つーか、ごめん、寒かったろ?」

「・・・へ、平気」

「ちょっとは甘えろよ、ばーか」

平助から電話がきて、私は慌てて頬にファンデーションを塗りたくってみたけど、赤く腫れた頬は隠せなくて。

仕方ないからぐるぐる巻きにしたマフラーで誤魔化そうと思った。

平助が心配するといけないと、思ったから。

この、頬が治るまで、会わないつもりだったから。





手を繋ごうとしてきた平助の手を、わざとらしく跳ねのけてしまったのを、どう思っただろうか。

私の家の近く、何もまとっていない木の枝が、寒そうに空を向いているだけの、公園。

「やっぱ寒くなってきた・・・」

汗が引いたらしい平助は、私に巻き付けたマフラーを半分だけ自分にまいて、嬉しそうに笑った。

「あのね、平助」

「うん」

「私たち、一緒に居たら、いけないと思うの」

隣同士座ったベンチで、私は腫れた頬を隠すように前を向いていた。

「・・・まあ、そうだよな、今も俺が強引に誘っちまったけど、本当は彼氏と別れてから―――」

「そうじゃ、なくてね?」


感情的にならないようにって、冷静で居ようって、決めていた筈だったのに。

平助がそれをほぐすように笑うから、思わずぎゅってしたくなってしまう。

そして、頼りたくなってしまう。

助けてと―――


思わず平助の方を向いてしまって、きっと、マフラーが少し解けたんだろう。

「なまえ?・・・・・・お前さ、それ、どうした?」

私の頬に、不思議そうな顔をした彼の手が伸びてきた。

「なんでもない・・・」

慌ててその手をはらおうとしたのに、ぎゅっと掴まれてしまって、その真っ直ぐな瞳に見つめられれば、もう、隠せない。





「いっ・・・」

「ご、ごめん・・・。腫れてんな・・・。あんま聞きたくないけど・・・もしかして、彼氏?」

降ろしてた髪も耳に掛けられて、あらわになった頬に平助がそっと触れた。

「・・・言ったんだろ?別れたいって。」

コクリと頷く事しか出来なくて。否定をしようとしたって、きっと彼の前では嘘はつけない。

平助の荒くなった呼吸に、少しだけ怖くなった。

「だ、だめだから、良いの、私がいけないの!!」

「よくねえの。俺にも責任、有るだろ?」

「・・・・・・だめ、平助は悪くないから、だから、ねえ、お願い」

切なそうな顔で、私の顔を覗きこんできた平助に、私はぽつりと小さな声で言う事しか出来なかった。




「私たち、もう会わない方が良い」




まだ、付き合っても居ないのに。

まだ、キスもしてないのに。

まだ、肌の温もりも知らないのに。




本当はこれから、たくさんたくさん、愛したいのに―――



「・・・さよなら、しよう」



だって、平助を傷つけたくないの。


ねえ私、上手く笑えてるかな?

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