癇に障る黄色い声。

メイクをするのが趣味、みたいないつも鏡をのぞいている女子たちが、玄関から出て行った。

その声に呼ばれた私の大好きな人の名前に、イライラする。


「きゃはは、先生可愛いっ」

「じゃーねー、斎藤先生、バイバーイ!」


1階の、玄関の真横のクラス。

当の本人の声なんて聞こえなかったけれど、きっと呆れた顔してさっさと帰れなんて言ってるんだと思う。


「・・・・・・はぁ」

私は、と言うと。

いつも宿題を教室で終わらせてから帰っている。

頬杖をつきながら、私は自分の―――窓際の一番前という微妙な―――席で教科書とにらめっこしていた。

数学は得意じゃない。

「・・・・・・だって私文系だし」





16才





あれは、忘れもしない高校に入学して初めての中間テスト。

答案用紙を手渡されたとき、私は先生のため息を初めて聞いた。

「苦手で済まされるレベルでは無いな、あんたは俺の授業を聞いているのか」

先生の授業は聞いてる、否、先生を見てるって言ったほうが正しいか。

小難しい公式を覚えるのも苦手だし、どこでどの公式を使えばいいのかもわかんない。

そもそも、xとyを導き出す必要性がどこにあるというのだろうか。

訳のわからない記号が飛び交うその授業で、私が意識を保っていられるのは先生がイケメンなおかげだと本当に思う。

「・・・だって私、文系だし」

「そのような言い訳が通用すると思っているのか」

テストの返却途中。

教卓に答案用紙を取りに行った私は、先生から受け取った点数を見て、自分にしてはまあまあ良い方だと思ったのだけど、現実はそうはいかないようだ。

周りでは、何点だった?なんて友人同士で答案用紙を見せ合い盛り上がっている。

普段なら静かにしろと注意する筈の先生は、私の言葉をじっと待っていた。

「・・・・・・ねえ先生。先生はどうして数学の先生なの?数学のどこが面白い?」

私がそう問えば、そんなこと聞かれたことが無いといった風に、普段あまり変化することのない彼の表情が変わった。

物珍しそうに私の顔を見て、少し考え込んだ先生。



「・・・答えが・・・・・・必ず導き出せるところ、だろうか」



真っ直ぐに、私の目を見て答えてくれた斎藤先生は、なんだか少し、いつもと違って見えて、ドキりとした。



「・・・みょうじ?」

「な、何でもない。次はちょっとでも良い点とれるようにがんばるから」

「俺も、もう少しわかりやすい授業ができるよう検討しよう」

「みんなのペースで進めようよ、いいよ、私はがんばって追いかけるし」

「・・・・・・遅れを取り戻せるレベルではない気がするが」

「・・・う」





それからだ、先生が私のことを気にかけてくれるようになったのは。

授業を終えるとまずは私の席の前にしゃがみこみ、ノートを覗き込む。

「みょうじ、わからないところは無かったか」

彼は彼で、自分の授業で成績の悪い生徒がいることが不安なのだろう。

恐る恐る、私に問うのだ。

正直、その表情がたまらなく私をドキドキさせていることを彼はきっと気づいていない。

私は駆け引きだとかそういった類のことは得意ではないしやり方も知らない。

おそらく先生も同じな気がする。

うちの学校で一番年下な斎藤先生と、私との年齢差は8歳。



・・・先生、彼女いるのかなあ。



そんな風に思いながら、胸がちくりと痛む感覚を、初めて知った。

そして、甘えてしまえと、悪い自分が囁くんだ。

「・・・・・・えっと、ここ・・・」

「ああ。これは少し難しい。最初に説明したこれはわかるか?」

「はい・・・」

頭の悪い生徒に、先生が教えている。

ただのそんな光景に見えるんだろうか。

休み時間で騒いでいる生徒たちを気にもとめず、次の授業の準備もあるだろうに、私なんかに時間を割いてくれる。

その時を刻む、彼の右腕に付けられた腕時計の秒針が進む。

私との、時間。

「・・・先生、時間」

「ああ、すまない。やはり10分は短いな」

放課後でも、時間のあるときに職員室に来ていいと言い残して、慌てて先生が出て行った。

その後ろ姿から目が離せない。

「みょうじさん」

「え?」

名前を呼ばれて我に返った。ああ、いけない。

派手でもなく、地味でもなく。特に目立つわけでもない彼女の名前はなんだったっけと記憶をたどった。

その彼女が、さっきの斎藤先生みたいに私の席の前にしゃがみこんだ。

「ねえ、お願いがあるんだけど」

「・・・私に?」

「斎藤先生と仲が良いみたいだから・・・・・・」

「え・・・」





放課後、先生の言葉にやっぱり甘えてしまう私は、今日の続きをと職員室を訪ねた。

あの子から預かった手紙をノートに挟んで。




『ね、お願い!斎藤先生に渡して!』

『私が!?』

『だって、私目を合わせるのもドキドキしちゃって、』

『・・・え、っと・・・』

『ね?』

私も斎藤先生にドキドキしてるだなんて、言えなかった。

『う、うん・・・わかった。預かるね?』

『ありがとう!』



「失礼します・・・斎藤先生・・・あ、居た」

ぺこ、とすれ違う先生に頭を下げて、私は先生のデスクへ向かった。

「今、大丈夫?」

「構わん。この時間なら、教室の方が良かったか」

ちらりと腕時計を確認した先生が、立ち上がろうとするから私は慌てて先生を止めた。

「こ、ここが良い。それに先生、忙しいでしょ?」

だって、教室でさっきの手紙を渡したら、完全に私が告白してるみたいに見られてしまう。

私は私で、ちゃんと気持ちを伝えたいし、変な噂が立つのも先生が困るだろう。

「そうか」

となりの、空いていた先生の椅子を引き寄せ、デスクに並んで座った。




・・・・・・ち、近い・・・。



「この場合は、こっちの公式だな」

どうしよう、教室の方が全然マシだ。

こんなに近すぎては集中なんてできない。

バクバクと早鐘を打つ胸に気づかれないようにと、私はゆっくりと呼吸をした。



さっきの手紙を渡したら、先生はあの子と付き合うんだろうか。

でも、斎藤先生はそういうのちゃんとしてそうだから断る気がする。

・・・あれ、ということは。

私が気持ちを伝えたとしても、同じこと、だろうか。



「みょうじ?」

「う、うん、先生ありがとう。あの、私、ちょっと用事思い出してね・・・・・・。あ、あと、それからこれ」

「・・・手紙?」

「わ、渡したからね!捨てちゃダメだよ!じゃあ、失礼しますっ」

「みょうじっ」

言いながら、ペンケースとノートを片付けて慌てて立ち上がり、先生の顔を見ることもできず、逃げるように職員室を後にした。




「はあっ・・・はあっ・・・、もう、信じらんないっ」

自分のじゃないのに、こんなに緊張するなんて思わなかった。

職員室を出て、教室に向かう階段の踊り場、私は息を整えるために壁に背を預けていた。

「帰ろ・・・」

そうして、ゆっくりとまた階段を昇った。

あの子が斎藤先生ともし付き合うことになったとしたら。

先生は私の勉強を今みたいに見てくれなくなるだろうか。

あんな風に近くにいることが、許されなくなるだろうか。

「・・・もう、」

じわりと浮かんだ涙を、慌てて拭った。

「・・・・・・みょうじ」

「っ!?」

後ろから呼ばれた名前に、私は思わずびくりと肩を震わせた。

それから、涙に気づかれないように、もう一度、ごし、とこすって振り向いた。

「先生、どうしたの?」

「あんたに一つ、聞きたいのだが」

「私が先生に教えられることなんて無いけど」

そう返せば、冗談がうまいと褒められた。

一瞬だけ見せてくれたその柔らかい笑顔が、私の胸をきゅっとさせる。

「・・・その、先ほどの手紙なのだが」

「う、うん・・・」

「差出人は、あんたか」

「・・・・・・へ!?」

「否、名前が書いていなかったのだが、その・・・あんたの字とも違う気がして、」

「私じゃないですってば!頼まれてっ・・・!!」

「・・・そ、そうか」

「そう、です・・・・・・」

「・・・ならば、良い、引き止めてすまなかった。用事があるのだろう」

なんだか寂しそうな顔をした気がして。

私は一歩後ずさった先生のスーツの袖を慌てて掴んだ。



「・・・わ、私から、だったら・・・どうするんですか」



期待しちゃう。

わざわざここまで追いかけてくれたのはどうして?

差出人が私だったら、あなたは寂しそうな顔をしなかったの?

ねえ、もしかして、喜んでくれた?

私の顔はたぶん、真っ赤に染まっていたと思う。



掴んでいたスーツの袖に、そっと手を重ねると、先生は恥ずかしそうに笑った。



「・・・嬉しいと、そう、思ったのだ」










「・・・・・・だって私文系だし」

「みょうじ、まだそのような言い訳をしているのか」

まったくはかどらない宿題に、私がため息をついていると、先ほど女子生徒に絡まれていた先生が教室に顔を出した。

「・・・・・・うわ、独り言までいちいち拾わないで。先生の宿題が難しすぎて困ってるだけ」

「難しいか、それはそうだろう」

「あ、ひどい、分かってて出してるんだ」

「・・・そうすれば、あんたが聞きに来る」

「え?」

「堂々と、一緒に居られるだろう」

そうして、二人きりの教室、先生が隣の椅子を引いて座った。




END

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