「一君、具合でも悪いの?」

「・・・・・・」




冬の匂いがする、ほんの少し前。

寒い寒いと口々に言いながら、皆が朝餉の席に着いた。



「ああ、そうだ、またなまえちゃんが来るって」

「・・・・・・それがどうかしたのか」

「別にー?」



揶揄う様に総司の声で呼ばれた彼女の名に、痺れた様な感覚が全身に走った。

巡る血の速さが増し、顔が熱を帯びて行くのを自分でも感じる。

緊張で指先が震え、先程まで進めていた筈の箸が動かなくなった。




なまえ。


ここ数ヶ月、松本先生が忙しい際に訪れている医者、みょうじ先生の娘の名だ。




『なまえ、と申します』




その後ろ姿が消える前に何か言わなくてはと紡いだ言葉は、疾うに皆から知らされていた筈の彼女の名を問う事しか出来なかった。

軽く頭を下げ、自身の名を告げた。一目見たその瞬間から、彼女の所作、声、表情、全てに、目を奪われていた。

普段女性と接する機会など無いに等しい生活をしている所為か、物珍しくもあったのかも知れぬ。

その柔らかさとは反対に、みょうじ先生の傍で治療を手伝う彼女の真っ直ぐな瞳と、凛々しさ。

巡察の時でさえ、不謹慎にも彼女が歩いて居ないかと、探している自分が居る。

彼女はまた、来てくれるのだろうか。

それすら知らぬというのに、呼び止めたあの時、何故名を問うたのか。

次は何時会えるのか、本当はそれを。




「・・・何故総司が知っているのだ」

「え、知りたい?」

総司の嬉しそうな顔が癇に障る。

恐らく、副長の会話でも盗み聞いたのだろう。

そうでなければ、総司が彼女と何かしらの繋がりがあるということになる。

前者であることは確実だが、後者の答えが返って来る可能性も少なからずあるかも知れぬ―――


「・・・・・・知らずとも良い」

「そう」



唯一度、言葉を交わしただけだ。

平助や左之たちが彼女と楽しそうに話しているのを遠くから見ている事しか出来なかった。

俺も彼女の傍に、隣に行きたいと思いながら、足を動かすことはできず、副長とともにみょうじ先生の話に耳を傾けていた。

何を話していたか記憶していない程他愛も無い会話だったこと、それから、時折聞こえる彼女の控えめな笑い声に胸を高鳴らせていたことだけは、はっきりと覚えている。







「いやあすまない、みょうじ先生、御足労を」

「とんでもない、こちらこそ早朝から押しかけてしまい申し訳ありません。ほら・・・」

「御無沙汰をしております、近藤様」

玄関から聞こえたその会話に、皆が一斉に騒ぎ出した。

「あれ、随分早い到着だね」

「なまえか?久々だな!」

玄関を覗き込もうと立ち上がった平助たちと同様、己も同じく彼女を一目見たいと思った。しかし、

「食事中だろう。行儀が悪い」

そう言ってやれば、物凄い勢いで残りの飯をかき込んだ平助が「お先!」と言って再び立ち上がった。

引き止める間もなく。それは他の者達も同じだったようだ。

呆れるよりも、その様に正直で、素直で居られることを羨ましいとさえ思う。


直ぐにでも会いたい。

だが、何を話せば良いのかも分からぬ。

そもそも、一度言葉を交わしただけの俺を彼女が覚えているだろうか。

考えれば考える程、臆病になる自分が居る。



なまえ、と。

その名を俺が呼んでも、良いだろうか。




朝餉の片付けを終え、中庭に面した廊下を歩いていれば、総司と彼女が縁側に腰掛けているのが目に入った。

枯葉が舞い、秋が終わろうとしている中、からりと乾いた風が、昇りかけている太陽の熱を遮る。

みょうじ先生についている筈の彼女が何故総司と二人で居るのか。まだ平助や左之たちが居てくれた方が幾らかましだろう。

俺に気が付いた総司が「こっち」とそう手招きをしていた。

その何とも楽しそうな表情は・・・・・・また何か揶揄われるに決まっている。

彼女の見ている前でそれは避けたいと、その横顔を視界の端に捉えながら、通り過ぎてしまおうとしたその瞬間。



「だからさ、なまえちゃん、一君のこと看てやってよ」


・・・・・・何、だと?



二人の会話に登場した自分の名に、立ち止まらざるを得なかった。



「・・・どこか具合でも悪いのですか?」



“一君”と総司が呼んだその名が俺のものだと知ってか、彼女は後ろに居る俺を心配そうに見上げた。



「・・・・・・っ」



その澄んだ瞳と、声が。

じっと、見つめることもできずに慌てて目を逸らした。



「食事も喉を通らないんだって」

「なっ・・・!」

言いながら立ち上がった総司が、俺の肩を叩き、「ね?」と小首を傾けて同意を求めた。

言い返そうとした俺の言葉に気付かなかったのか、彼女も立ち上がり、

「さ、斎藤様・・・!それは大変です!すぐお休みになられてください!」

そう言って、俺の目の前に迫ってきた。

「な、何をっ、」

「いけません!医者の娘として、ご病気かも知れぬお方を放っておくなど・・・」

「あっははは!なまえちゃん、君って本当面白いね。その真面目なところ、一君にそっくりだよ」

両腕を組み、堪える事もせず大声を上げて笑った総司を、きょとんとした顔の彼女が見つめていた。

「・・・ご冗談ですか?あの・・・」

「じゃあ僕、これから巡察だから」

目の端の涙を人差し指で軽く拭う仕草をしながら、ひらひらと手を振り去っていった。

「そ・・・総司っ!」

その後ろ姿に、この掻き乱された空気をどうすればいいのかと、ただそれだけを考えていた。






「そ・・・その、少し、話せるだろうか」

心臓を落ち着かせ、やっとのことで口を開けば、小さな声が肯定した。

その事に安堵し、並んで二人縁側に腰掛ければ、その距離の近さに心臓がうるさく響き始める。

総司と何を話していたのか、何故ここに二人で居たのか。

俺は、何を話せば良いのか。

つまらない男だと思われるだろうか。だが、頭の中は真っ白で呼吸するので精一杯だった。

そんな俺に気付いていたのか分からぬが、彼女は隣で、じっと俺の言葉を待っていた。



「みょうじ先生は・・・」

「父は近藤様とお話があるとかで」

「そ、そうか」


やっと絞り出した話題でさえ、一瞬で終わってしまう。

もっと彼女の声を聞きたい、もっと彼女を知りたい、もっと彼女を―――

ちら、と一瞬隣を見れば彼女もこちらを見ていたらしく、目が合い慌てて逸らしてしまった。


「さ、・・・・・・斎藤様、お食事が喉を通らないと言うのは」

・・・気にして居たのか。総司が悪戯に言った言葉を。だが、冗談でも、嘘でもない。

「・・・それは、認める」

「ではっ」

また、心配そうにこちらを見上げた彼女の瞳を、この距離で見ることがためらわれて、視線を感じながらも、先程から手に浮かんでいる汗を誤魔化す様にぎゅっと握った。



走ったわけでもないのに、息が上がる。



「斎藤、とあんたはそう呼んだが・・・・・・俺の名を、覚えていたのか」

「・・・えっと、はい。あの・・・・・・覚えていたかと問われますれば、肯定することしか出来ませんけれど」

「どういうことだ・・・?」

「あ、あの・・・・・・父が、」



居心地の悪そうに視線を彷徨わせた彼女の頬が染まっていくのは、気のせいでは無いだろうか。



「父が・・・・・・斎藤様の様な方になら、私を任せても良いのにと・・・・・・毎日の様に話して居るものですから」

「・・・・・・そ、」

「も、申し訳ありません!あの、」



慌てて立ち上がった彼女の腕を、離れないようにとしっかり握った。

あまりに細くて華奢な、滑らかなその腕。

初めて触れた彼女の体温に、身体中が熱を帯びる。



「・・・あ、あんたは、どうなのだ」

「は、い・・・?」



半分、逃げる様に背中を向け、ほんの少しだけこちらに向けたその横顔。

言葉を模るその唇から、目が離せない。



「・・・お・・・俺と・・・・・・その、だな」

「あ・・・わ、私など・・・斎藤様にご迷惑をっ」

「迷惑なわけが・・・ないだろう・・・」

「え・・・・・・」

「あんたが・・・頷いてくれるならば、きっと直ぐにこの病も治ってしまう筈なのだが」

「さ、斎藤様・・・」



あの日見送った彼女の背中を、この腕の中に包み込んで、思い切り抱きしめた。

頭で考えるよりも、先に身体が動いてしまう。

抑えきれない衝動が、本能が、突き動かす。

彼女の首筋に顔を埋め、その甘い香りと体温に、一層腕に力がこもる。



「なまえ、と・・・そう呼んでも怒らぬか?」

「・・・・・・は、い」



ほんの少し、掠れたような声が返事をした。

一切の抵抗をしない彼女に、遠慮などする必要無いと。



「なまえ。一目見たその時から、あんたの事ばかり考えているのだ」

「斎・・・・・・」

「名を」

「・・・は、一、様」




「なまえ、あんたを好いている」




「夢の、様です」



「ならば、一生覚めぬ様に、傍に」




ずっときみと



END





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