『はじめちゃん、おひるねしよう?』
『・・・・・・・・・』
こくん、とゆっくり頷いた彼に手を差し出すと、眠い目をこすりながらも、嬉しそうに頬を緩ませて私の手を取った。
それが嬉しくて、私も彼の手を、ぎゅっと握った。
一緒に布団の上にごろんと寝転がると、彼は私を、じっと見つめる。
『どうしたの?』
繋いだままの手を、きゅっともう一度握るから。
『・・・・・・おいで、はじめちゃん。ぎゅってしててあげる。怖くないよ』
「はじめ、今日も委員会?」
「ああ」
「んじゃ先帰ってる」
隣のクラスの斎藤君は、私の幼馴染。
ばいばい、とひらりと手を振って私は彼のクラスを後にした。
彼―――斎藤一については、“無口だし、無表情だし、何考えてるか分かんなくて怖い!”という女子と、
“そこがミステリアスで良いんじゃない!”という女子と、うちの学校は真っ二つに割れている。
私に言わせれば、彼は無口でも無表情でも、ミステリアスでもなんでもない。みんなと同じただの高校生だ。
好きなことを語らせたら饒舌だし、何か間違えようものなら問答無用で突っ込まれ諭される。
それから彼は、ちゃんと、笑う。
「ただいまー」
「おかえりなまえ。ご飯、用意しようと思ってたんだけど、今日はじめ君家で食べてね」
家に帰るなり、忙しなく行ったり来たりしながら、バッグに必要なものを詰め込んで、薄手のコートを羽織った母。
「おばさんがさ〜、こんな日くらいは甘えなさいよって言ってくれてね!じゃあお母さんそろそろ出かけなきゃいけないから、戸締りよろしく〜」
「ちょっ・・・・・・、」
間違いなく、語尾にはハートマークがついていた。私の返事を聞きもせず、あっという間に家を飛び出した母親の上機嫌さにため息が出る。
何をそんなにめかし込んでいたのか。
何かの日だったかなとリビングのカレンダーに目をやると、赤ペンで“結婚記念日”と書かれている。
「・・・・・・あー・・・・・・」
そういえばそんなことを言われていた気もするなと記憶をたどりながら、私何も用意してなかったけど大丈夫かな、とふと心配になってしまった。
「なまえ?」
「・・・・・・あ、はじめ」
「どうした?」
「あ、えっと、うちの両親さ、今日結婚記念日だったの。忘れてた」
「・・・・・・それで花か」
「お客様、お待たせいたしました」
駅前の花屋に居たところ、ちょうど委員会帰りのはじめに声をかけられた。
「うん、こっそり飾っておこうと思って。母さんの好きな花」
店員さんから受け取った花の香りを思いっきり吸い込んだ。懐かしい匂いがする。
そんな私を見ながら、彼は、微笑む。
「あんたの両親は、仲が良いな。今日も二人で出かけたのだろう」
「あれ、知ってた?」
「なまえをよろしく頼むと、おばさんから連絡が来ていた」
「・・・・・・(母さんてば)」
店をあとにして、二人で家へ向かう。
何年この道を一緒に歩いただろうか。
物心着いた頃からいつも一緒にいた彼と、今までずっと、離れることなく一緒に居る。
ちらりと隣の彼を見上げた。いつもどおり涼しげなその横顔を傾きかけた太陽が、照らしてる。
・・・そういえば、いつの間に背を抜かされたんだっけ。
「ねえねえ」
「どうした」
「背、何センチだった?」
母の好きな花の季節。
結婚記念日と同じ時期で良かったなと思いつつ、父はもしかしたら、わざわざその季節を待っていたのだろうかと思ったら、なんだかくすりと笑みがこぼれてしまう。
もしかして、この花をプロポーズで使ったんだろうかなんて、紙袋の中の花を見つめた。
2年にあがったばかりで、健康診断が先日あった。
体重はともかく、身長は少しだけ伸びてはいたけれど、隣の彼を見る限りでは、多分はじめのほうが伸びているんだろう。
「・・・165」
「ずるい」
「なっ、何故」
「昔は私より小さかった」
「・・・・・・まだ伸びる予定だ」
そう言って、私よりも10センチ背の高い彼は、低いこの頭をぽんと叩いた。
「それに―――」
「ん?」
「これくらいが、ちょうどいい」
ほら、また、彼は笑う。
この笑顔は、くすぐったい。
本当に、いつの間に、彼は“男の子”から“男”になったんだろうか。
あんなに華奢だと思っていた体つきも、気がついたら―――部活のせいなのか―――がっしりとしている。
腕だって、指だって、こんなに太くなかったのに。
「あ、私一回帰ってお花飾ってくるね。すぐ夕飯の支度手伝いに行く」
「ああ」
幼い頃、指が切れちゃうから使っちゃダメ、なんて怖い顔して母に言われた花切りバサミ。
初めて持たせてもらったのは中学生の時だった。
ちょうどいいサイズに切り落として、花瓶に生ける。
別に、こだわりなんかあるわけじゃないけど、なんか角度が気になるなと何度も直していた。
玄関、リビング、キッチン、トイレ。
それぞれに合う色の花を買った。
・・・・・・あれ。
玄関のチャイムがなって慌てて出ると、はじめだった。
「あんたの“すぐ”は、1時間後か」
「・・・え!?うっそ、そんなに経ってた!?ごめん!」
「いや・・・・・・なまえの家で食べろと」
彼が差し出した百貨店の紙袋は、おばさんと母がよく一緒に行っているから見慣れている。
「・・・ごめん、ありがとう」
「ついでに・・・」
「あー・・・・・・そうだ。そうだった・・・」
宿題があるだろう、と教科書を取り出したはじめ。
おばさんの作ってくれたご飯をいただいたあと、私の部屋で教科書を広げた。
「数学って嫌い」
「そうか」
「だって私、そもそも文系だし。記号多すぎて訳分かんない」
「食わず嫌いだな」
「そんなことなーい」
こてん、と隣のはじめの肩に頭を預けて、ひとつため息をついた。
「・・・・・・難しいよ」
「数学が、か?」
「ん?・・・・・・うん」
わからないものを記号に置き換えて計算式で導き出せるなら、この距離の答えを出して。
証明して見せて。
私と、あなたの距離の。
「私さあ、ずっとはじめと一緒に居たいな」
「どうした、急に」
「え?急じゃないもん、ずっと、思ってた」
「あんたと離れる理由は無い・・・・・・つもりも、無い」
私のことなんか気にも止めてないように、あいも変わらずさらさらとシャーペンを走らせる彼は、何を想ってそう答えたのだろう。
俺も一緒に居たいのだと、そう言ってくれたら良いのに、けれど少し遠まわしなその言葉も彼らしいと思う。
「ねえはじめ、昔みたいに一緒に寝よう?ぎゅってしてあげる」
「なっ・・・・・・」
「ほら、だって、そうしないといつも寂しそうな顔してた」
「む、昔の、話だろう・・・・・・」
「えー?嫌じゃないくせに」
「もう子供では無い」
「子供だよ?高校生は」
「・・・・・・そうか」
「ほら、ぎゅってしてあげるから、一緒に寝よう?」
「・・・・・・・・・宿題が終わったらな」
「う・・・・・・はい」
ふれていたい
「なまえー?はじめ君来てるんでしょう?靴が・・・・・・あらあら」
なんとなく。
母が部屋に入ってきたのはぼんやり覚えてる。
けれど、眠気に勝てなくて、私はそのまま瞼を開けなかった。
今何時なんだろう。日付をまたいだのだろうか。
すう、と息を吸い込むと、私の腕の中にいるはじめの匂いがする。
・・・・・・花よりも、好きな匂い。
『ほら、こうしたら、寂しくないでしょう?』
『うん・・・』
そうか、彼の笑顔は、昔と変わらない。
私にドキドキと安心をくれる、その笑顔が、昔から大好きなんだ。
END
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