「ありがとうございましたー!!」
じゃかじゃかとアコギを鳴らして、駅前でのストリートライブ、本日終了。
溢れんばかりの拍手・・・は自分の妄想の中で鳴り響いているだけ。
ぱちぱち、とちらほら拍手(というより手を叩く音)が聞こえてくる。
クリック一つで世界が広がるこの世の中で、私は未だ、こんなやり方しか出来ない。
否、これが、一番伝わる方法だと思ってるだけ。
それでも、いつも告知をすればわざわざ駆けつけてくれる人もいる。
「なまえちゃん、今日も良かったよ」
なんて、いつも来てくれるオジサンに絡まれて苦笑い。
ギターを片付け始めた私の横で、ずーっと話しかけてくる。
でも、いつも来てくれるこの人を邪険にすることなんてできないし、貴重なお客さんを失いたくはない。
「あはは、ありがとうございます」
この精一杯の笑顔はきっと乾いてるだろうなあと思いながら、引きつった顔を見せないように、ぺこりと頭を下げた。
「手伝おうか?」
「あ、そんな、大丈夫ですっ」
「いいから、いいから」
「あの、ちょっ・・・・・・!」
ケースにしまい終えたギターを勝手に持ち上げると、私の伸ばした手はまるで無意味で、あっさりとギターは肩にかけられた。
私の大事なギターを、ほかの誰かに触られるのは、正直―――
「ギターは彼女の命と同等なくらい大切なものだ。悪いがその手を離してはどうだろう」
―――誰・・・?
驚いて振り向くと、かっちりとスーツを着込んだ男の人。
薄手のスプリングコートに身を包み、その両ポケットに手を入れたまま、こちらに歩み寄ってきた。
私が、スポットライトがわりに浴びていた街灯の光に照らされて、彼の顔がだんだんはっきりとしてくる。
長い前髪から覗く切れ長の眼。鼻筋の通った整った顔立ち。
ほんの少し、威嚇するようなその声色で。
私の想いを代弁してくれた。
「そ、そうなの?なまえちゃん、ごめんね、言ってくれたらよかったのに」
彼の言葉を聞いて、慌ててギターを肩から降ろすと、私の前に差し出した。
・・・いや、大丈夫ですって言ったし!!!!とは流石に突っ込みできるわけなくて。
「な、なんかすみません、そのご好意だけ頂戴しておきます・・・」
居心地が悪くなったのか、オジサンは逃げるように帰っていった。
ちらりと、先ほど声をかけてきた男性に視線を戻すと、じっとこちらを見つめていた。
周りでは足早に家路を急ぐ人たちが行き交う。
でも、私と彼の間の、たった数メートルのこの距離を、遮る人は誰もいなかった。
「あ、あ・・・あのっ、ありがとう・・・ございました」
あわててぺこりと頭を下げると、すぐに声が降ってきた。
「・・・出過ぎた真似をしてすまない。あんたがどうかはわからんが、俺の知っている奴はそう言っていた」
それは、先ほどの尖ったような声色とはまた違って、ほんの少し優しい気がした。
「時に。・・・・・・みょうじなまえ、と言うのか。あんたはレコード会社に所属しているのか」
私がストリートライブの時に掲げているお手製の看板に記載してあった名前を読み上げると、彼は何やら急に分厚い手帳を取り出して言った。
・・・・・・一体あなたはどこの誰で、何の目的があってその質問をしたんでしょうかと聞くことすらできないこの空気感は何なんだろう。
しぶしぶ、というわけでもないけれど、彼の質問に答えなくてはと口を開いた。
「・・・いいえ、」
探しているんです、と続けようとした言葉が消えてしまったのは、先程まで無表情だった彼の口角がほんの少しだけ上がって見えたから。
「斎藤一だ」
「・・・・・・え」
すっと目の前に差し出された名刺には、今口にしたのと同じ名前が横書きに記載されている。
その上には、有名なレコード会社名。
役職は“A&R”―――
「あんたに興味がある」
「斎藤さん!お待たせしましたっ」
私の生活が一変した。
アーティストの発掘から制作まで幅広くこなす彼は間違いなく大忙し。
他に担当しているアーティストも多数いるというのに、私のライブにもちゃんと来てくれるし、ダメだしもしてくれる。
手探りで歩き続けていた先の見えないレールの上を、照らしてくれたのは間違いなく斎藤さんで。
といっても、以前に比べるとライブハウスに出る回数と、集客がすこしずつ増えている、という小さな変化だけど、私にとっては大きな一歩だと思ってる。
斎藤さんに出会ったあの日から、もう半年が過ぎようとしていた。
「今日は喉の調子がいつもより良かったように思うが」
今日もライブを終えて、斎藤さんが待つ近くの駐車場にやってきたところ。
「わかりました?斎藤さんに言われて、ちゃんと携帯加湿器、持ち歩いてるんです」
スカウトされて、その場で私の連絡先も伝えた。
今まで、私に声をかけてくれた人なんていなかったから飛びついたっていうのももちろんあるけど。
何より、この人は信頼できると思った。
“あんたの声は、バンドの方が映える”
出会ってすぐに言われた言葉。
だからといってバンドを組もうとも思わなかったけれど。
今日のライブも、斎藤さんが声をかけてくれたプロの人たちに頼み込んで格安でサポートをお願いしたのだ。
初めて音を合わせたその日に、自分の声と幾重にも重なっている音がこんなに心地よく感じるものかと驚いた。
全身を伝わるその音が最高に気持ちいい。
アコギ一本だけで出す声の何倍も、思い切り声を出せている気がする。
「みょうじ、あんたに大事な話がある」
信号待ち。
大通りの交差点。
車のスピーカーから聴こえてくるのは、FMラジオの軽快なトーク。
何でしょうかと、運転席の斎藤さんをちらりと見やる。
私よりも、5歳年上の彼。
あまりに落ち着きすぎているから、本当はもっと年上かと思っていたけど。
ライブのあとに、毎回毎回、私を家まで送ってくれる、この車の中の空間が大好きで。
「はい・・・?」
きちんと両手でハンドルを握り、背筋をぴしっと伸ばして真っ直ぐに前を見つめたままの、斎藤さんの言葉を待った。
「・・・・・・今の会社を、離れようと思う」
―――え?
「あ、あの・・・ちょっと、ちょっと待って下さい!そ・・・そんなの、急にっ・・・私、斎藤さんじゃなきゃ・・・」
受け止めきれないこの事実を、冗談だと言って笑うような人じゃないことくらい、知ってる。
たったの半年でも、私にとってはものすごい濃厚で、得るものもたくさんあって、斎藤さんだから、ここまで・・・
「落ち着け」
相変わらずに、真っ直ぐに前を見つめていたその横顔は、なんだか私を突き放しているようで、見ていたくなかった。
信号が青に変わって、ゆっくりと走り出した斎藤さんの車は、いつもみたいに居心地のいい空間なんかではなくて、すぐにでも飛び出したいと思ってしまった。
「・・・・・・斎藤さんは勝手です」
膝の上のリュックをぎゅうと抱きしめて、ぽつりと呟いた。
斎藤さんと、離れたくないって、ずっと一緒にいたいって、私、いつから思うようになったんだろう。
涙で、滲んで前が見えないなんて。
「・・・・・・ありがとう、ございました」
アパートの前にいつもみたいに車を止めた、彼の横顔を見れなかった。
・・・見たくなかった。
「待てみょうじ、まだ話は終わっていない」
「・・・・・・」
これ以上、今は何も聞きたくないし、私はすぐにでも泣き出してしまいそうなのに、どうしてそんなことが言えるの?
「俺に、賭けてはくれぬか」
「・・・・・・え?」
「あんたを一緒に連れて行く」
「え、あ、あのっ、ちょっと待って下さい、意味がまったくわからな・・・・・・」
「会社を立ち上げる。みょうじなまえ、あんたのマネジメントを本格的に行うためだ」
驚いて瞬きをすれば、その瞬間にこぼれ落ちたのは、さっきまで目にためていた悲しい涙。
真剣な眼差しの斎藤さんが、このタイミングで冗談を言うはずなんてない。
「・・・・・・わ、私・・・」
「俺を、信じられぬか?」
「ち、ちがっ・・・そうじゃ、なくてっ」
まだ、斎藤さんと一緒にいられる、それが嬉しいのと同じくらい、こんなすごい人が、私に期待をしてくれているという事実に押しつぶされてしまいそうで。
だって、もしダメだったとき、私はどうしたら・・・・・・。
「怖いか?」
私の不安を察したらしい斎藤さんは、こくんとうなずいた私を見て、優しく頭を撫でてくれた。
その大きくて温かい手は、すごく安心する。
「大丈夫だ。俺が、そばに居る」
「・・・・・・さい・・・と」
「それから・・・その、本題は、ここから、なのだが―――」
「???」
運転席に座り直して、するりとシートベルトを外した彼は、わざとらしく咳払いをして、ゆっくりと、息を吐いた。
その様子が珍しくて、なんとなく、じっと眺めてしまった。
「・・・・・・なまえ」
「は、はいっ・・・・・・」
下の名前をこうして改めて呼ばれるのが多分初めてで。
驚きと緊張で、背筋が伸びてしまった。
「これから先、仕事のこの関係を抜きにしたとしても、あんたと共に居たいと思う」
「・・・・・・斎藤さ・・・」
「ま、待て、最後まで言わせてくれ。あんたの話は、それから聞く。・・・・・・だから、だな。つまり、俺は、あんたを」
その横顔は、さっき見ていたくないと思ったのと正反対で、だんだんと真っ赤に染まって、たまらなく愛らしい。
この、彼の様子と、今紡ごうとしてくれている言葉を想像して、私の胸はドキドキとうるさいし、頬が熱くなっていく。
多分、この斎藤さんの決断は、私との、これからずっと先まで見据えたものなんじゃないかと思ったら、嬉しくて、嬉しくて―――
「俺は・・・・・・あんたを、好いている」
開花前線
いつの間にか通り過ぎてた開花前線は、満開の春を連れてきた。
END
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