目を覚まして最初に見たのは白い天井だった。
 それまで住処にしていたボロ屋敷のすすけた天井と違い、汚れ一つないその白に、蛍光灯の白さが重なってやたら眩しかったのを覚えている。

 05 白い天井


 じくじくと疼く体の中で、唯一自由に動く両腕を使い、形兆はなんとか上体を起こした。
 顔も含めて、全身にガーゼやら包帯やらが巻かれていて、間接が動かしづらい。
 すぐに看護士たちがバタバタとやってきて、簡単な検診が行われた。瞳をライトで照らされ、口の中を覗かれ、聴診器を当てられ。
 あなたのお名前は、年齢は、ご家族の名前は。
 少し喉が張り付いて声が掠れたが、しかし特に躓くこともなく全ての質問に答えると、医者らしき男は一息ついて、今の状況を話し出した。
 聞けば、自分は二日の間生死の淵をさまよい、その後四日も意識不明であったという。
 意識が途切れる最後の瞬間に見た億泰の間抜け顔が、今でも鮮明に思い出せる。そんなに時間が経っているなんて、にわかには信じられなかった。
 後は空条さんに、と言い残して、看護士たちは部屋を出て行った。入れ違いに、男が一人入ってくる。空条さん、と呼ばれた男だろう。
 空条は先ほどまで医者が座っていたイスに目を向けることもなく、立ったまま形兆の方を見て話し始めた。

「まず、スタンドはしまってもらおう。ここは病室だ」

 思わず、チッ、と舌打ちが漏れる。目を覚ましてすぐ、室内にアパッチを何機か出現させていたのだ。
 さきほどの看護士たちは全く気づいていなかったし、男も何食わぬ顔で入ってきたから、てっきり一般人だと油断した。
 しかし、今さら抵抗しても何もなるまい。この距離が射程外のスタンドはそうそういないし、そもそも自分は全く身動きが取れないのだ。形兆は、大人しく男に従った。それに満足したらしい男は、自分を空条承太郎だ、と名乗った。

「医者から、大体のことは聞いたと思うが、君は昏睡状態から回復して意識が戻ったばかりだ。安静にしてくれ」

「……言われなくても、動けやしねえよ」

 そうだな、と頷いた空条承太郎は、ベッドテーブルを形兆の前に動かすと、その上に何枚かの紙をまとめた資料を置いた。
 一箇所をホチキスで留められただけの、簡易な作り。一番上の紙には、肩から上が写った男子学生の写真と、その学生のものらしき名前、経歴、家族構成らしきものが書いてあった。
 まるで履歴書かなにかのようなありふれた紙面の中で、そのプロフィールの一番下、大きくスペースをとったところだけが異色だった。
 欄名は、“スタンド能力について”。

「これは何だ」

「言わなくとも、分かると思うんだがな。お前がスタンド使いにした人間の名簿だ」

 確かに、言われなくとも分かっていた。確認してくれ、と言われて、資料に手を伸ばす。
 間田敏和、小林玉美、山岸由花子……一枚につき一人、間違いなく自分が矢を刺した人物の情報が事細かに書かれていた。

「そこに載っているのは、オレや仗助たちが倒したスタンド使いだけだ。うち一人……片桐安十郎を除いて、全員がスタンドの犯罪利用を自制する誓約書にサインしている」

 かなり渋ったやつもいたがな、と続ける承太郎をよそに、資料をめくっていく。
一番最後のページまでめくって、瞠目した。億泰の写真があったのだ。
 写真だけじゃない、プロフィールまで全て、億泰のものだった。虹村億泰、十五歳。ぶどうヶ丘高校在学……

「億泰は」

 どうなった、と言うより先に、承太郎が口を開いた。

「億泰君は元気にしている。一時的にオレが保護したが、今は学校に通いながら、あの屋敷で生活している」

 ぴくりと動いた米神は、多分血管が浮き出ているんだろう。勝手に保護されやがって、阿呆が。

「彼も、誓約書を書いた。あとは君だけだ」

 そう言って、承太郎はベッドテーブルにもう一枚紙を置いた。少し青みを帯びたような白い紙は、しっかりとした材質なのが見て分かる。
 承太郎の言う誓約書は、未成年にも理解できるようになのか、やけに簡潔な文章で書かれていた。それをさらに要約するとこうだ、『スタンドを使って、悪いことをしません』。

「だが、誓約書のことは後でいい」

 形兆の視線から離すように、承太郎は契約書の上にすっと手を置いた。

「そこに載っていない被害者がいたら、今教えろ」

 被害者。そう表現されてなんだか奇妙な気分になった。
 確かに自分が断りなく矢を刺して、運が悪ければ死ぬところだったのだから被害者には違いないのだが、しかしこいつらは全員、元からろくでもないやつが多かったのだ。ほとんどが、他の誰かに対して加害者になっている。
 誰に対してなのか、思わず嘲笑がこみ上げてきた。

「……これで、全員だ。他に生き残ったやつはいない」

 答えを聞いた承太郎が、そうか、と言って資料を引き取った。
 声色こそ変わらぬものの、鋭い目は増して鋭く、刺すように自分を見据えていた。

「スタンドを使った犯罪は立件できない。君は、法では裁かれない」

 はっきりと話される一語一語が、頭に響いた。

「しかし君は、今日からスピードワゴン財団の監視がつく。期限は決まっていない。場合によっては、一生監視の下で生きてもらう」

 今確かに承太郎の話を聞いているはずなのに、どこか夢のように感じるふしがあった。現実味がなかったのだ。
 一方で、冷静に状況を把握している自分もいる。もともと、のうのうと生きていけるなんて、思っていなかったのだ。
 自分が生きているというのが、不思議な心地だった。

「……オレは、どうして生きてる」

 沈黙が落ちる。乾いた空気の中で、じわりと滲んだ額の汗が冷たい。

「仗助が、君の致命傷を治したからだ」

 淡々と落とされた言葉に、形兆はわずかながら落胆した。そういうことを聞いているわけではなかったのだ。
 しかしそれは多分、承太郎も分かっていいて、あえて状況だけを話したんだろう。
 自分の生きている意味なんてないとも、自分で探せとも言われたような気がした。自分がそう思いたいだけだったのだろうか。
 考える時間はいくらでもあった。しかし今でも、答えなかった承太郎の真意は分からない。







「聞いているのか?」

 はっとして、顔を上げた。
 一日中寝たきりなせいか、それとも負傷のせいで体力が落ちているのか。ときおりぼうっとしてしまうことがあった。

「……もう一度、説明するぞ」

 ふう、と息をついた承太郎が、脚を組み換える。少し小さめのイスが、床とこすれてギッと音を立てた。
 意識が戻ったあのときから、そんなに日は経っていない。看護士の交代くらいしか変化のない病室暮らしは退屈すぎて、時間の感覚が麻痺しているが、恐らく三日や四日といったところだろう。
 今日、承太郎は再び形兆の病室を訪れた。

「契約書にサインすれば、今までの犯罪行為の後始末は財団が請け負い、君が通常の社会生活を送るための支援を受けることができる。ここまではいいな?」

「ああ」

「よし。誓約書にも書いてあるが、事後処理と支援には条件がある。定期的に財団の審査と調査に協力してもらうことだ。審査と調査の詳細は二枚目の……そう、それだ。そこに書いてある。全てに同意できるなら、サインをしてくれ」

 スピードワゴン財団には、スタンドを含む超能力や超常現象に関する部門があるのだという。
 その研究の対象になること、そして定期的な審査を受け、スタンドを使った犯罪やそれに準ずる行為をしていないことを証明すること……
 後者の、誓約書の方に関してはほとんど抑止力にはならない気がしたが、財団としては前者の、契約の方が主な目的なのだろう。
 承太郎はあの日、身体に障るからといって契約書の詳細を話さずに帰っていった。ただ、急を要することだけ聞きに来たのだ。
 そして今日、再び現れた承太郎は形兆に誓約書と契約書の説明をしている。形兆はすでに、誓約書の方にはサインをした。

「契約書の方は、今すぐでなくてもいい。ただ、できれば来月までには同意するかしないか決めてくれ」

「……分かった」

 財団と契約をすべきか否か、決めかねていた。
 形兆がスタンド使いを増やしていた理由を把握した承太郎は、財団に掛け合って父親のことも契約書の内容に追加すると言い、実際あっと言う間に財団員が新しい契約書を持ってきたのだ。
 承太郎はこうも言った。財団の力がどこまで及ぶかは分からない、しかしできる限りの協力はする、と。
 何もこれで、全てが解決するわけじゃない。しかし、あっさりと示された道に、疑わしさもあったし、何より複雑な心境だった。他人に干渉されたくないという気持ちもあれば、今さら何を、という気持ちもある。
 こんな紙の一枚や二枚で、自分のしてきたことが白紙に戻るわけでも、ましてやこれから新しい人生を歩めるわけではないのだ。







「今日は、これで失礼する。よく考えておいてくれ」

 イスから立ち上がり、資料を持ってきた小ぶりなスーツケースを抱えると、承太郎は「ああ、それと」思い出したように口を開いた。

「君の友人…北沢千昭くんが、ダミーの部屋を訪ねてきた。この部屋を教えておいたから、そのうち来るだろう」

「え、」

「じゃあな」

 おい!、と荒げた声も聞かず、承太郎は部屋を出て行った。
 バタン、と閉まった扉の音が無機質で忌々しい。彼を追っていけない自分の足がもどかしくて、舌打ちをした。
 なぜ詳しい説明をしないのか、なぜ部屋を教えたのか。
 また承太郎の思惑が分からないまま、形兆は一人病室に残された。


prev*#next

もどる

「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -