あの時期から、どうやら自分の鞄やポケットは、四次元ポケット並みの収納力を持ってしまったようだった。







 ピンポン、と呼び鈴が鳴る。はーい、と返事をしてドアを開けると、そこには相変わらず無愛想な従妹が立っていた。
 一人暮らしになってからは、彼女がここに来るのは初めてだ。
 顔を合わせても微動だにしない表情筋にへらりと笑いを返して、千昭は突然の来訪を歓迎した。
「いらっしゃい、由花子」







 まだ冬の装いの残る2月下旬、千昭は鞄やポケットにひたすらいろんな物を詰めては出し、詰めては出しを繰り返した。
 いくら物を入れても膨らまないポケットに、重さの変わらない鞄。
 不思議なことに、マンションの廊下で全ての紛失物をぶちまけたあの日から、自分の意図した物を自由に取り出すことができるようになっていた。それでもたまにうっかり違うものを取り出してしまったりもするが、とりあえず入れたものが取り出せなくなって一時的に物がなくなる、という事態は収束した。
 そして物の出し入れにかまけた結果、千昭はこの奇妙な現象に、いくつかの法則を見つけ出した。







 由花子をリビングに通して、ちょっと待っててね、と言って台所へ戻る。夕食を作っている途中だったのだ。
 ちょうど煮立ち始めた鍋の火を弱めて、食器棚から皿を下ろしていると、戸口からそろそろと由花子が顔を出した。

「ご飯、作ってたのね」

「ああ、うん、由花子もちょっと食べてく?」

 もう出来るし、と言う千昭に、きりりとした眉を少しひそめて、顔をしかめてみせる由花子。
 まるで、食べないわよそんなもの、とでも言いたげな表情だったが、由花子の本心はそうでないことを千昭は知っている。
 これはただ、どうするか少し迷ったときの表情なのだ。どちらかというと、誘いに乗りたいけど、どうしよう、というときの。
 昔から、変わってないなあ、と少し頬が緩む。

「ちょっと多めにできちゃったんだよね」

 だから一緒に食べてくれると嬉しいな、とは言わなくても分かっただろう。棚から下ろした茶碗を二つ、由花子に差し出す。

「……じゃあ、いただくわ」

 茶碗を受け取った由花子が、炊飯器から蒸らしておいたご飯をよそう。表情はまた少し不満げだ。固く結ばれた唇を少し尖らす様子を見ていると、自分たちが幼い子供のころのままのような気がしてくる。
 由花子は昔から、表情の固い子どもだった。

「千昭君って、昔から、いつもそうね」

 椀の中のご飯をしゃもじで整えながら、由花子がぽつりと言った。
 何が、とは聞かない。多分、由花子も自分に同じようなことを感じているのだろう。
 千昭はただ、由花子もね、とだけ返して、鍋の火を止めた。







 一、入れ物は、袋状のものでなければならない。
 二、入れ物は、自分の手首から下がすっぽり入るだけの大きさが必要。
 三、入れたものは他のどの入れ物からでも取り出せる。
 四、意図して入れ物をひっくり返すと、今まで入れたものが全部外に出る。
 マンションの廊下の一件では意図せず起こったことも、今では意識しなければ鞄から大量の物品が氾濫することはない。

 この現象について、大方は理解することができたとは思うが、やはりまだ分からないこともたくさんある。
 手がすっぽり入る大きさであっても、透明なビニール袋や引き出し、棚、ダンボールなどは入れ物にならなかったし、また、入れるものに大きさや重さ、量の制限があるのか否か、全く分からなかった。
 自分の身の回りの物を入れただけでは、私物の少ない千昭では大した量にならないので検証できないのだ。
 かといって家具や家電、自転車などを入れようと思えば、今度は入れ物がないし、何より取り出すことができるかどうか分からない。
 今まで入れてきたものは全て千昭が片手で掴んで持てる物ばかりだったから、両手で抱えて持つ物なんて、どうやって出したらいいのやら。

 入れてみて出せなくなったら嫌だし、と、千昭は早々に入れ物の容量についての検証を諦めた。







 テーブルを挟んだ向かいに座る由花子をちらりと見る。中身は変わっていないけれど、やはり外見は昔のままとはいかない。小さいころは伯父に似ていた顔立ちが、少しずつ伯母さんに似てきたな、とひとりごちた。

 いとこ、というのは、不思議な距離感だと思う。
 自分は親に似ていて、親は相手の親と似ていて、でも自分と相手は似ていなくて。お互いは他人のようなものなのに、親同士は人となりが重なり合っているのだ。
 由花子の父と千昭の母、男女の兄弟だけれど、やはり雰囲気はよく似ていると思う。

「伯父さん、元気?」

 箸から逃げる里芋の煮っ転がしをそっと捕まえて、ふと口を開く。
 つるつるとした、漆塗りの箸は失敗だったかもしれない。少しでも気を抜けば取りこぼしてしまいそうなバランスで、持ち上げた里芋をぱくりと口に頬張った。

「別に、何も変わらないわよ」

 最近少し太ったくらい、なんて言う由花子に、ああ、と相槌を打つ。

「おばさんのご飯、おいしいもんね」

「よく言うわ……こんなにちゃんとした料理、作っておいて」

 つん、とすました顔に、へらりと笑ってやる。
 だっておばさんに習ったし、と言うと、「そういうことを言ってるんじゃないわ」と軽くため息をつかれた。







 一昨日病院で会った、空条承太郎。仗助の甥だというその人は、この奇妙な、それでいて非常に便利な現象を、精神力の具体化、「スタンド」だと言った。
 スタンドは、大抵の場合何らかのビジョンがあるようだが、千昭のスタンドにはそれがない。
 承太郎のスタープラチナと千昭のこの現象が同じ存在なのだと言われても、いまいち腑に落ちなかった原因がこれだ。
 承太郎が言うには、スタンドは、本体の成長に促されて威力が変化したり、能力が付随されていくケースもあるらしい。千昭のスタンドもそのうちに像が出てくるのではないか、と言われたが、千昭はそうは思えなかった。
 具体的な根拠や理論は全くない。ただの、勘だ。でもスタンドとやらは「自分の精神の具現」らしいから、自分の直感が全く見当違いということもないだろう。
 それにスタンド像が現れないのは、千昭にとって都合がよかった。スタンド像のないままに、完全に日常に溶け込んでしまえば、スタンド使いの対立に巻き込まれることもない。
 池魚の禍、触らぬ神に祟りなし。
 形兆や億泰から離れるつもりはないが、かといって彼らの撒いた種を自ら拾いに行く気も、千昭にはなかった。







 ところで由花子、それなに?と、由花子の持ってきた包みをちらりと一瞥する。ぐ、と息の詰まった由花子に、あ、差し入れだ、と感づいた。そして、千昭が話題に出さなければ、そのまま渡さず持ち帰ってしまっただろう、ということも。

「どうせ自炊してるんだから、いらないだろうと思ったのよ」

 でも、母さんが持って行けって言うから、と半ば投げやりに渡された包みを開けると、四角いタッパーの中に、きれいな色のきんぴらごぼうが詰められていた。
 たちまち広がる香ばしい匂いに、思わず、おお、と声が上がる。

「オレ、伯母さんのきんぴら大好き」

「そう、よかったわね」

 早速、箸で少し摘んだきんぴらを口に放り込む。ああ、やっぱりおいしいなあ。よく味わってごくりと飲み込んだあと、ただ少し感じた違和感だけを吐き出した。

「これ、作ったの由花子だろ」

 ぴたり、と箸の止まった由花子に、思わず笑みがこぼれる。当たり?、と言ってみると、無表情だった由花子の顔が、だんだんと険しくなっていった。
 はたから見たら怒っているようにしか見えないその顔も、千昭には照れているようにしか見えないのだから、不思議なものだ。

「ありがと由花子、オレの好きなもの作って来てくれて」

 明日のお弁当に入れるよ、と言ってもう一口。さすが伯母さんの料理を毎日食べてきているだけあって、ほとんど伯母さんのきんぴらと変わらない。

「千昭君って本当に・・・…ああ、もう」

「やー明日のお弁当のおかず考えてなかったし、本当ありがたいよ」

「どうせ、この煮物を入れるつもりで、多めに作ってたんでしょ」

「あ、バレてた」

 でもこれでトントンだし。互いの思惑が分かってしまうのも、トントンだ。
 由花子のきんぴらをもう一口食べようとしたら、また後で食べなさいよ、と言われた。
 変なところで恥ずかしがりやの従妹のお願いを無視しようとすると、今度こそ本気で怒られそうだったので、千昭は大人しくタッパーを冷蔵庫に入れた。







 スタンド使いのいざこざに、自ら首を突っ込むつもりはない。
 ただ、形兆の引き起こした奇禍が、こんなに間近にまで食指を伸ばしているとは思わなかったのだ。
 その後、事の顛末を知った千昭は、「スタンド使いの揉め事と関わらずに過ごす」という日々の目標を、あっさり諦めることになるのだが、それはまた別の話。


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