04 猫の缶詰


「何してるの?猫缶なんか眺めて」

「んー……」

 お客のいない夕暮れ時。
 姿を消したままこっそり近づいて、後ろから声をかけたけれど、返ってきたのはいつもと変わらぬ生返事だ。
 そんなに信じられないのなら幽霊らしいことでもしてやろうと、こうしてことあるごとに千昭を脅かそうと目論んでいるのだが、いまいち成果は上がっていない。
 もしかして後ろに目でもついてるんじゃ、と思ってしまうほど、千昭のリアクションは薄い。

「うちの店、こんなものまで置いてあったんだなーって」

 手に持った猫缶を一度置いて、むむ、と睨む。
 けれどしばらくして、千昭は観念したようにバーコードをスキャンした。
 ピッという電子音のあと、数字のキーを押すと引き出しが開く。
 自分でレジやるのも慣れてきちゃったなあ、と笑う彼に、こちらもつられて口角を上げた。

「でも、いつもとはちょっと違うんじゃない?」

 千昭が自分でレジを打つのは、いつも自分へお菓子を寄越すためだ。
 赤くて四角いチョコのお菓子、つまりポッキー。
 まさか、その猫缶を自分に渡すわけもないだろうし。千昭は「まあね」と頷いて、レジの引き出しを押し込んだ。

「学校の裏で野良猫見つけちゃって」

「ふうん。その猫にあげるのね?」

「うん。なんか痩せてたし」

 一回だけならいいよね、と猫缶を袋へ仕舞った千昭に、どこか引っかかりつつも、その後すぐ頼んでおいた白書のコピーを渡されて、そのことはすっかり鈴美の頭の中から飛んでいた。







「また猫缶?」

「……んー……」

 お客のいない夕暮れ時。
 昨日と同じくらいの時間に、また千昭がレジの中で猫缶を眺めながら唸っていた。
 昨日と同じ、申し訳程度に仕入れてあるただの猫缶だ。 油っぽい魚の入っただけの缶詰に、それほど悩む要素があっただろうか。

「一匹だけだと思ったら、二匹いたんだよね」

 そして二匹ともお腹を空かせていたらしく、昨日買っていった猫缶は、言葉どおり瞬く間になくなってしまったという。
 けれど二匹の猫はまだまだ空腹で、帰るときにみいみい鳴きながら引き止められて大変だった、と苦笑いの千昭。
 よくよく見れば、千昭の手元には猫缶が二つあった。

「じゃあ、明日も持っていけば?」

「そう、それなんだけどね……うーん…」

 食費が、節約が、とうんうん唸る。 けれどしばらくすると今日もまた、千昭はバーコードをピッとスキャンした。

「中途半端じゃ、かわいそうだよね」

 もう一回だけ、と猫缶を袋へ仕舞った千昭にデジャヴ。
 なんとなく予想がついて、その調子だともう一回ありそうね、と言うと、「幽霊って未来予知できるの?」と真顔で聞かれた。そうじゃない。







「ほらね」

「はは……」

 力の抜けた半笑いに、こちらは呆れ笑いだ。
 お客のいない夕暮れ時、昨日よりは少し遅い時間に、千昭はやはりレジで猫缶を眺めていた。

「二匹だと思ったら、三匹いたんだよ」

 言い訳まで昨日とそっくりで、千昭もそれに気づいて小さく肩をすくめる。
 この調子だと、明日は四匹になって、明後日はさらに五匹になっていそうだ。
 そして猫缶も、四個、五個、六個。

「バイト代、全部消えちゃうんじゃない?」

 猫缶の値段も千昭の給料もよく知らないけれど、高校生の時給はそんなに高くないはずだ。
 自分の家計を助けるためのバイトで、猫の家計を助けてどうするのか。
 それは千昭もよく分かっているようで、だよねえ、と頷いて、また猫缶を袋の中へ仕舞いこんだ。

「今日で終わりにしなきゃね」







 次の日の夕暮れ時、お客がいなくなっても千昭は猫缶をレジに持って来なかった。
 どうせ今日も明日もずるずる餌付けを続けるんだと思っていた鈴美は、少し拍子抜けた。

「猫、お腹空いてないの?」

「んん、どうかなあ。空かしてるかも」

 けれど初めて会ったときより元気になったみたいだし、もういいと思う、と続けて、千昭はお茶をすすった。
 猫を見つける前と同じ、ゆったりとした時間だ。 そして次の日の夕暮れ時も、千昭は猫缶を持って来なかった。
 なんとなく納得がいかずに、無言でレジの中に居座る。
 今までの言い方や表情からして、てっきり猫が好きなのだと思っていたのに。
 千昭はいつも通りのマイペースで、なんでもなさそうに店の掃除をしていた。

「猫、好きなんじゃないの」

「んー?」

「ねーこー」

「好きだけどー」

「だけどー?」

 シュイン、と変な音がして、掃除機が止まる。
 そんなに騒音でもないけれど、店の端と端だと会話も一苦労だ。
 レジに戻ってくると、千昭は鈴美の顔を覗き込んでくすりと笑った。

「なに笑ってるのよ」

「いや、なんでふくれてるのかなって」

「……猫、見捨てちゃうの」

 口に出してみて、自分の気持ちがはっきり分かった。
 偶然出会っただけの猫が懐いていることも、餌付けされていることも、全部自分と被るからだ。
 ずっと餌を持ってきてくれると思わせておいて、あっさり手放す千昭が嫌だったのだ。

「私もそのうち『今日までね』ってなるの?」

「鈴美ちゃん、オレちょっと話が見えないんだけど……」

「だって猫、お腹空いてるかもしれないじゃない。無責任よ」

 猫缶を買うか迷ったときのように、ううん、と少し唸ってから、千昭はこちらに手を伸ばした。
 ほんの少し、頭を撫でられている感覚がある。

「昨日知ったんだけど、あいつら、近所の人が飼ってる猫なんだって。ちゃんとご飯食べてるから、大丈夫だよ。オレがあげるのはおやつだけ」

 野良なら飼おうかと思ったんだけど、と言われて、鈴美は今度こそ完全に拍子抜けた。
 てっきり根無しの野良だと思い込んで、自分と重ねていたのが恥ずかしい。

「……猫三匹飼うお金あるなら、バイトしなくていいじゃない」

 誤魔化すようにそう言ってみたが、千昭は「あはは」と軽く笑っただけだった。
 この男の子のことはよく分からない。
 暇だと言うわりに空いてる時間はこつこつ勉強しているし、お金がないと言うわりに鈴美にポッキーを買い与え、猫には缶詰を買い与え。
 もしかしてからかっているのかな、とその顔を見返してみるものの、千昭はふざけてはないようだった。
 ただ少し、残念そうな顔をしているような。

「……猫、飼いたかったの?」

「うん。でもまあ、野良じゃなかったし、飼ったらバイト代なくなっちゃうしね」

 もう一度、鈴美の頭を優しく撫でて、千昭は「それに」と続けた。

「オレは鈴美ちゃんの世話で手一杯だしなあ」

「は、はあ!? なによそれ」

 どういう意味!と食ってかかるも、千昭は「だってー」とふざけて笑うばかり。
 また掃除機のスイッチを入れた千昭を見て、レジを乗り越えた。

「私が野良猫ってこと!?」

「鈴美ちゃんは幽霊でしょー」

「そうじゃなくて!」

「あはは」

 のらりくらり、交わしていく千昭の気抜けた笑顔が憎たらしい。
 けれどいつの間にか、あしらわれるのを楽しんでいることにも気づいていた。







「餌付けしたいなら、してもいいわよ。ご主人様は私だけど」

「はいはい」

 オレ猫派なんだけどなあ、と言いつつも、猫の代わりにと紹介したアーノルドを千昭が猫可愛がりするのは後日の話で、アーノルドがすっかり千昭になついてしまい、千昭の言う「ふくれっ面」をお披露目することになるのも後日の話。その後、千昭からポッキーが献上されるのはいつもの話だ。


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