アパートから徒歩三分のところにあるスーパーから千昭が帰ってきたのは、それから三十分後のことだった。
 ノルマを達成できるようにと少しゆっくり買い物をしてきてくれたんだろうが、残念ながら、仗助億泰両名ともついぞ目標には届かなかった。

「じゃ、ホットケーキなしね」

「千昭〜〜〜ッ!」

「オレあと一問です!あと一問なんスよ!」

 帰ってきた千昭に、おずおず「できませんでした」と報告した後の第一声がこれだ。思わず二人で食い下がる。
 リクエストした本人の億泰はもちろんのこと、初めは遠慮していた仗助も、問題を解いているうちになんだか熱が入ってきてしまったのだ。あと一問、という惜しいところまで行ったのだから余計悔しい。
 億泰と口を揃えて「あと五分!」「もうちょっとだけ!」と散々粘ってみると、やっとこちらの熱意に折れたらしい千昭が「仕方ないな」と困ったように笑った。

「ホットケーキ焼いてくるから、それまでにちゃんと終わっといてよ」

「おう!!」

「っしゃー!千昭さん流石ッス!!」

 そのまま台所へ向かおうとした千昭が、ふと何か思い出したように立ち止まった。

「そいえば、スタンド見せるって約束したよね」

 仗助にさ、と急に言われて、「はあ」と曖昧に相槌を打つ。
 億泰が「ドゥ・マゴでコップ割られたときな!」と口を挟んできて、仗助はやっとそのときの約束を思い出した。

「見せてくれるんスか!?」

「うん」

 あのあと一週間近く音沙汰がなかったから、てっきり軽くあしらわれてしまったのだとばかり思い込んでいたのだ。
 今見せるよ、と言った千昭に俄然期待が高まる。
 千昭のスタンドを知っているはずの億泰も、なぜか仗助の隣で正座した。

「じゃーん」

 言葉のわりに抑揚のない声でそう言うと、千昭が両手で持って見せてきたのは、先ほどスーパーに持っていったトートバッグだった。
 同じバッグを何枚も持っているのだろうか、ぺたりと平たいそれには何も入っている様子がない。

「この通り、中には何も入ってません」

「そうッスね」

「おう」

「しかし。ここに手を入れるとー」

 そう言って、床に置いたバッグの口に手を入れていく。薄い生地のトートバッグが不自然に盛り上がって、どこに手が入っているのか一目瞭然だった。
 そのままもぞもぞと何かを掴むような動きをして、出てきた千昭の手には。

「あら不思議、ホットケーキミックスが一袋ー」

「おー!」

 一瞬呆気にとられて、横で億泰が拍手する音にハッとした。

「ど、どういうことッスか?手品?」

「いや。スタンドだよ」

 また千昭がバッグに手を入れると、牛乳一本、卵一パック、そしてホットケーキミックスの二袋目が次々出てきた。
 思わずバッグを手で押したり叩いたりしてみたが、どこもかしかもぺたんこで空気が抜ける音がするばかり。

「すげーだろ、四次元ポケットだぜェ〜〜!」

 自分のスタンドでもあるまいに、得意げに億泰が言った。

「はー、なるほどこりゃ便利ッスね」

「オレは、仗助のやつのが便利だと思うけどなァ」

 腐った食材とかも元に戻せるんでしょ、消費期限ないじゃん、と言われて苦笑する。そういう使い方は考えてなかった。

「あとじゃがいもとニンジンと豚肉もあるよ。出す?」

「いや、いいッスよォ」

 千昭の申し出に思わず笑った。三人の周りは既にホットケーキの材料だらけだ。これ以上はちょっと遠慮したい。

「千昭、ずいぶんいっぺえ買ってきたなァ」

「あ、今日肉じゃがにしようと思って」

 だからじゃがいもと豚肉、と続けた千昭に、おや、と小首をかしげる。

「千昭さん、料理できないって言ってませんでしたっけ?」

「え、いつ?」

「仗助ェ、千昭は料理うめーぞ?」

「あっれ、オレの勘違いかな……」

 前にオーソンで会ったとき、『炊事が心配だからバイトの許可をもらった』と言っていたような気がしたのに。それをそのまま言ってみると、合点がいったように千昭が「ああ」と頷いた。

「言った言った。でもオレ、『心配だ』って言っただけで、『料理できない』とは言ってないよ」

「あっ……」

 言われてみれば確かに、『できない』とは言っていなかったような。
 あっけらかんとして言った千昭に、億泰が「嘘ついたのかよォ」と目をしばたかせた。

「千昭も不良になっちまったんだなァ」

「えー……嘘じゃないよ、ただ事実を大げさに言ってみただけ」

 まさにそれを嘘というのでは。そう思いつつも、仗助は何も言わないでおいた。







 先ほどまで散らかっていた教科書やノートが乱雑にどかされた机の上、今あるのは白い皿の上にぽってりと乗っかったホットケーキだ。卵と小麦、甘ったるい蜂蜜の匂いが鼻腔をくすぐる。まだ熱のあるケーキの上に乗せられたアイスが、ほんの少し溶けて蜂蜜と混ざり合っていた。

「いただきまァーす!」

「千昭さんあらっす!」

 火事場のなんとやらで、なんとか問題を解き終わったのがついさっきのこと。
 腹を減らした男二人、パン、と手を合わせたあとケーキにかぶりついた。次いで千昭も「いただきまーす」とフォークを握る。

「てか千昭さん、このアイス」

「あ、うん。ちょうどよかったから乗せといた」

 気づいた通り、ケーキの上に乗せられていたのは仗助と億泰が家庭教師の謝礼代わりに持ってきたアイスクリームだった。二、三本、棒を抜いて適当に盛り付けたらしい。

「オレらも食っちゃっていいんスか?」

「んー……今度オーソンで買い物してくれればそれでいいよ」

「了解ッス」

 バニラバーの表面に薄くチョコレートがコーティングされただけのありきたりなアイスだったのだが、まさかこんな食べ方をするとは。「結構よくない?」という千昭の言葉に、ケーキを頬張ったまま頷いた。

「ちょっち甘ェけどな〜」

「マジか」

「まあ、アイスとチョコと、更に蜂蜜ッスからね」

 でもこれはこれでうまい、と続けると、千昭が「サンキュ」とはにかむ。
 しかし適当にフォークで切り分けたのを口に入れると、あ、やっぱ甘いかも、と言って苦笑した。

「オレ、洋食と甘いもの作るのってあんま得意じゃないんだよね。由花子ならすごいうまく作るんだけど」

「へえ」

「え、そういうのあるんですか?」

 そういうの?、と聞き返した千昭に、「洋食だけ上手いとか、下手とか」と返す。てっきり、料理上手とはどんな料理も一様に上手く作れる人のことだと思っていたのだ。
 ああ、オレはね、と頷いた千昭が、「オレ、由花子のお母さんに料理教えてもらってたんだけど」と続けた。

「洋食は由花子が作りたがったから、和食ばっかりになってさ。あと、お菓子も。だからそのへんは由花子が作った方が全然うまいよ」

 へえ、と頷く。この間もドゥ・マゴで喋っていたし、千昭と由花子、結構仲のいいいとこなのかもしれない。

「別に千昭も下手ってわけじゃねえだろ〜」

「んーでもなんか、得意分野ってあるじゃん。加減が分かんないんだよなあ」

 だから甘くなっちゃった、と言って笑った千昭が、「コーヒー持ってくるよ」と台所へ引っ込んだ。

「由花子なァ……康一も確かに、料理だけはすげーうまそうだったって言ってたもんなァ」

「ああ……」

 億泰の言葉に頷いて、またケーキにフォークを刺す。お腹が空いていてがっついてしまったから、これで最後の一口だ。
 康一と言えば、三人の中ただ一人どの教科でも赤点を免れた裏切り者だ。
 しかも英語は満点を取ったというのだから憎たらしい。いや羨ましい。

「でもオレ、辞書と単語カード食う勇気はねーな……」

「あ、オレもオレも」

「お前は食う機会ねーよ、将来性ねーから」

「んだよォ〜〜」

 でもありゃねーよなァ、と二人笑っていると、千昭がコーヒーを持って台所から戻ってきた。

「はい、コーヒー。で、なに笑ってんの」

「おっ、サンキュー!」

「なんつーか……教科書食って公式覚えられたらいいなって話ッスよ」

 適当に言って、コーヒーを受け取った。淹れたての匂いが、先ほどの甘ったるいホットケーキの匂いを中和する。「熱いからね」と千昭が言った通り、先に口をつけた億泰が「あちっ」と舌を出した。

「教科書って……オレのスタンド四次元ポケットだけど、暗記パンは出てこないよ」

「ん?」

「え?」

「千昭〜これあっちいぜェ〜」

 火傷した!、と騒ぎ立てる億泰に、仕方ないなあ、と言って千昭が牛乳を持ってきた。億泰のコーヒーが埋められて、カフェオレになる。
 聞き返したところで席を立った千昭に、仗助はすっかり機を逃してしまった。
 何か気になることを聞いたような気がするのだが、まあ、いいか。

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「今日はあらっしたァ!」

「マジでサンキューなァ〜〜」

 ホットケーキで一息ついて、それから三時間後。
 日の暮れる少し前に、仗助と億泰は範囲の問題をなんとか全部解き終わった。
 本当は教科書の他に問題集だったり何だったりも範囲だったりするのだが、それは自主勉強でなんとかするつもりだ。別に満点を取らなくたっていい。赤点さえ回避できれば、それでいいのだから。

「億泰、赤点取ったらオレにアイスもう一箱ね」

「えーッ!なんでだよォ!」

「尻に火が点いた方がやる気が出るだろ」

 言われて、自分も母親の死刑宣告を思い出す。ぞわりと背筋が震えて、これは確かにやる気がでるかも、とほのかに納得した。

「そんなこと言われなくたって、オレすげー頑張っちゃうもんね」

「お、すごいじゃん」

 昔は形兆に言われなきゃ宿題の一つもやらなかったのに、と千昭が言って、億泰が決まり悪そうに唸った。

「オレだって、もう一人で何もできねーわけじゃねーのよ!」

 へん、と大口を叩いた億泰に、千昭が穏やかに笑う。

「……んなこと言ったっておめー、今日だって千昭さんに散々手伝ってもらってたじゃねーか」

 なんとなく、なんとなくだ。からかうように横槍を入れると、億泰が「それ言うなよォ〜」と参ったように言った。


暗記パン(アンキパン)……ドラえもんに出てくる道具の一つ。食べることでパンに写した教科書などの内容を暗記できる。


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