「だってよォ、あ、あにっ、兄貴がっ……死んじまうと、思っ……、うぇっうう〜……」

「あ、ティッシュ切れた」

 千昭の鞄から、今度は箱が四連重なったティッシュが出てきた。
 しかし何度見てもぺしゃりと潰れて中の軽そうなスクールバッグに、本当に四次元ポケットなんだな、と形兆は冷静に千昭のスタンド能力を分析する。
 億泰の話を聞いていないわけではない。しかしこうも一方的に盛り上がられてしまうと、どうも白けるというか、頭が冷えてしまうのだ。
 子供のころは億泰に引きずられてうろたえることも無かったわけではないが、今はもうそんなことにはならなかった…のだが、一方で億泰は相変わらず、ひどい泣き虫だった。
 図体ばかり成長しやがって、中身は子供のまんまじゃねえか。

「ビービー泣くんじゃねえよ、男だろ」

「な、泣い、泣いてなんかねェよォォォ――ッ!」

「億泰、それはちょっと無理があると思うよ」

 千昭の突っ込みに悔しそうに唇を噛んだ億泰は本当に幼い子供のようで、育て方を間違ったか、と形兆はほんのり己の行いを反省した。







 病室備え付けのゴミ箱は、小さい。病室暮らしではあまりゴミというゴミが出ないのだ。もう既に、小さなゴミ箱は二箱分のティッシュで溢れ出していた。

「………」

 買ってきたジュースをときおり口に含んで、億泰は腫れた目を擦りながらぼうっとしていた。
 まだときどき鼻を啜りながらも、泣くだけ泣いて少し落ち着いたらしい億泰の横で、千昭が溢れたティッシュのゴミをレジ袋に押し込めている。
 多分、億泰が甘ったれのままな原因はこいつにもある。甘やかすな、とも思ったが、病室がゴミだらけなのは御免こうむりたかったので、形兆は何も言わないでおいた。

「オ、オレさァ、……前に一回、来たんだよ、ここ」

 鼻が詰まっているのか、少し息苦しそうな声で、億泰がぽつぽつと話し始めた。

「そんとき、あに、兄貴は、意識がっ、なくってよォ………オレ、しんっ、……心配…・・………だったんだよォ………」

 途切れ途切れに、億泰は意識のない自分の様子を話した。
 肌と言う肌がまだらに赤く、そこに巻かれた白い包帯に血や膿が滲んでいて、現実味がなかったこと。
 人工呼吸器やいろんな医療機器を装着された姿が、自分じゃないみたいで怖かったこと。
 人前で滅多に熟睡しない自分が、いつまでも目を開けないのが不安だったこと。
 久しぶりに触った手に力が入っていなくて、空しかったこと……
 話していくうちに、そのときの気分を思い出したのか、億泰の目にはまた涙が浮かんでいた。

「兄貴が、攻撃されたときは………動転してて、それ、どころじゃなかったんだ……けど………、あん時は落ち着いてたから………」

 尚更、不安だったんだろう。

「億泰さ、また行っても形兆が寝てるんじゃないかって思って、今まで来なかったんだと」

 意識戻ってから一度も面会行ってないなんて聞いて、びっくりした、と千昭がぽつり口を挟んだ。

「だから今日、無理矢理連れてきたんだ」

「……意識が戻った連絡くらい、行っただろ」

「……嘘かもしんねえじゃんか……」

 あまりの馬鹿馬鹿しさに、唇を噛んだ。
 甘ったれで、馬鹿で、どうしようもないやつ。
 今や億泰には、スピードワゴン財団という大きな、大人の手が差し伸べられているのだ。自分がいなくとも、頼めばこれからなんてどうにでもなる。今までよりずっと、マシな生活が送れる。
 もう、自分の言いなりになって犯罪まがいのことを続けなくてもいい。しなくてもいいのに。
 逃げてしまえばよかったのに。
 涙は出ないのに、目頭がじわじわと熱くなる。

「……オレが、そんな簡単に、死ぬわけねえだろ」

 ぐるぐると渦巻く雑念を無視して、無理矢理声を絞り出した。
 なんとか持ち上げた重い手で、億泰の肩を小突く。ガーゼの下の火傷がズキリと痛んだ。
 比較的負傷が軽いとはいえ、火傷まみれの腕はふらふらとよろめいて、気を抜くとベッドに叩きつけられそうだ。
 少し落ちかけた手を、億泰が掴んだ。

「掴むな。……いてえよ」

 離せ、と言うと、あろうことか、億泰は強く手を握った。指先から肘にかけて、激痛が走る。

「いッ……てえっつってんだろボケがッ!」

「ごっごめん!ごめん兄貴!」

 慌てて億泰が手を離した拍子に、腕がベッドに落ちて更なる激痛が形兆を襲った。

「………っ」

「あッ兄貴ィー!ごめん!!ごめんッ!!!」

 珍しくうろたえた様子の千昭が、ケーキの箱の中から保冷剤を取り出してこちらに差し出す。
 いい、大丈夫だ、と手で制して、なんとか持ち直した。まだ痛みは走っているが、攻撃を受けたときに比べたら、大したもんじゃない。

「……本当に、馬鹿だよ、お前は」

 吐き捨てるように言った言葉に、億泰はなぜか照れたように笑った。
 さっきまでの泣き顔はどこへ行ったのか、しまりのない間抜け顔に、苦笑いが漏れそうになって、噛み殺す。多分自分も相当変な顔になっているんだろう。ただ千昭だけが変わらずへらりと笑っていて、少し憎たらしかった。







「元はと言えばよォ、千昭が一緒に来てくれればこんなことにならなかったんだ」

「オレのせいかよ」

 今さら大泣きしたのが恥ずかしくなったのか、億泰は少しぶすくれていた。

「そういえば、お前後から来たな。何してたんだ」

「人探し。オレさ、前に形兆の携帯に電話したんだけどさ」

 携帯。そういえば、形兆の服に入っていたと言って、看護士が携帯を置いていった。
 レッド・ホット・チリ・ペッパーの攻撃で塗装が溶け、ところどころ焦げてすらいた携帯は、見ると今も洗面台の上にポツンと置かれている。

「携帯って、かけたのか、あれに」

 遠めには何か黒い物体にしか見えない携帯電話を指差すと、千昭と億泰がぎょっとしたように目をしばたかせた。

「うわ、なにあれ」

「ひっでえ……」

 よく生きてたね、と言う千昭が自分の携帯から発信すると、ピリリリ、と無機質な音が響き渡った。見るも無残に黒く煤けたボディから、ほんのりライトが点滅しているのも見える。
 形兆も今知ったが、携帯は哀れな姿になった今もしっかりとその役目を果たしていた。

「すごいな。オレちょっと感動しちゃった」

「携帯やべえ……」

「それで、携帯と人探しがどうしたんだ」

 すっかり電化製品の踏ん張りに心奪われたらしい二人に、若干呆れながらも話の続きを促す。

「あ、そうだった。そのとき形兆意識なかったみたいなんだけど、代わりに看護婦さんが出てくれて」

 それで入院してるの知った、と言う千昭に頭が痛くなる。
 誰だ、勝手に他人の着信に出る非常識なやつは。

「けど、その人、違うとこへ配属になったってさ。厳しいね」

「当たり前だろ……」

 お礼言いたかったのにな、とのんきな千昭に、思わず突っ込んでしまった。
 財団の関与や自分の隔離が関係しているのかどうかは知らないが、それがなくとも守秘義務というものがあるのだ。それくらいの処遇は取られてしかるべきだろう。

 「でも、あんな真っ黒い携帯から音がしたら気にならない?オレも電話出ちゃうかも」という千昭のフォローに、はあ、とため息が漏れた。しばらくバタバタしていて忘れていたが、こういうやつだった、こいつは。

「それで、億泰には先に行ってもらってて……」

 そこで突然、きゅう、と情けない音が鳴った。億泰がバッと手で腹を隠す。
 鳴ってから隠しても遅いだろ、馬鹿。

「……ケーキ食べよっか」

 こくこくと無言で頷く億泰に、形兆はため息を一つ贈った。







 結局千昭と形兆は、ケーキを食べてからも面会時間いっぱいまで病室に居座った。
 ぶどうヶ丘高校へ転入したこと、東方仗助とつるんでいること、最近ばったり千昭と会って、ときどき会うようになったこと。
 億泰は入院している自分に悪いと思ったのか、始めこそぽつりぽつりと小さな声で話していたのだが、話しているうちに遠慮は念頭から飛んだらしく、途中からはしゃぎながら日々の出来事を話した。
 千昭はというと、ときどきメールで報告してるから話すことがない、と言っていたものの、無言で真っ黒の携帯を指差すと、自分の送ったメールが開かれていないことを悟り、若干めんどくさがりながらもここ一ヶ月のことを淡々と話した。
 途中、山岸由花子が千昭のいとこだと発覚して、ちょっとした騒ぎになったりもした。
 億泰はどうやら山岸由花子と千昭の似つかなさに驚いていたようだったが、自分は山岸由花子を矢で射ったことを後悔していてそれどころではなかった。自業自得と言えど、本当に、この幼馴染は心臓に悪い。
 途中検診の時間が来たときはさすがにもう帰ると思ったのだが、近くのゲームセンターで遊んでから戻ってきたのだから呆れてしまう。
 億泰が取ったという変なストラップを携帯につけて自慢してきた千昭のことは鼻で笑ってやった。
 ちょうど同じのが二つ取れたから、と言って自分の真っ黒い携帯に無理矢理ストラップをつけられたときは、反応に困った。
 ストラップの取り付け口がただれてうまくつかなかったらしく、何十分も奮闘した末、やっとのことで成功してやたらにはしゃぐ億泰と千昭。馬鹿は億泰だけだと思っていたら、そうでもなかったようだ。
 馬鹿二人が帰って静まり返った病室をなんとなく広く感じながら、形兆はベッドに横になった。
 壁やベッドの白と携帯の黒しかなかった病室に、やたらカラフルなストラップが浮いている。浮かれた二人の顔を思い出して、すっと瞼を閉じた。


prev*#next

もどる

「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -