刑務所の中では、季節はないのと同じ。けれど懲罰房の中では、昼夜すらないも同然だった。分厚いコンクリートの壁は冷たく、扉に備わった小窓から差し込むのはわずかな蛍光灯の光だけ。看守はわざとらしく靴音を鳴らして歩き、ほかの独房からは悲鳴や雄たけび、気色の悪い笑い声が絶え間なく聞こえてくる。懲罰房棟は眠らない。

07 気づかないふりをしてた


 房に入った日、汚らしい手を檻の間から伸ばして触れようとしてきたやつは、アシッドマンで殴っておいた。スタンド越しでも触れたくはなかったが、せめてもの憂さ晴らしだ。そのときにアシッドマンへの視線を感じたから、他の檻にスタンド使いがそこそこ紛れているのかもしれない。嫌なところに来てしまった。
 朝も夜も寒いし、昼は看守がシャワーだと言って冷水を被せてくるからまた寒い。ひどい風邪でも引けば医療塔に戻れるのだろうか。けれど中途半端に丈夫なせいで身体を壊すこともなく、クロエは薄暗い独房の中で十五日目の朝を迎えた。







 新入りはあまり来ない。刑務所なんて、もともと平気で法を破るような連中の掃き溜めだ。協調性や社会性のある人間なんてほとんどいない。小さなことにいちいち目くじら立てて懲罰房に放り込んでたら、部屋数がいくらあっても足りないだろう。保護が必要なやつと、ろくでなしの中で更にどうしようもないやつだけが、ここに入れられる。
 今日も看守のうるさい足音が聞こえてきて、クロエは浅い眠りから目を覚ました。かかとを思い切り床に打ちつけるような大きな音が廊下に響いている。ただ廊下を見回るだけだろうに、この刑務所の看守はどうしてみんな力みたがるのか。阿呆らしい。
 二度寝でもしようと寝返りを打ったところで、靴音に鎖が擦れるような音が交じっているのに気づいた。耳慣れた音だ。自分の手足にも、同じ鎖のついた錠がはめられている。
 看守は必死でクロエを撃った銃や犯人を見つけようとしたが、当然、銃は見つからなかった。一方で銀行に残された血痕が鑑定によりクロエのものと断定され、銀行強盗を続けていたのが露見してしまったのだ。
 刑務所を抜け出した方法や戻ってきた動機はどうでもいいらしい。“何かよく分からないが、一度脱走した者”として、クロエは房内でも手錠と足枷をつけられたままだった。
 扉の方に目を向けた瞬間、人影が通り過ぎた。看守が二人と、おそらく、女が一人。普段ならこんなこと気にも留めなかっただろうが、クロエは正直、変化に飢えていた。時間もなく、天気もなく、日付もなければ太陽もない生活は、本当に、死んでるみたいだ。
 寝起きで気だるい身体を起こして小窓から外を覗くと、やはり女が一人、看守に連れられていた。

「……またうるさくなるな」

 水族館の男女比は知らないが、懲罰房では女はあまりいない。九割方が男だ。そんな中で女の声のひとつでも聞こえたら、騒がしいどころじゃあなくなる。乾いたパンとコップ一杯の飲み物しか出されないのに、どこからそんな元気が出てくるのか全く理解できない。
 じゃらじゃらと鎖の音を鳴らしながら、またベッドに横たわる。こんな硬くて狭いただの板がベッドだなんて言いたくはないが、他にそれらしいものがないのだから仕方ない。
 自分の腕を枕にして目を閉じると、新入りの女の悲鳴が聞こえた。女の声を聞きつけた男囚たちが騒ぎ始める。聞きたくもない声が頭に響く。
 大方、看守が嫌がらせに虫の沸いた食事でも置いていったんだろう。通過儀礼だ。クロエもやられた覚えがある。もちろん、口にはしなかった。餓死を人生の選択肢に入れかけたものの、二日目からは普通の――とは到底言い得ないが、とりあえず、虫の入っていないパンにありつけた。一日目は虫の入った食事に驚く囚人を見て笑って、二日目は粗末なパンに安堵する囚人を見て笑うのだ。嫌な看守、嫌な部屋。ああ本当、嫌なところに来てしまった。

「……ウェザーに会いたい」

 話し相手がいないと、たまに、意図せず言葉が漏れることがある。自分で言った言葉に心底うんざりした。会ってどうする。何をする。また雑誌でも持っていくのか。きっとウェザーはもう、クロエの持っていった雑誌は読まないだろう。ウェザーはやさしい。出先で撃たれたこともこうして懲罰房に閉じ込められていることも、自分のせいじゃあないかなんておかしなことを考えるような人だ。その原因になったテレビガイドなんて、きっともう、読まない。
 もういっそ、このまま会わない方がいい。この嫌な部屋で死んだとしても、それはそれでいい気もした。







 外の喧騒に嫌々目を覚ます。昨日新入りの女が来たときも相当にひどかったが、ここまでじゃあなかったと思う。何かがおかしい。目を開けた途端、大きな音と共にまばゆい光が大量に押し寄せてきて、思わず目を眇めた。
 扉が開いたのだ。
 けれどホースを持った看守も食事のトレイも現れない。外がますます騒がしさを増していく。よく分からないが、扉が開いていた。そのことだけが頭を占めていた。
 扉が開いている。
 察するに、さっき聞こえたのは扉のロックが解除された音だ。じゃらじゃらうるさい鎖を引きずって、扉へ歩み寄る。ロックされていなければ、こんなものはただ重いだけの扉だ。手錠のせいで動かしずらい両手をもどかしく思いながらなんとか扉を一度閉めると、力任せに扉を開けた。アシッドマンはもう既にドアに溶けている。
 さっきとは比べ物にならないくらいの眩しさに、固く目を瞑る。太陽の光が眼球に突き刺さるような痛みをもたらしていた。暴力的な眩しさだ。光を遮るように手を掲げて、ひとつ深呼吸する。
 クロエは逃げ出した。


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