アシッドマン、気難しい男。
 彼のスタンドの名前を言葉の意味としてそのまま捉えるならそういうことになる。なぜそんな名前をつけたのかは覚えていないらしい。多分気まぐれだろう。それにクロエ自身は、気難しいというよりただの偏屈に見えた。あくまで、アナスイの主観によるが。

01 リマインド


「またやったのか」

 日の差し込まない音楽室で、エンポリオはテレビの前に、クロエはソファに座っていた。呼びかけを無視されたアナスイはため息をついてソファに歩み寄る。途中、無頓着に脱ぎ散らかされたクロエの靴に目を留めて片方ずつ拾い上げるとソファの横に左右揃えて置き、そしてクロエの膝の上から雑誌を取り上げた。

「……なにすんの」

「無視すんなよ」

「これくらい良いだろ……三ドルもしない」

 鬱陶しそうに前髪をかきあげて、クロエはソファにもたれた。その隣に腰を下したアナスイは一瞬言葉の意図が分からず眉を寄せたものの、自分が手に持っている薄っぺらいテレビガイドの表紙にちらりと目を向けたあと「これのことじゃあない」と再び眉を寄せた。

「オレが言ってんのは……、分かるだろ。銀行強盗のことだ。お前またやっただろう」

「なんのこと?」

「一昨日の十五時半、ボストンで四十万ドル」

 いつも通りの口調で白を切るクロエに呆れながらも、アナスイは今朝の朝刊に載っていた純然たる事実を告げる。毎日律儀に新聞を広げる殺人囚を、クロエは「行けもしない場所のことを知ってどうする」とからかうが、何も新聞に載っているのは外の世界のことだけじゃあない。目の前にいる不真面目な男のふらふらとした足取りを、唯一知ることのできる手段だ。

「犯人、まだ割り出せてないんでしょ。オレじゃあないよ」

「アホ。どう考えてもお前しかいねえだろうが」

「決め付けるなよ。警官でもないのに」

 クロエがアナスイの手からテレビガイドをするりと抜き取って、ページを広げる。チープな色合いで縁取られた派手な文字列に落ちた視線を遮るように、アナスイはクロエの手ごとテレビガイドを閉じた。
 アナスイが本気でクロエの非行を止めさせようなどと思っていないことは言わずとも知れている。毎度交わされる同じ内容の会話は二人にとっての挨拶のようなものだ。クロエが強盗を認めるかアナスイが追求を諦めるかすれば、話は終わる。まるでごっこ遊びのようだ。
 終わりの合図を求めてクロエがアナスイの視線を払うように横目でねめつけた。不穏な空気を感じ取ったエンポリオがゲームの合間にちらちらとこちらを盗み見ている。

「なに、まだ何かあるの」

 言外にやめろと仄めかされて咄嗟に「ねえけど」と返す。けれど返事とは裏腹にアナスイは一言付け足した。

「お前、少しは大人しくしてろよ」

「……人を子供みたいに言わないでくれる」

 はー、とクロエがわざとらしいため息をつく。エンポリオじゃあないんだからさ、と続けると、なあエンポリオとテレビの方へ首を捻った。突然話を振られたエンポリオが「え!」と小さく声を上げて慌てふためく。十四インチの画面の中で赤いカートが大きくコースアウトした。

「……子供だろ、実際」

「オレ、お前より年上なんだけど」

「一歳だけな……そうじゃあなくて、内面の話だよ。いつまでやりたい放題やるつもりだ?なあ、自分でも分かってるんだろ。そんなことしてたって……」

 クロエが黙っていたのはそこまでだった。「あーはいはい」と投げやりにアナスイの言葉を遮ると、顔を逸らしてアナスイの揃えた靴に足を滑り込ませる。その口調がまるで聞き分けの悪い子供のようだったのは、きっとわざとだろう。クロエが人を苛立たせようとするのはいつものことだ。アナスイは慣れている。案の定、陳腐な煽りになびかないアナスイを見てクロエはつまらなそうな表情を浮かべた。

「……そんなことしてたって、ウェザーが心配するだけだ」

「ウェザーがオレを心配するわけないよ」

「……してんだよ。だから、出歩くのやめろって」

 最悪出歩いても強盗はするな、とは言うだけ無駄だろうが、アナスイは口に出した。

「嫌だよ。お前に言われる筋合いないし」

「オレは刑務所を抜け出したりしない」

「でもルームメイトは殺しただろ、先週」

 誰も知らないはずのことを言い当てられてどきりと心臓が跳ねた。動揺を誤魔化すように髪をかきあげて舌打ちをするが、クロエはきっとアナスイの内心を見透かしているだろう。痛いところを突かれた。クロエとは収監棟が別だ。遠く離れている。だからしばらくは誤魔化せるだろうと高をくくったのがいけなかったのかもしれない。
 クロエのことに話を戻そうと開きかけた唇を、結局ため息一つ通して閉じた。どうせ何を言っても自分のことをつつき返されてしまうのだ。アナスイはもう一度深くため息をついてソファに身を沈めた。

「お前の心配なんていらないよ」

 ぽつりと呟かれた言葉に、オレじゃなくてウェザーが、と返しかけたところで向こう脛に蹴りが飛んできて押し黙る。十分すぎるほどの肉体言語に「しつこい」と声を重ねたあと、クロエはソファから立ち上がった。とんとんとつま先を床に突いて靴を詰めると、壁の中に埋まった四角い枠の方へ歩いていく。
 この音楽室のドアは形だけでその役割を果たしていないが、クロエのスタンドに影響はない。枠と扉さえあれば十分だと言った彼の言葉が、まるでクロエそのものを指しているようだと思ったのは最近のことだ。

「ため息ばっかりついてると、幸せ逃げるよ」

 ドアノブを捻ったクロエの先に、薄暗い路地と切り取られた青い空が見える。今日は快晴らしい。眩しさに瞬いた一瞬で、ドアが閉まる音と共にクロエは外に消えた。

 「……誰のせいで」

 クロエがどこへ行ったのかは分からない。いつ戻ってくるのかも、外で何をするつもりなのかも分からない。分かっているのは、彼のスタンドがこの張りぼてのドアと刑務所の外にある建物のドアとを“繋げた”ということだけだ。アナスイの言葉が届かない場所まで。
 彼は石の海をすり抜けていく。


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