「はあ!?結婚!?」

 行きつけのダイナーの一角で、向かいの席に座った男が目を丸くして叫んだ。店中の視線が二人のテーブルに集中する。「声がでかい!」と叱るも、全く意に介していないようでアナキスは深くため息をついた。

「なに、あの子?こないだ一緒にいたロングヘアの子と?」

「他に誰がいるんだよ」

「ハア〜〜〜!?お前と結婚するとか正気で?本当に?大人しそうに見えて意外と飛んでんだな……」

 自分と恋人、どちらの言われように憤るべきか一瞬迷って、アナキスは考えるのをやめた。毎度のことだが、いちいち相手にしていたら頭の血管がはちきれる。友人、というか自分の腐れ縁の男は、こういうやつだった。

「お前、『おめでとう』とか『お幸せに』とか、そういう言葉の一つも言えねえのかよ」

「おめでとう、お幸せに」

 珍しく素直に、そして珍しく笑顔でそう言われてアナキスは内心驚いた。棒読みも棒読みのオウム返しだったし、笑顔はまさしく貼り付けたようなものだったが気にしないことにする。今日の記憶はこの男が自分に祝いの言葉を言ったということだけで十分だ。都合の悪いことは忘れておいた方が人生幸せに生きられる。

「お前が結婚ねえ……」

 そろそろ氷が溶けて薄まってきたドリンクを全て飲み干して、男はぽつりと言った。アナキスのコーラは瓶だったが、中身はもう空だ。カウンターの向こうにいる店員に追加の飲み物を二人分注文する。何がいいかは聞かなかったが、どうせオレンジジュースだろう。郷土愛なのか何なのか分からないが、フロリダオレンジジュースが一番美味いといつも言っていた。
 今日呼び出したのは、結婚の報告もそうだが、もう一つ別の用事があったからだ。なんとなく切り出せなくて、無言になる。男はマイペースにフライドポテトを摘んでは、アイリーンっていくつだっけ、とか、両親に挨拶行ったの、などと他愛のない話をふる。
 半ば上の空ながら一言二言でそれに答えていくと、店員が新しいオレンジジュースとコーラの瓶を持ってきた。一度会話が中断される。今しかないと悟って、アナキスは口を開いた。

「それで!あー……結婚式で、オレの付添い人を……頼みたいんだが」

「……誰に?」

「お前に」

 グラスに口をつけたまま固まった男は、しばらく呆けたあと小さくむせ込んだ。オレンジジュース自体は一滴も零さず机に着地させたものの、気管に入り込んだらしく胸を軽く叩きながら咳き込み続ける。心配して立ち上がりかけたアナキスに、男は手のひらをかざして大丈夫だと訴えた。

「はあ……びっくりした。なに、お前誰にも引き受けてもらえなかったの?そんなに友達いなかったっけ?」

「なっんでそうなるんだよ!別になあ、お前が断ったってお義父さんの友達だっていう人にやってもらえば……」

 全く困ることなどないのだと続けようとしたのだが、「お義父さん!?」とまた男が声を上げたためにアナキスは口を閉じた。必死に笑いを堪えている表情がまたなんとも言えない。今までの自分のキャラじゃあないことはよく分かっているが、ここまで大げさに驚かなくてもいいはずだ。わざとやってるんじゃあないだろうなと疑いの目を向けるも、目が合った瞬間堪えきれずに噴出した男にアナキスは諦めの境地に達した。

「……それで、返事は。やるのか、やんねえのか」

「…………オレ、学ないし、トレーラー暮らしだし。全然、上品な感じでもないだろ。付添人なんて大役、頼む人間かよ」

「……頼む人間なんだよ」

 言い切ると、男は驚いたように伏せていた目をアナキスに向けた。瞳の奥に複雑な感情が見て取れる。それを覗き続けるのがむず痒くて、アナキスは顔を逸らした。男が小さく笑う。

「愛が重いんだけど」

「愛とかねえし!」

「嘘付けよ」

「ねえから。マジでねえから」

 にやついて言った男にアナキスは憮然として言い返した。多分、互いに照れ隠しだろう。腐れ縁だとかろくでもないやつだとか思っていても、結局この男は自分の友人なのだ。それも一番付き合いの長くて、距離の近い友人。親友だなんて言葉は似つかわしくないしそんなの想像しただけで鳥肌が立つが、事実この男の隣より馴染む場所はないだろう。







00 introduction









 宣誓の儀式も無事に終わり、今は晴天の下でウェディングパーティが行われている。教会内での厳かな雰囲気から一転、今はアイリーンたちの祖父とその友人だという老紳士たちがピアノやアコギを演奏して場を盛り上げていた。
 ゲストに先んじてファーストダンスを踊ったアイリーンとアナキスがこの世の誰よりも幸せそうに見えたのは身内の贔屓目ではないだろう。こんなときまで父親の目を気にしているのか、どこかおどおどとエスコートするアナキスを、アイリーンはもどかしそうに笑ってリードしている。既に夫婦の力関係が見て取れるような気もするが、本人が幸せならそれでいい。アナキスは蕩けそうなほどの笑顔でアイリーンだけを見つめている。
 その二人に続いてゲストたちが次々と手を取りダンスに参加していく中、一人壁際でドリンクに口をつけた。男が壁の花なんて変な話だが、ダンスは得意じゃあない。慣れない付添い人なんてやったから少し疲れてもいた。
 周りを見渡せば、みながみな場の雰囲気に浮かされているようだった。アイリーンの父親は相変わらず険しい顔をしているが、そのわりに瞳はこの上なく穏やかだし、その傍らに寄り添っている母親や少年は目に涙を浮かべながらも顔には至福が溢れている。
 その少年のふわふわした髪についた帽子の跡に目を留めて、なんとなく、自分のポケットに入れていたものを取り出した。少し角度を変えると無数の小傷が太陽の光を反射する。新婦の親族側にいた子供にもらった薄い灰色の缶バッチだ。
 エンポリオと名乗った少年は、儀式の前に自分を見るなりぼろぼろと泣き出してこれを手渡してきた。突然泣かれてどうすればいいのか分からずうろたえたのは自分だけで、アナキスやアイリーンの両親は慣れたように彼を宥めていた。そのときに少し聞いたが、アナキスたちと初めて会ったときも半日は泣き通しだったというから、少し情緒不安定なのかもしれない。自分を「クロエ」と呼んで、「クロエに渡さなきゃいけない」としきりに言っていた。
 もちろん自分は「クロエ」なんて名前じゃあない。「クロエ」に渡さなければならないものなら、受け取ってはいけなかったのかもしれない。けれどあまりに真剣に頼まれたから、つい、手を伸ばしてしまったのだ。
 改めて見てみるが、どこにでもあるような缶バッチだ。野球チームのグッズのようにも思えるが、プリントされているチーム名は一度も聞いたことがなかった。少年野球のおもちゃなのかもしれない。エンポリオの髪を見れば、常に野球帽を被っていることは明らかだ。

「何を見ているんだ?」

 ふいに話しかえられて顔を上げる。グラスを持った男が歩み寄って、手元を覗き込んできた。

「……あんた、ヒッチハイカー?」

 一瞬不思議そうな顔をした男に「アナキスから聞いたんだ」と補足した。アイリーンの両親に挨拶に行った日、道中で拾ったのだというヒッチハイカーの男。前にも後にもそれだけの関係らしいが、アイリーンの希望で式に招待したのだと聞いていた。

「そういう君は、新郎の友達か?付添い人だよな」

「うん、まあね」

 いつもなら否定しだろう言葉を、今日だけは素直に受け入れた。友達なんて言葉、自分たちには甘く暖かすぎる。けれど今日くらいはその友達という言葉で括るのも悪くないと思った。この華やかな雰囲気に自分も浮かされているのかもしれない。

「あいつの車に乗ったとき、子供もいたんだろ?ほら、あそこにいる……」

「ああ、エンポリオか」

「そいつにもらったんだ。なんか、渡さなきゃいけなかったらしい。『クロエに渡してくれって頼まれた』って……ねえあんた、『クロエ』って知ってる?」

 もしかしたら何か知らないかと思って聞いてみたが、期待に反して男は何も知らないようだった。考えてもみれば、男もエンポリオも、もう一人いた女というのもその日たまたま乗り合わせただけの他人なのだ。知っているはずもなかった。

「『クロエ』自体は知らないが……エンポリオから聞いた話では、細身の男らしいな。ちょうどこのくらいの背で、髪は……そうだな、君くらいの色だと言っていた。それに目の色も聞いた色と同じだ」

 だからオレは、てっきり君がそうなのかと思った。男が真剣にそう言うので、なんとなく居心地悪くなる。「ふうん」と相槌だけ打って缶バッチに目を落とした。
 ふと、裏側の違和感に指が触れた。ひっくり返すと、安全ピンのところに何かが通されている。丸めたガムの包み紙のようだった。
 興味を惹かれたように男もそれに視線を注ぐ。包み紙をピンから外して開いてみると、中から小さなピアスが出てきた。あまりに小さくて、うっかり取り落としてしまいそうだ。缶バッチも包み紙も、この片方しかないピアスを失くさないよう取り付けていたのだろう。
 突然、男が何かに気づいたように「あ、」と声を上げた。見てくれ、と言われて男の右耳を見ると、そこには同じ形の、同じ色の石がはめられたピアスが鎮座していた。

「これ、あんたの?」

「いや……どう、だろう。旅の途中で片方だけ失くしてしまったんだ。大分離れたところで失くしたから、オレのではない……と、思う」

 それでももしかしたらと思っているのか、男はピアスをまじまじと見つめた。聞けば、母方の祖父から譲り受けたものなのだという。実は失くしたと知られたら怒られるから実家に帰れなくて困っているんだ、と苦笑されて、思わず笑いがこぼれた。

「じゃあ、これあげるよ」

 ピアスを持った手を、男の耳に持っていく。フロリダの街という街を歩き渡っているヒッチハイカーの肌は小麦色に焼けている。けれど耳とうなじだけは、他と比べて白く浮いていた。日差しのつよいこの州を歩き回るというのだから、普段は帽子でも被っているのだろう。日焼けの境が見えているのは少し不恰好だが、肌の色と石の色が同じくらいの深さで、ちぐはぐな感じはしなかった。

「ほら、ぴったりだ」

「……しかし、君がもらったものだろう」

「いいよ、別に。オレの名前は『クロエ』じゃあないけど、エンポリオはオレに受け取ってくれって言ったんだ。どうしようと、オレの自由」

 それに男の耳に収まるのが、一番いい気がしたのだ。なぜだかは分からない。それでも、そう思えてしまうのだ。
 ふいに振り返ると、そのエンポリオと目が合った。贈り物を他人に渡すという不貞の現場を押さえられたわけだが、その目は自分を咎めることはなく、むしろ全てを受容するような雰囲気を持っていた。

「……そういえば、自己紹介をしていなかったな」

 男の言葉に、正面を向き直る。言われてみれば、挨拶もしないまま長らく話し込んでいた。握手を伴うような出会いなんていつぶりだろう。握った男の手の硬さと暖かさに自分との生活の違いを感じながら、自分も名前を伝えた。
 突然わっと歓声が聞こえて、周りの人々が色めき立つ。アナキスがアイリーンを持ち上げて、くるくると回っていた。白いドレスとベールがふわりと宙を舞って、まるで天使のようだ。どこから持ってきたのか、籠を持ったブライズメイドたちが花びらやライスシャワーを二人に向けて振り撒く。眩しいくらい、幸福に満ち溢れていた。
 一瞬目の合ったアナキスに手を振る。自然と心から顔が綻ぶ。アイリーンがアナキスに唇を寄せると、また歓声が上がる。場にいた全員が、二人の未来を祝福していた。


(end)

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