「なに見てんだよ」

 囚人にはランクがある。看守や警察の区分けとは別に、刑務所内や雑居房内で罪状ごとに階級があるのだ。個人の社交性や外見、力の強さで左右されもするが、単純に言えば罪状が重くなるほどヒラエルキーの高みにいる。
 社会の屑の掃き溜めと言っても、やはり階級社会なのだ。上の連中が甘い蜜を啜り、下の人間は人間らしい扱いを受けない。上位であればあるほど、今の位置を維持しようと躍起になる。攻撃の矛先は新入りの重罪犯に向いた。
 自分を攻撃しそうな人間には片っ端から金を渡していたから、クロエの耳にもその情報は入ってきた。ヒラエルキーの上位たる殺人罪の新入り、ナルシソ・アナスイ。前の刑務所で問題を起こしてここに移送されてきた男。
 これがただの殺人でなく猟奇殺人だと知られていたら、周りも迂闊に手を出したりはしなかっただろう。アナスイに牽制をしにいった囚人は、一人残らず、殺された。
 クロエは一度だけ、その襲撃場所を目撃したことがある。初めはそれが何なのか分からなかった。バラバラに卸され、床一面に広げられた物体が三日前に金を渡した大男の中身だと分かったのは、男の着ていた服が脇に置いてあったからだ。

「聞こえねーのか。ジロジロ見てんじゃあねえ」

 人間の中身を広げるとこんなになるのかと、しばらく床を眺めていたときだった。声のした方に顔を向けると、女が一人床に座っていた。神経質そうに顔を歪めて、鋭い眼光でクロエを睨みつけている。

「ここ、男子監だけど」

「……お前もこうされたいのか?」

 女は妙に気が立っているようだった。もう一度床一面に広がった大男の中身に目を移す。死に方に希望はないが、さすがにこうはなりたくない。丁重に断ろうと女に向き直ると、女はもういなかった。いや、相変わらずそこには一人の囚人が座っている。さっきまでクロエを睨みつけていた女の面影を残して、同じ服装の男が座っていた。

「うわ、なにそれ……気持ち悪い」

 思わず漏れた独り言を、男はしかと聞き届けたようだった。立ち上がるのと同時に、男の背後で何かが動く。透けた人影に見覚えがあった。生まれてからずっと、自分の傍で揺らいでいるのと同じものだ。どうやら、厄介な男を怒らせたらしい。
 突然、足首をぐっと掴まれる感覚に襲われた。一歩下がろうと背後に傾けた体重に引き摺られてそのまま後ろに転倒する。男の後ろにいたはずのスタンドが、片腕だけクロエの足元に現れていた。足を引っ張るが、強く掴まれていて抜け出せない。男はゆっくりと近づいてくる。
 クロエは渋々、アシッドマンを出した。虚を突かれたように男が一瞬足を止める。その隙に、アシッドマンで地面から生えた腕を蹴りつけるだけ蹴りつけた。だんだん解れていく指を最後には踏みつけて外す。すぐさま抜け出して背後の壁まで下がると、アシッドマンをドアに溶かした。灰色の扉だったものが、目に痛いほど鮮やかなピンクに染まる。

「趣味悪いよ、それ」

 掴まれた足がひどく痛むから、仕返しに、一言投げつけた。







「あっ、お前……!」

 二度目の邂逅は音楽室だった。

「なんだ、知り合いか?」

 眼光だけで人を射殺せそうなほど険しい表情のアナスイの隣で、ウェザーが平然とそう聞いてきた。クロエは持ってきた雑誌を手渡して答える。

「いや、知らない」

「あ?忘れたとは言わせねえぞテメエ!」

「忘れるもなにも、初対面だし」

 どうも初めまして。我ながら素晴らしく棒読みで挨拶すると、アナスイは額に血管を浮かせて「殺してやる」と言った。
 床を血まみれにした後、アナスイはとうとう懲罰房に入れられたらしかった。今までスタンド能力を利用し一時的に女の姿になることで容疑をかわしていたアナスイの分解祭りは、クロエの密告で幕を閉じた。密告というより、ただの憂さ晴らしだったが。握られた足首が軽く捻挫していたから少し頭に来たのだ。賄賂で繋がっている看守に口添えた翌日から三ヶ月ほど、アナスイは男囚監から姿を消した。
 今ではもう水に流している。埋め合わせとして何度か外へ連れていったし、アナスイもそれを引き合いに出すことはなくなった。全て過去のことだ。







 指紋一つないガラスのショーケースを前に、クロエは首をこきりと鳴らした。まだ一時間も経っていないのに、もう肩が凝り固まっている。今までの人生でビジネススーツに袖を通したことなど、片手で数えるくらいしかなかった。もしかしたら今回できっちり片手分かもしれない。糊のきいたシャツの襟の硬さに痛みを覚えて首元をいじっていると、やっと品物を持った従業員が戻ってきた。

「こちらでよろしいでしょうか?ご確認ください」

 カウンター代わりのガラスケースの上に置かれた指輪を視認する。注文通り、店で一番高い五号の指輪だ。

「これでいいよ」

「かしこまりました。お支払いはどうなさいますか?」

 穏やかな笑顔で接客する従業員の顔を、不自然にならない程度に注視する。そういえばこんな顔だったような気もするし、あのときとは違う店員のような気もする。一度限りの強盗の被害者の顔など、覚えていなかった。

「現金、一括で払う。ここに入ってるから、数えて」

 支払いはどうするかと聞いたくせに、そう言うと店員は目に見えて驚いた。きっと客の大半はカードで払うのだろう。何万ドルもする買い物なのだから当然だ。それでも、クロエはクレジットカードなど持っていない。まだ驚きの収まらない様子で、店員は応援を呼んだ。呼ばれた店員も若干目を見開いている。
 暇になって、クロエは店内を見渡した。二年も経てば見事に様変わりしている。強盗のときに使ったスタッフルームの扉はレジカウンターの奥の奥、入り組んだ廊下の先に移動しているし、監視カメラの数は二倍、警備員も配置している。

「お客様。贈り物でしたら、ラッピングいたしますが……」

「ああ、いいよ別に。箱だけ頂戴」

 指輪の形状や宝石の色にはうるさく言われたが、ラッピングの有無は聞いていない。店員は指輪を今一度布で磨き、指紋がつかないよう箱に入れた。それを紙箱に入れ、さらに紙袋に入れる。どっちにしろ過剰包装だ。

「買い物するって、やっぱ面倒だね」

「は?」

「いや、なんでも」

 有無を言わさず紙袋を受け取って、店を出る。入り口はガラス張りだったから、ドアを繋げるのは三つ隣のコーヒーショップにした。

 戻ったホテルの一室で、スーツ姿のクロエを見たアナスイが噴出した。癇に障って、右手に持っていた指輪を投げつけた。見事額に当たったあと、アナスイの膝元に落ちる。

「いって……おい!壊れたらどうすんだよアホ!」

「ダイヤモンドが壊れるわけないだろバーカ」

 それでも台座はダイヤじゃあないだのそういう問題じゃあないだのと恨めしそうに文句を言われる。その後も何かとお前はいつもそうだだの何だのと小言を続けられたが、ほとんど聞き流した。
 堅苦しいスーツを脱いで、シャツのボタンを外す。大分楽になった体で軽く伸びをして、上半身だけ起こしているアナスイのベッドの端に座った。

「で、いくら出せんの?」

 投げつけられた指輪をうっとりと見つめるアナスイに水を差す。途端に不機嫌そうな顔になったが、知ったことじゃあない。

「……二万ドル」

「論外。六万は出して」

「二万五千ドル」

「五万九千」

「……三万」

「五万八千九百」

「お前なあ、ちょっとくらいまけろよ!」

 百ドル刻みの譲歩はお気に召さなかったようだった。呆れ半分、苛立ち半分といった様子でアナスイががなる。

「二千五百もまけてあげてんじゃん死ね貧乏」

「どうせ盗品だろ?原価ゼロじゃあねえか!」

「人件費とか知らないの?馬鹿?」

「守銭奴!」

「異常性癖」

「今それ関係ないだろ怒るぞ」

「怒ればあー?」

 心底馬鹿にして言うと、アナスイが「殺してやる」と地を這うような声で言った。
 昔のことを思い出したのは、きっとそのせいだ。

「……なに笑ってんだよ」

「……べつに」

 気がそがれたのか、アナスイは脱力して壁に背をもたれた。その腕には人工的な白さの包帯が巻かれている。傷口も大方塞がってきているし、そろそろ外してもいいころだろう。包帯の白も、自らの血でぬれているのも、アナスイには似合わない。

「いつ帰る?」

 この部屋に逃げてきたときは、どうしたいかと聞いた。その後、すぐに戻りたいかとも聞いた。けれどその後は、なにも聞かなかった。この四日間、食事のときだって、刑務所の話はしなかった。手元の指輪を見つめていたアナスイが、ゆっくりと顔を上げる。きっとこの言葉の意味を分かっている。

「……明日」

「分かった」

 朝ちゃんと起きてよ。そう言い添えると、アナスイは気を害したふりをしてみせた。
 三月十七日、クロエはアナスイを連れて水族館に戻る。


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