「ねえ、そろそろ」

こっちおいでよ、と。私の聴覚は彼の言葉だけを拾い、それと同時に背中がぞわりと震えた。それは確かに私へ向けられた言葉だった。作業の手を止めないまま、視線をこちらに向けないままにいつもの調子で私を呼んだ。

「こそこそ覗きなんて、なまえちゃん悪趣味だぜ。お前らしくねえ」

夜の光に反射しぎらつく金属。鼻を掠める鉄の匂い。感情を映さない表情。手際よい"作業"。私の視界の真ん中に立ち、掌に光るナイフでヒトを切り刻む、私の恋人。
夜の街で偶然見掛けて、彼は一人でいて、興味本位で後をつけてみて……。でも、でも、これは普通じゃないだろう。驚かしてやろうと、そう思っただけだったのに、まさか、こんな……。

「なんで」

「んー?」

「なんでそんな事してるの?」

なんでその人を殺したの?なんで死んだヒトを切り刻んでるの?聞いた私の声は恥ずかしい位に震えていたと思う。恋人に対しての発言だとは到底思えないくらいに、その声からは恐怖という感情が溢れていた。

人識は一瞬こちらを向いて、突然何を言い出すのか訳がわからないと言いたげな表情を浮かべた後に視線を再び下へ戻した。私だって、彼が何をしているのか全く訳がわからない。

「なまえはさ、」

幼い子供に教えを説くように、人識が言った。視線を向けないままに。彼の下に転がるモノを何食わぬ顔で解体しながら。

「なんでご飯食べるの?って聞かれたら、何て答える?」

「………」

「なんで息すんの?なんで瞬きすんの?なんで喋んの?なんで寝るの?………って。ねえ、なまえだったら何て答える?」

無言のままの私に彼は続ける。

「簡単なことだぜ?別になんでもねえのな」

「………」

「意味も理由も原因も結果も、なんもねえ」

そこで漸く彼の手は止まり、

「寝て起きて息して飯食ってクソして人殺してまた寝て起きて──、……なーに、考えるに足らないことだって」

「そんなわけ……」

「あるんだってば。つーかさ、俺がお前の存在に気付いてないと思った?お前の……尾行?バレバレだぜ、流石に」

「じゃあなんで、」

私が見ていると知っていて、それでも尚、その人を殺して、ずたずたにして、私の目の前でずたずたに──

「俺を知ってほしかったから」

「………?」

上手く言葉が出てこない。

「知っても尚、俺を変わらず想ってくれるのかなって、なんとなく疑問に思ったから」

俺らしくねえと自虐的に笑いながら、人識の方から私に近付いてきた。気付いた時には目の前に、彼の顔。男にしては小柄すぎる彼の目線が私と至近距離で交わる。

「……あれ、誰なの?」

「ああ?知らね」

首を少し傾け、心底どうでもよさそうな顔をして答えた。

「なぁ、なまえ。無知は罪だよな」

人識の手が私の頬を撫でる。それから下降して、顎を伝い首筋をなぞり胸の真ん中でぴたりと止まった。

「俺の事、怖くなった?気持ち悪くなった?引いた?……嫌いになった?」

「そんな、嫌いになんて……でも、ちょっとびっくりしたっていうか…えっ…と、」

「ならねーよなあ?ならねーでくれよ」

「でも……人識、これは流石におかしく」

「なーに言ってんのなまえちゃん。ちょっと強行手段すぎたかもしんねえけど、これが俺なんだってば。俺はなーんも変わってねえぜ?お前と出会った時も、お前に惹かれた時も、お前と付き合い始めた時も、それからも、今だって、勿論これから先も、な」

「なんで今まで秘密にしてたの?」

「いやあ、俺は別にいつでもよかったんだよこんなどーでもいい事は。しいて言うならさっき偶然、たまたまお前が俺の後つけてるみたいだったから」

「それだけの理由であの人を?」

「それだけの理由を与えてやったんだよ。ありがたい事だと思わねえ?」

「さ、流石に酷いと思う、よ…」

「んー?」

「酷い」

「かはっ、酷いのはお前じゃねえの?酷い、だなんて。傷いちゃうぜ、傷つけたくなる位に」

再び、悪寒が身体を走る。

「傷ついて悲しくて苦しくて、間違ってなまえちゃんのこと──」

私の耳に唇を近付け、とても物騒なことを囁かれた。それこそ間違っても恋人に対する発言だとは思えないようなことを。

不安感と知らない彼に対する恐怖が私の心を侵食した。

「ごめんな、うそうそ」

私の不安を駆り立てたのも、恐怖で犯したのも彼であれば、それらを拭ってくれたのもまた彼で。何の前触れもなく人識は私の身体を抱きしめた。

「お前は殺さねえって」

確かにそれはいつもの彼の温度だった。視覚にはイレギュラーなヒトの死体を映しながらも、私はいつもの彼の体温を全身で感じた。



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