午後から雨が降るという予報など全く知らずに、間抜けな僕は今日、傘を持って来るのを忘れた。外を見れば小降りではあるがやはり雨は降っている。帰宅する生徒達は皆、色とりどりの傘を開いて離れていく。溜息をついて、さてどうしたものかと考えていると、校門の手前で一人下校している後輩を発見。これは…あまり濡れずに済むかもしれない、そう思って僕は校舎を後にした。
「なまえーっ!」
「…?──ぎゃっ!」
なまえが振り返るよりも早く、僕は彼女に抱き着いた。抱き着いたというより、飛び付いたと言う方が相応しいかもしれない。ふわりと香る甘い匂い──香水?シャンプー?いやまあ、何だっていいんだけれど。
彼女は突然の僕の行動に驚いたのだろう、さっきからぴくりとも動かない。足を止めて固まったままだ。なにそれおもしろい。
「なまえ、いいところに居た。見ての通り僕は傘を持っていない、という訳で一緒に入れて」
「阿良々木先輩…。制服濡れたまんまで私にくっつかないで下さいよ、私まで濡れるじゃないですか」
そう言って彼女は身をよじった。彼女は傘と鞄を持っていて両手が塞がっている状態なので、僕が何をしてもこの程度の抵抗しか出来ないようだ。
…………。
「えいっ!」
「きゃあああああ」
────バシッ!!
「いってえ!」
「な、何するんですか!変態!」
後ろから胸を触ってやったら鞄で殴られた。好き放題できるチャンスだと思ったのに。くそう、その手があったか!
「えへ」
「ゆ、許し難い行為ですよ……女の子のむ、胸を突然触るなんて…!警察呼びますよ!」
「ふっ、甘いな、なまえ。そんな国家権力に僕は屈しないぜ!」
「周りの視線が痛いので屈して下さいお願いします」
「………」
彼女の胸に夢中になって、ここが通学路のど真ん中である事を忘れていた。というか校舎の真ん前だった。
「阿良々木先輩どういう神経してるんですか。なんか人間性疑っちゃいます」
「舐めてもらっちゃ困るが、女子の胸を触るなど僕にとっては日常茶飯事だ」
「家庭内でどんなただれた兄妹関係築いているのかは知りませんが、外では控えた方がいいと思いますよ」
このまま一方的なセクハラ行為を続けては、なまえの中の僕のイメージが底辺まで急降下しかねないので、ここは同意しておいた。
……いや、もう手遅れかもしれないけれど。修復不可能かもしれないけれど。だって何だかさっきから凄く冷たい視線を浴びせられている気がするし。
「………なんだか、」
ん?
「なんだか凄く不快な気分になりました」
聞こえるか聞こえないか位の小さな声でそう呟くと、むすっとした顔をしてそっぽを向いた。
……あれ。
そんなに嫌だったのかな、胸揉まれるの。僕としてはほんの挨拶のつもりだったんだけれど。
「阿良々木先輩のばーかばーか!」
「え!?ちょっ──」
何の捻りもない捨て台詞を吐いて、なまえが突然駆け出した。急展開についていけない僕。
放ったらかしにする訳にもいかないので、彼女の背中を追い掛けた。……すぐに追いついた。なまえの脚力はお世辞にも優れているとは言えないのだ。今度は流石に抱き着くのではなく(僕も人並みに空気は読める)鞄を持った手首を思い切り掴んだ。なまえの足が止まる。
「どうしたんだよ急に」
一方的なセクハラを働いた人間が言えたような台詞ではないが、僕も少し混乱気味なのであまり深く追求しないで頂きたい。
「不快です」
「胸が!?胸が駄目だった!?」
「違います」
「じゃあ何が」
「不快じゃなくて……愉快です」
振り向いた彼女はそう言ってニヤニヤ笑った。
「愉快ってお前、そういう趣味があったのか!」
「違いますよ。どっかの変態先輩と同じにしないで下さい」
変態先輩って僕の事?一応、僕のキャラを守る為にも否定はさせてもらうけれど。僕は痴漢趣味ではない。
「阿良々木先輩が、追い掛けてきてくれたのが、愉快です」
「……え?」
「胸触られたのは不快でしたけど、そんな事は今はどうでもよくなっちゃいました」
そう言って、あははと笑ってみせるなまえ。そんな可愛らしい笑顔を使うなんて反則だ。フェアじゃない。
「はい」
「………え、ああ」
「優しい私が阿良々木先輩を雨から守ってあげるんですから、勿論ですけど傘は先輩が持って下さいね」
「わかったよ、お前の胸に免じて傘は僕が持ってやる。くれぐれも濡れないように離れるなよ」
「肩が少し濡れる程度で、好きな人と相合い傘で下校できるなら安いものです」
「………」
あれ?今何て言った?
「えへへ、」
「ねえ、頬ずりしていい?」
「調子に乗らないで下さい」