珍しい事もあるもので、久しぶりに彼からメールが来たかと思えばそこに記された内容はいたってシンプル、『会いたい』それだけだった。恋人からの要求を断る理由もなかったので、了承のメールを返信すれば、暫くして私の住む小さな部屋に来訪者を知らせる鈴が響いた。
「……軋騎だ」
最後に会ったのはいつだったか。久しぶりに拝んだその顔が懐かしいものに思えた。上から下までをブランド物の衣装で固めたほっそりとした外観。最近の詳しい話は聞かないが、どうやら彼は彼で色々と忙しいらしい。
「わりい、なかなか来れなくて」
くたびれた声で軋騎は言った。相当疲れが溜まっているのだろうか、見た目から高そうな靴を乱暴に脱ぎ捨ててすぐに、乱暴に抱きつかれた。突然のことに後ろに態勢を崩してしまいそうになるが、なんとか持ちこたえる。ぎゅうと身体を締めつけられれば、私の知らない匂いがした。
「香水かえたんだ」
「ん…、ああ」
「ふーん」自分で聞いてその反応は無いだろうというような返事をし、彼の腰へ腕を回す。会わない時間に比例して知らない事が増えていくのは、何度経験しても慣れないなと思った。息を止めながら、彼の胸を頬で撫でる。私を抱える腕にさらに力が込められるのがわかった。
少し苦しくなったので彼から離れ、大きく酸素を吸い込む。不思議な顔を浮かべる軋騎に私は笑って何でも無い振りをした。
「こんなこと知ったら、暴君が黙ってないよ」
「んん、大丈夫」
私がかつての主君の名前を出すと、軋騎はぼんやりと答えた。「てゆうか、お前、食べてる?」私の腰を撫でながら、軋騎が言う。「心配する事じゃないよ」笑いながら私は返した。
「軋騎こそ、相当疲れてるみたいだけど」
彼の頬へ腕を伸ばす。「寝てないでしょ」聞けば軋騎は隠しごとがバレてしまった子供みたいな顔をした。
「寝に来た」
「だと思った」
「最近忙しくて……」
「噂の二重生活が?」
「んーまあ、そんな感じだ」
頬を撫でる私の腕を掴み、そのまま部屋の奥へ進む。彼の背中について行くと、くるりとこちらへ振り向いて、肩を掴まれ、そのままベッドの上に座らされた。
「あーーーー、眠い……」
「ちょ、」
軋騎は私の前で腰を屈め、掴んだままの私の肩を思い切り後ろへ突き飛ばし、勢いそのままに覆い被さるように抱きついてきた。突然の事に驚くが、私の頭の横で布団に顔を埋めて動かなくなった軋騎に、何も言えなくなってしまう。
「わりい、」
「いや、大丈夫だけど」
「折角久しぶりなのに、なんも構ってやれそうにないわ……」
「……はあ、」
「だからちょっと、こんまま寝かせてくれ」
「………」
「抱き枕……」
「………」
私が何も言わないでいるのを肯定と受け取ったのか、軋騎はそのまま静かになってしまった。スーツ位脱げばいいのにと思いながら、乱れた髪をかき回し、さらに乱してやる。それでも彼からは何の反応もなかった。
「……軋騎」
「………」
「式岸軋騎さん、」
「………」
「私、やっぱり、寂しいなあー……。こんなこと言ったら怒られちゃうんだろうけど……」
暴君の元を離れて、少し不自由はあるけれど、こうして平穏に暮らせているのは軋騎のお陰だと思う。暴君もきっと私の事なんか忘れちゃっただろうし、私をこうやって必要としてくれているのは今のところ、彼くらいだ。私はそれで幸せだと思うし、何の不都合もないんだけれど、こうやって、別々の時間を過ごす事が増えて、知らない事が増えていく現実を考えると、やっぱり悲しくなってしまう。
「今の私には時間が在りすぎて、」
「軋騎が離れちゃうんじゃないかなーとか、考えちゃう」
「いらないことばっか考えちゃうんだよ」
静かな空間に、自分の声だけが響く。私がこんなことを口にしても、仮に軋騎が私の話を聞いていたとしても、どうにもならないことはわかっている。物事には道理がある。あれもこれもと欲張りな事を言っていられるのは子供のうちだけだ。
ぼうっと天井を眺めていると、私に被さった彼の腕が動いて、頭をわしゃわしゃと撫でられた。彼にまだ意識があったことに少し驚く。
「ねえ、軋騎。私、軋騎とずうっと一緒にいたいなあー……」
やっぱり返事はなかった。もしかしたら無言のそれが、彼の精一杯の優しさなのかもしれない。
「まあ、言ってみるだけなら許されるよね」
それだけ呟いて、彼と同調するように身を落とした。