目の前に人が居るならそいつを殺す。後ろにいるなら振り向いて殺す。居ないなら探してでも殺す。生きてるんだから殺すしかない。そんな事を言っていたのはどこのどいつだ?どんよりした黒と灰がまじる世界から姿を現した影の、光を赦さない瞳が俺を睨み、ああ、あれは俺が言ったのだと思い出す。
影が、笑う。俺のよく知る表情で、語りかけるように口を開く。「理由なんかない、理由なんかいるかよ。生きている理由なんか誰も知りやしねーんだ、生きていようが死んでいようが、そんな事は大した問題じゃねぇよ。俺の外で起こる事なんて知ったこっちゃねえ。干渉しようとも思わねぇ」人間独特のどろどろした感情など少しも混じっていないような、清々しい笑顔だ。

「俺は人間が好きだ」

自分に言い聞かせるように口を開く。俺の声はまるで色が無い。

「嘘だ。嘘じゃなけりゃあ戯言ってやつさ」

「お前に俺がわかるかよ」

「俺はお前だからな」

「俺には俺がわかってねぇぜ?」

「嘘だ」

「嘘じゃねえ」

俺と対峙するそれは、確かに俺だった。髪と髪の間から覗く刺青がその証拠だと言っていい。零崎人識でないのならば、或いは汀目俊希とでも呼称すればいいのか。弄られた痕跡のない真っ黒な髪に学生服を着ている。それは俺のよく知る学ランだった。

「俺は、人間を愛している」

「嘘嘘。お前、まだ変われるとか思ってんのか?かはは、そりゃ傑作だぜ」

「人間は変われるだろーが。俺はそう思ってる」

「傑作だ、どこまでも傑作だよお前は。大体、自分が人間だとでも思ってんのかぁ?」

「俺は兄貴達とは違う」

「一緒さ。あいつらと同じ殺人鬼だ。殺人犯や殺人者、殺し屋なんてもんじゃねえ、鬼だ鬼、零崎の忌み子だ。その証拠に汀目俊希は消失しただろーが。お前が一番知っている筈だ。俺が一番知っているんだ」

気を抜いてしまえば滑るように流れ出るその言葉に飲み込まれそうになる。飲み込まれれば最後、空洞が一気に拡がって、その中に落ちてしまえば二度と光を見れないようが気がした。

「かはは、お前は光なんてものが現実に存在するとでも思っているのか?馬鹿馬鹿しい、見たことも聞いたことも無い癖に。冗談も程々にしてくれよ、腹が痛え」

目の前の俺は終始笑いを崩さないままだ。俺は――、俺は笑わない。笑わないまま目の前の俺を見つめる。おいおいまさか、と瞳を大きく開き彼が続けた。

「あいつかァ?」

気付けば俺は目の前にいて、どこから出したのかわからないナイフの腹で、俺の頬を叩いている。痛みなどは感じなかったが、触れる度に金属特有の冷たさが頬から伝わる。“あいつ”、浮かんだのは濁りのない爽やかな笑顔だった。彼女が微笑む度に、自分が人間に近付いているような錯覚に陥る、奇妙な力を含んでいるものだ。「お前、『俺』の事、忘れた訳じゃないよな」柔らかな情景が冷たい声に掻き消される。

「かはは、まさか」

脳裏に別の、懐かしい人物が浮かぶが、はっきりと顔は思い出せなかった。忘却、人間の便利な機能が働いたのだろうか、鬼なのに?自分の喉から初めて笑いが漏れる。

「今日がお前の、零崎人識の存在意義を持つ零崎人識の命日って訳かぁ?」

「命日じゃねえ、俺は終わらねぇだろうが」

「終わりだろ、『俺』。ほら、俺と同じだ」

「ぐさり、つってな」耳元で小さく囁かれて自分の腹を見れば、ナイフが突き刺さっていた。迷いなく急所を突いた腕をみて、ああこいつは紛れも無く俺自身だな、と思った。「終わり終わり。お疲れさま」「まぁ、俺なんてこんなもんだろ」「あぁ、俺なんてこんなもんさ」腹に痛みはなかった。

黒と灰が混ざる。変わらず笑顔を向ける俺が、その渦に飲み込まれ消え、やがて視界が、世界が白く霞んでいく。白く染まったと思えば端から順に闇に侵食されていく。世界の終わりは呆気ないものだった。




「カルボナーラ、焼きパスタ、きのこの和風か。………ねぇ、なんでこんなに偏ってんの?」

真っ黒な世界に佇んでいる感覚。不意に、ずしりと背中に重みが乗っかった。「私に太ってほしい訳?」ふて腐れた声が傍から響く。そこで初めて、自分の瞼が降りていることに気付いた。閉じられた瞼を開けば明るい光が差し込んで、俺は思わず目を顰めた。

「あー……いや、ちげえ、そういう訳じゃねえ。どちらかといえば俺は細い女の方が好きだ」

「じゃあなによあれ」

右頬の隣から伸びた腕が視界の端に映りこむ。その腕の指さす先にあるのは、小さなテーブルの上に並べられた俺の戦利品だ。「炭水化物、炭水化物、炭水化物じゃん。人識くん、あれじゃあ私デブになるよ」すぐ隣で不服そうな声が聞こえる。

「大丈夫だって。見てみろよ、俺の糖分摂取量と体格が釣り合っていると思うか?案外関係無いもんなんだって。だからお前も大丈夫だ、こんくらいじゃ太らねぇよ」

「なんか腹立つなぁ人識くんは。女の子は体型維持するの大変なのに」

駄々をこねる子供のような彼女を笑ってやれば、背中にさらに体重が加わった。先程まで映りこんでいた細い腕は引っ込んで、代わりにひょいと、彼女の顔が入りこむ。緩い孤を描く口元、細められた瞳。

「狡いなぁ、人識くんは」

ころころと笑いながら、彼女は言う。「優しいのかそうでもないのかわかんないんだけど、やっぱり人識くんは優しいよね。ありがとね、夜ご飯。私、好きなの選んでいいかなぁ?」色素の薄い、髪が揺れる。「ああ」と俺は応える。ふわりと身体が軽くなり、彼女がテーブルへ歩いていった。

「じゃあ私きのこ。人識くんは?」

「俺は冷蔵庫にティラミスが」

彼女が呆れた風に笑った。つられて自分からも笑いが零れる。漂う空気が穏やかで柔らかいものに染まった。

人並みの幸せ?笑かすなよ。

どこからかそんな声が、聞こえたような気がした。それも俺が一つ、人間に近付いた証拠なのか。

「すげぇな、お前らは。こんなもん抱えて生きてんのかよ、面倒臭え」

「……へ?どした?」

「いや、なんもねぇ」

俺は特に気にする様子もない彼女の隣を通り過ぎて、冷蔵庫の扉に手をやった。



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