何か嫌な事があった訳ではない。誰かに引きずり落とされた訳でも、陥れられた訳でもない。絶望した訳でもない。私の日常はそれなりに楽しくて人並みに幸せで、何より平和であった。

それでもふと「死んでみたいな」と思うことがある。自殺願望ではなく、自殺に対して興味が沸くのだ。死に対しての興味。生きている全ての人間が経験した事のない命の終わり。生きている全ての人間が経験するであろう命の終わり。終わりであるからこそ未知で、未知であるからこそ、人間は死後の世界に魅せられる。

もしも命が2つあったなら、私は間違いなく1つは自殺を選ぶだろう。自らの命は自らの手で。うんと天気のいい大安の日にでも。そうだなあ、壮大な自然の緑を一望できる崖のてっぺんから、身を投げるのがいいかもしれない。急速に落下しながら視界に映る大自然は、それこそまさに絶景だろう。全ての生物は自然に還るべきなのだ。想像するだけで心がぞくぞく震える。

「残りの1つはどう遣うのか」残り1つの終わらせ方など一切考えていなかった私は、その問いに対してあまり深く考えずに答えた。「老後を満喫して眠るように死にたいかな」出来ればの話だけれど。

「折角で悪いけど、1つは俺にくれよ」

私の馬鹿な妄想話を、隣でにやにやしながらじっと聞いていた彼が言った。

「くれって、どういう意味?私があんたのモノになって、あんたの為だけに尽くすとか、そういう感じ?」

「いんや、違う」

「俺に殺させて」私の視線は、彼の真っ暗な目に吸い込まれた。彼はにやにやと笑うのを止めない。

「老後を満喫した後に?」

「ちげえ、今直ぐに」

「やだよ。私、痛いのとか苦しいのとか絶対嫌だもん」

「大丈夫だって、痛みなんか感じる暇なく絶命させっから」

「それでも嫌だ。私、長生きしたいもん。両手に曾孫抱えて死にたい」

「じゃあ自殺は諦めろ」

「えー」と文句を漏らして、じと目で彼を見遣っても、彼の表情は崩れなかった。

「そんなに殺人したいなら、そこら辺の誰かですればいいじゃんか」

「そんなんじゃねえよ」

「じゃあ何よ」

「命の重さってのを知りてぇんだよ。お前が居なくなった世界で、俺の中でのお前の存在のでかさを感じて。そのでかさを思い知りながら、同じ大きさの痛みと空虚と罪悪感を抱えて生きてみてえんだわ」

私から視線を外して彼は続ける。

「何も残さないまま俺の全く関与しないところで勝手に死ぬなんて、そんな淋しい事される位なら、お前の死の一番深いところに俺が関わりてえと思うわけ」

「どこのマゾだよそれ」

「自殺したいって言ってる奴には言われたくねえよ」

「あ、まあそうか?」

まあ命って、どうしても1つしかないんだけどね。私がそう漏らすと、「それを言ったらおしまいだろうが」って怒られた。こんな話、始まる前から終わっているみたいなもんじゃないかと返したら、彼はいつもみたいにかははと笑った。

「私の命の重さなんて、知れてると思うけど。人識は、死に方を1つ好きに選べるなら、どうやって死にたい?」

「は、お前今のでわかんねえの?」

彼が要領を得ない事を言うものだから、私は目を丸くすると、「え、言わせるつもり?」と照れているみたいなので「一人で盛り上がってないで私にも分けてよ」と叱ってやった。

「えっと……お前を殺して、痛みと空虚と罪悪感を抱えて生きて………。でも結局はそのでかさに耐えられなくなって、押し潰されて死にたい」

彼らしくない台詞に、私は言葉を失った。彼は膝に顔を伏せたので、どんな表情をしているのかはわからない。先程までの嫌らしい笑みは健在なのだろうか。

いや、それよりも。何を突然、恥ずかしい事を言ってくれるのだ。私の方が熱くなってきた。

「もうちょっとわかりやすく言ってよ……それ、全然意味わかんないんですけど」

「えー…」

前髪の隙間から瞳が覗く。いつもの色と違うように見えたのは気のせいだろう。

「俺もお前に殺されてえ」

直接的であっても、間接的であっても。そう付け加えてから、彼はまた私を見るのをやめた。
顔が熱くてたまらなくてどうすればいいかわからなくなったので、とりあえず彼の背中を思い切り叩いてから、馬鹿な妄想話に幕をおろした。



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